社会に出て役に立つ子、稼げる子を育てるため、多くの親がお金と労力を惜しまない。しかし、国立筑波大学付属小学校に30年余り勤務し、現在は副校長を務める田中博史氏は、日常の接し方にこそ子どもの「考える力」(または「知的に動ける子ども」)を育てるチャンスがあるという。その子育ての具体的な方法を、実例とともにくわしく聞いた。

お母さん、あなたの負けですよ

夏休みの旅行中、周りを見渡すとたくさんの親子連れ。楽しそうな旅の最中なのに、子どもが泣きべそをかいていた。どうやら親子喧嘩勃発のよう。

漏れ聞こえてくる子どもの言い分は「ぼくは聞いていない」「そんなの初めて知った」「ぼくはやりたくない」という言葉。どうやら親子で行うイベントを親が勝手に申し込んだことが原因のよう。小学校の低学年の男の子だった。

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傍で聞いていると、この男の子の言い分の方が筋が通っていて、私は心の中で(お母さん、あなたの負けですよ 笑)と言いたくなるが、まあそこは突然変なおじさんが乱入しても仕方ないので知らん顔。すこしして、実はすぐそばに父親もいたことに気がついた。さわらぬ神にたたりなしを決め込んでいる。まあ、これはこれで賢いのか。どちらの味方をしても禍根を残すと判断したらしい……。 

でもスマホをいじりながら事態がおさまるのを待っている父親の表情は、明らかに画面には目は注いでいない。健気なお父さん、頑張れ。応援したくなる。

こうした光景、皆さんの周りにでもたくさん起きているのではないか。

子どもの「考えたい」という気持ち

私は、この原因は、子どもたちが小さくても既に「自分で考える生き物」だということを、親が認識するのが少し遅いからだと思っている。

彼らは体は小さくてももうりっぱなひとりの人間。逆に言うと、彼らは本当は最初は自分で「考えたい」のだ。

しかし、日々、すべてを先に決められてしまう生活を繰り返していると次第に他に頼るようになってしまう。プリントやワークシートの試験問題などの時だけ考えさせようとするけど、そうはいかない。

他の人に決めてもらう方が楽な時間をたくさん過ごしていた子どもは、こうしたテストのような問題の時にも、自分で決めないですぐに他の誰かを頼るようになる。

頭ではわかっているのに、できない親たち

さて、そう考えて、先ほどの親子喧嘩の原因を見てみると、せめて参加するイベントぐらい子どもと話し合って決めてもよかったことがわかる。でも、このぐらいのことはみんな頭ではわかっている。だけどなぜできないのだろう。

実は、大人の価値観と子どもの価値観がまだ一致していないことが、こうした判断のずれを生む。

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親はよかれと思って環境づくりにせっせと励むのだけど、子どもにとっては何でも勝手に決めてしまう大人と映っていて、素直に従えないでいる。大人の動きが一歩速いことが原因。

これは学校でも同じ。

担任の先生がいつも説明調になってしまうクラスは、子どもたちはいつも自分たちで決められないでいてストレスがたまる。次第に受け身になり覇気のないクラス集団になる。担任はその原因を子どものせいにするが、実はそうではない。この悪循環は、もしかしたら職場でも同じだろう。

決めさせること、選ばせること

親子関係に話題を戻そう。

先の親子の例は特別かもしれないが、たとえば次のようなことは、書店に行くと必ず出会う光景。子どもが本を買ってくれと親にせがむ。でも親が読ませたいコーナーには子どもは興味を持ってくれなくて、読ませたくないものばかりに目が向いてしまい。「そんなのたくさん持っているでしょ」の一言でまたまた喧嘩の原因をつくる。

どうだろう。これなら皆さん覚えがあるに違いない。少し焦らないで、子どもの価値観が親に近づくのを待ってみたらどうだろう。いやそもそも高度な本や問題集にあせって出会わせなくても、考える子に育つ環境づくりはもっと身近なところにちゃんとあると思ってほしい。

まずは日々の手伝いやお出かけの時の小さなことで、子どもたちに試しに「決めさせてみよう」「選ばせてみよう」。

たとえばお出かけの時。

丁寧な親は靴まですべてそろえてしまっていないだろうか。

たまにはいじわるして、とってもいい天気なのに長靴を置いてみたりする。我が子がどのように動くか少し離れて観察してみると面白い。もしも、何も疑わず長靴をはいて天気のいい日にでかけていったとしたら、少し我が子への接し方を見つめなおした方がいいかもしれない。これではどんなにペーパーテストでいい点がとれる子だったとしても生きる力としては課題が残る。

もしも、長靴を見て、「お母さん、どうして長靴なの」と尋ねたり、「玄関のドアをあけて、外を見て「これだと暑いんじゃないの」と言い出したら自分の子育てはまだバランスはいいかなと自信を持とう。たったこれだけでも、子どもとの付き合い方が変わるきっかけになる。

食事の準備を手伝わさせている時に、わざとスプーンや食器を足りなくしておく。子どもが数が合わないよと言い出したら、「えー、ごめん。じゃあ、お願いしていい?」と頼む。

友達が来ていたりお客さんがいて人数が多い時ほど面白い。「えーと、スプーンは4つで出てるから、あと3つかな」と指で確かめたり、コップに対応させたりして子どもなりの工夫をする。この時も親は少し引き下がって、わざと準備していたものを一つずつ運んでみせて忙しくしてみせる。

子どもが「足りないものを数えて一度に持っていけばいいのに」と言ってくれたらまたまたそれを頼む。こんな小さな小さな場面が毎日の中にはたくさんある。ただし、親が任せてもイライラしないことにしておかないと、せっかくの場面も台無しになるからご用心。

身の回りに子育ての教材はいくらでもある

先日は、飛行機の中で通路を通る親子連れの会話を聞いていて面白かった。父親が後ろから来る子に「かばんは体の前だよ」という指示をしつこいくらい繰り返しながら通っていく。後ろの子どもはもううんざりという顔。お父さん、そのぐらいその子も考えられるから任せてみれば……と言いたくなった。

でも、ふと思う。私も自分の家族といる時はきっとこうして口やかましく指示を出し続けていることがあるかもしれないなあと。他人のことならば大人と子供のこうした会話を冷静に見守ることができるのに、自分のこととなるとできないのが人の常。

つまり誰もが評論家のようなコメントはすぐに言えるようになる。でもその時、批判だけでなく自分だったらどうするかなといつも考えてみるように努めていくと、身の回りは子育てのためのいい教材がたくさんあることに気がつく。

我が子が考える子になるように日常の接し方をこうして少しずつ変えていくことができたら子どもが知的に動けるようになる。

プリントやワーク問題を面白がって解く子どもはこの次のステップにいる。逆にプリントやワーク問題をいくら得意気にさくさく解いても生活力のない子のままでは社会に出て役に立たない。そんな張りぼての様な知識をあわてて詰め込まなくても、毎日のバランスの良い子どもとの接し方の中で子どもの考える力はちゃんとつく。

大切なのは、その子の傍に一番長くいる大人自身のバランス感覚かもしれない。

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