「ええ、よろしくってよ」「素晴らしいことだわ」……聞くだにお育ちのよいお嬢様が上品な笑顔を浮かべる様が見えてくるよう。いささかレトロながら「お嬢様ことば」の典型といえる「てよ」「だわ」言葉。しかし昭和6年当時、女子学習院に通う子爵家生粋のお嬢様は首をかしげて「その、『何々してよ』というの、随分流行(はや)っているのね」「おかしな口癖だと思っていた」と別の女学校に通う少女たちに言うのです――。

 これは彩藤アザミ『昭和少女探偵團』の一場面だが、現に当時はこんなやりとりがあったはず。それもそのはず、昭和初期はまだまだ四民平等の世の中とはいえ、まだ華族と呼ばれる旧支配階級の人々が上流階級を構成していた時期のこと。現代を生きる私たちのように同じテレビ番組を見て、ネットでニュースを知って、とはいきません。日常触れている文化の違いが明確に言葉遣いに表れてしまう、そんな時代だったのです。

お嬢様の見分け方は…?(※写真はイメージ)

 女子学習院に通う真のお嬢様が小馬鹿にする「てよ」「だわ」言葉。なぜ私たちはこの言葉を「お嬢様ことば」だと思い込んでいるのでしょうか。

「てよ」「だわ」が語尾につく少女たちの言葉遣いは、昭和からは遡りますが、1879年(明治12年)〜1880年(明治13年)あたりの小学校で聞かれるようになったそうです。そして当時は限られた裕福な女子しか通えなかった女学校内へ、その世代の学年の成長と共に広まったとされています。

 明治40年代まで当時の知識人たちは、一貫してそうした若者言葉を批判します。たとえば硯友社を牽引した日本を代表する文豪の一人である尾崎紅葉は、自書の中で彼女たちの言葉のルーツを「旧幕のころ青山に住める御家人の娘がつかひたる」もの、つまり、御家人家に仕える、身分の低い、卑しい使用人の娘たちが使う言葉だとして、女学生ともあろう者がそんなものに感化されて使うべきではないと忠告しています。

『昭和少女探偵團』彩藤アザミ[著]

 補足しますと、明治の女学校教育の根幹には「良妻賢母」となって日本を支える女性になるべし、という考え方があるため、女学生にはその見本となるような振る舞いや教養が求められました。

 時代が下るにつれ女学校とは、生粋とまではいかずとも比較的裕福な家庭に通い、かつ、女子が学問を身につけることをよしとする環境にいる女子ならば(それでもかなり恵まれているのですが)入学出来るようになります。

 ですがやはり、女子としてステータスの高い娘たちが通う場所です。一般人からみた「女学生」という存在への憧れは強く、文化や風俗への発信力がある存在になっていきます。

 彼女たちの言葉遣いすらも無邪気に真似してしまう人たちが出るのはいたしかたのないこと。つまり女学校内のスラングである「てよ」「だわ」言葉が、そのままお嬢様の使う言葉として勝手に一人歩きした結果、「女学生ことば」=「お嬢様ことば」へとすり替わっていったのです。

 時代も移り変わって昭和初期には、卑しい言葉遣い、という風に考える人はなかなかのカタブツだったようですが、少なくとも「てよ」「だわ」は、お転婆な少女のしゃべり方として認識されたとか。

 ですから、日本の女学校のヒエラルキー最上位である華族のための学校「女子学習院」に通う真のお嬢様が、そのしゃべり方をしないのは、当然のことだったのです。
「女学校」と「女子学習院」、似ているようで全然違うのですね。

 それではみなさん、ごきげんよう〜。

デイリー新潮編集部

2018年11月29日 掲載

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