3日、成都市の武侯祠の昭烈殿にある劉備の塑像。(成都=新華社記者/陳健)

 【新華社成都4月7日】先祖を祭る中国の伝統的な祭日である清明節(今年は4月5日)に、墓参りをするのが中国人の習慣だ。しかし趙雲を愛する日本の人々が中国四川省成都市の郊外にある彼の墓を訪れ、三国志の名将を偲びたいと思ったら、きっと相当がっかりすることになるだろう。趙雲の墓には今、雑草が生い茂り、正門は閉ざされ、見渡す限り荒れ果てた光景が広がっている。

 3日に撮影した成都市の武侯祠の武将廊にある趙雲の塑像。解説員によると、この趙雲の塑像はずらりと並んだ武将の塑像の最も高い位置に置かれているが、文官の服を着ている上、老いた時の趙雲をモチーフに作られたものであるため、観光客からは「あまり格好良くない」と言われているという。(成都=新華社記者/陳健)

 同市大邑(だいゆう)県の錦屏山(きんぺいさん)の麓にある趙雲の墓は、彼の骨が埋められた場所として史学界からも認められている。しかし、県の政府所在地の端にあるぼろぼろの塀で囲われたところに、三国時代の名だたる英雄、趙雲の墓があるとは、地元の若者さえ知らないのだ。清明節の前夜にこの墓に来てみると、正門と塀は大きな黒い鍵で固く閉ざされ、何度呼んでも誰も開けに来ない。低い塀越しに見える墓域内の建物は朽ち果て、至るところに野草が生え灌木がはびこり、人っ子一人おらず補修した跡さえ見えない。

 1日に撮影した四川省成都市大邑県にある趙雲の墓。崩れた塀の内側が墓域となっている。(成都=新華社記者/陳健)

 匿名を条件に取材に応じた地元文化財部門の職員の話によると、趙雲の墓域内にある建物は、その大半が2008年5月12日に起きた汶川大地震で大きな被害を受けたという。この職員は、「大邑県政府はここ数年、趙雲の墓の修繕を望んでいたが、予算に限りがあり、今のような状態になってしまった」と語る。

 1日に撮影した四川省成都市大邑県にある趙雲の墓。倒れた木が壁にもたれかかり、無残な姿をさらしている。(成都=新華社記者/陳健)

 同じ三国志の英雄の墓地でありながら、まったく異なる様相を見せるところもある。劉備や諸葛孔明を愛する日本の人々にとって、成都市にある武侯祠(ぶこうし)は三国文化が感じられる格好の場所だろう。

 1日に撮影した四川省成都市大邑県にある趙雲の墓。雑草が生い茂り、人っ子一人いない。(成都=新華社記者/陳健)

 中国各地にある三国文化関連の古代遺跡の中でも、武侯祠は最もよく知られたものの一つ。またの名を「漢昭烈廟(かんしょうれつびょう)」ともいう。その前身は西暦223年に造営が始まった漢の昭烈帝劉備の陵墓で、後に蜀漢の丞相諸葛孔明を「漢昭烈廟」に合祀し、中国史上唯一の「君臣合廟」の形に至った。

 1日に撮影した四川省成都市大邑県にある趙雲の墓。雑草が生い茂り、建物の門や窓のほとんどが壊れている。(成都=新華社記者/陳健)

 諸葛孔明は生前「武郷侯」に封ぜられ、死後「忠武侯」とおくり名されたため、人々は彼への尊崇の念を込めてここを「武侯祠」と呼ぶようになった。

 1日に撮影した四川省成都市大邑県にある趙雲の墓。雑草が生い茂り、人の気配も感じられない。(成都=新華社記者/陳健)

 武侯祠に現存する主な建物は清代康熙年間(1672年)に再建されたもので、中国政府によって全国重点文物保護単位(国の重要文化財)に指定されている。内部には三国志英雄の塑像47体が並んでいるが、最も古いものは300年以上経っている。一番目立つ位置に置かれているのは劉備、関羽、張飛と諸葛孔明の像だ。

 1日に撮影した四川省成都市大邑県にある趙雲の墓。茅葺き屋根の茅がもうほとんど残っていない。(成都=新華社記者/陳健)

 武侯祠では、デジタル放送や仮想インタラクティブ体験といった様々なテクノロジーを通じて、文化財の背後にある物語を伝えている。例えば趙雲の像の前でコードをスキャンすると、史書の中の趙雲と小説の中の趙雲の違いについて知ることができる。

 3日、成都市にある武侯祠の正門。またの名を「漢昭烈廟(かんしょうれつびょう)」ともいう。三国文化が感じられる格好の場所だ。(成都=新華社記者/陳健)

 成都武侯祠博物館は1986年に日本で初となる「諸葛孔明の史跡陳列」特別展を開催し、大反響を呼んだ。それ以降、同館は日本の博物館との文化交流を重ねている。今年の後半には、全国三国文化保護利用連盟大会や中日韓三国学術文化シンポジウムが成都で開催される予定だ。

 3日、成都市にある武侯祠。解説員が観光客に唐代の石碑について説明している。(成都=新華社記者/陳健)

 四川省楽山市の楽山師範学院外国語学部で長年日本文学と三国文化を専門に研究してきた徐慧(じょ・けい)氏は、群雄割拠の三国時代と同様に、生き残りをかけて戦わなければならない現代社会で、三国志の英雄たちのように激烈な競争を生き抜いて成功するのが人々の願いだと話し、中日が互いに学び合い、三国文化を巡る交流と発展をともに推し進めていきたいと期待を寄せた。(記者/陳健)

 3日、成都市の武侯祠内にある文化財となっている古い建物。(成都=新華社記者/陳健)

 3日、成都市にある武侯祠の内部の様子。文化財となっている古い建物の壁には「武侯祠」と書かれた扁額が掛かっている。(成都=新華社記者/陳健)

 3日、成都市の武侯祠の東配殿にある関羽の塑像。解説員によると、関羽は後世の人々から「関帝」と尊ばれため、皇帝の衣服や飾りを身に着けているが、その手に持つ笏(しゃく)は本来の大臣の身分を象徴するものだという。(成都=新華社記者/陳健)

 3日、成都市の武侯祠の西配殿にある張飛の塑像。(成都=新華社記者/陳健)

 3日に撮影した成都市の武侯祠の静遠堂にある諸葛亮(諸葛孔明)の塑像。手に持つのはトレードマークの羽毛扇。(成都=新華社記者/陳健)

 3日に撮影した成都市にある武侯祠の敷地内に置かれた香炉。(成都=新華社記者/陳健)

 3日に撮影した成都市にある武侯祠の敷地内にある劉備の墓、恵陵。(成都=新華社記者/陳健)

 3日、武侯祠の敷地内にある劉備の墓、恵陵(レンガの壁の奥)の傍らを通り過ぎてゆく観光客。(成都=新華社記者/陳健)

 3日、武侯祠の敷地内にある劉備の墓、恵陵(左のレンガの壁の内側)の傍らを通り過ぎてゆく観光客。(成都=新華社記者/陳健)

 3日に撮影した武侯祠内の回廊の壁に掲げらた諸葛亮の「前出師表」。(成都=新華社記者/陳健)