「こんな弱い相手には5-0、6-0で勝たないと、強い相手に勝てるわけがない!」
 
 この発想が、どこから生まれているのか分からない。
 
 率直に言って、何の論拠もない考え方だろう。たとえトルクメニスタンに10-0で勝ったとしても、スペインに1-0で勝つ確証にはならない。なぜなら、サッカーは相手次第でプレーのかたちが大きく変わるからだ。
 
 例えば、トルクメニスタンが日本に挑むなら、実力差を考慮に入れ、ガチガチに守る試合を仕掛けてくるだろう(実際にアジアカップではそうだった)。まずはスペースを消し、とにかく人を自由にさせない。徹底したリアクション戦術だ。
 
 一方、スペインが日本と戦うなら、自分たちがボールを持ち、運び、優位に立とうとしてくるだろう。あくまで能動的なプレーを用い、局面での戦いも上回る。隙の少ない戦い方をしてくるはずだ。
 
 2つの異なる敵に対し、日本のプレーは必然的に同じではなくなる。トルクメニスタン戦では、どのように守りをこじ開け、カウンターに備えるか。スペイン戦では、相手の持ち味を消しながら、ポゼッションも捨てず、カウンターで隙を見つけられるか――。全く違う展開になるだろう。
 
 これは何も、日本だけの話ではない。例えば、ブラジルでさえ、守りを固めた相手に5、6点をいつも叩き込んでいるわけではないし、彼らは“必ずしもそれが必要ではない”と心得ている。大差をつけた勝利が、自己満足に過ぎないことを知っているのだ。
 
「相手に応じて戦えるか」
 
 それが、サッカーの兵法における最大の命題である。
 
 欧州のトップクラブ、およびその選手たちが優れているのは、まさにその点にあるだろう。
 
 試合に向け、当然ながらチームや選手は準備をする。相手を研究し、弱点を突こうとする。自分たちの良さを出せる策を使う。そこで、駆け引きが生まれる。相手も対処してくる。強靱なチームは、戦い方を柔軟に変えられる。わずかに立ち位置を変えるだけで応急処置をし、都合の良い戦い方を見つけられる。それに対応してきたら、またかたちを変える。
 
 その掴みどころのなさ、対応力こそ、真の強さだ。
 
「選手は必ず、秘めた力を持っている。私はそれを活かしてほしいと思っているよ。監督は何も、特別なことをするわけではない。サッカーを表現するのは、あくまでも選手なんだよ」
 
 そう語っていたのは、チリの名将、マヌエル・ペジェグリーニだ。
 
 サッカーはシンプルだが、複雑なスポーツである。なぜなら、やるべき原則はあっても、その場その場での対応となるからだ。つまり、弱い相手をどれだけの大差でねじ伏せても、それはその場だけの話で、強い相手に通じるロジックにはならない。
 
「相手が強かろうが、弱かろうが、対応力を見せられたか。自分たちのプレーを見せられたか」
 
 そのプレーの中身を、検証すべきだ。
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月には『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たした。