親だからという理由だけで許す必要なんてない(写真:尾形文繁)

「いくつになっても自分にひどいことをした親は、許さなくていいんです」
漫画家の菊池真理子さんは、穏やかな、けれども毅然とした口調でそう言い切る。菊池さんの2冊目の著書となる『毒親サバイバル』は、いわゆる「毒親」家庭で育った元・子どもたちの体験を描いたノンフィクションコミックだ。本書に登場する11人のサバイバーの中には、一般の会社員や子育て中の主婦のほか、WELQ問題の火付け役となった記者の朽木誠一郎さん、漫画家の米沢りかさん、AV監督の二村ヒトシさんなどの著名人もいる。
暴言や暴力、過干渉などで子どもを追い詰め、支配下に置こうとする親や祖父母たち。そんな大人たちのもとで育った子どもたちに、共通するのは自己肯定感の持ちにくさだという。 
前回記事で『毒親サバイバル』より第1話を特別公開したが、今回は自身もかつてアルコール依存症の父に振り回された「毒親育ち」の過去を持つ菊池さんに話を聞いた。
前回記事:家という密室でまかり通る「おかしなルール」

想像を絶する親たちの所業

――「毒親」という言葉が広がりつつあります。

今回、『毒親サバイバル』というタイトルの本を出しましたが、私は「親」の本を作りたかったわけではないんですね。毒親をサバイブしてきた子ども、つらい環境を生き延びることができた元・子どもたち側に寄り添った本を描きたかった。

私自身もアルコール依存症の父親にずっと悩まされてきました。ですから、取材前からある程度は想像できた部分もあったのですが、実際に取材を重ねてみると、被害のひどさは想像以上でした。

一方的な価値観の押し付けや、きょうだいの差別、24時間ネチネチと小言を言い続ける親、パチンコのために子のお金をむしりとる親、崩壊した家庭から一人だけ逃げ出した父、子どものすべてを許すことで支配しようとする母、孫に暴力を振るう祖父……。

でも、こんなふうに言葉で説明しても、経験していない人にはそういった行為が子どもにどれだけダメージを与えるのかがイメージしにくいですよね。さらには、実際にそういう家庭で育った子ども自身も、「自分の家がおかしい、ヘンだ」ということに、なかなか気づけないものなのです。

――親だけでなく、祖父母が「毒」を撒き散らすケースもあるのですね。

おじいちゃん、おばあちゃんという存在は、無条件に孫をかわいがるものだという幻想がありますよね。でも、現実には孫を階段から突き落としたり、性的虐待ともいえる行為を強要したりする祖父母もいる。ショックでした。

――なぜ「毒親」になってしまうのでしょう。

根底にあるのは「他人を思いどおりにしたい。そうじゃないと自分がないがしろにされている気がする」という気持ちではないでしょうか。子どもが自分の言うことを聞かない、妻や夫が自分の思いどおりにしてくれない、始まりはそういうところかなと思いました。

――家族の問題という以前に、夫婦間の問題である場合が多いんですね。

ただ、外から見ると何の問題もないように思える毒親家庭も多いんです。本にも描いていますが、漫画家の米沢りかさんのおうちは、バカラのグラスが出てきて、お兄ちゃんたちは高学歴で、娘はピアノを弾いているようなおうちなんですよ。絵に描いたような幸せな家庭に見える。でも、実際は娘である米沢さんは、母親から毎日のように腐ったものを食べさせられていた。

よその人がそんな実情を知ることなんて、どうしたって不可能です。近所の人が毎日の夕食をチェックするわけにもいかないし、児童相談所に任せてもそこまでは難しい。

――実際にひどい親、おかしな家庭で育てられた10人の方々の話を聞いてどんな印象を受けましたか。

いろんな方々がいましたが、育った家から出た後も、生きづらさが続いているという点は私も含め、皆さんに共通しているところだと感じました。人との距離感がうまくつかめないから恋愛がうまくいかなかったり、自己肯定感の低さから他人に不信感を抱いてしまったり……。

ただ、そういった生きづらさをどう乗り越えていくかは、本当に人それぞれでしたね。家=戦場というイメージがあるから結婚しないと決めている人もいれば、結婚して子どもを産んだことで逆に「命をもらった」と思えた人もいる。みなさんに共通しているのは、社会や家族以外の人とのつながりがきっかけになっていました。

「殺人者を許せ」とは誰も言わないのに

――被害を受けた子どもたちを社会がすくい上げるために、どんなアプローチがあると思いますか。

まずは現実問題として、こういう毒になる親がいるという事実を広く世間の人々に知ってほしいです。そこから少しでも早い段階で、「うちのお父さん、お母さんはもしかして変なんじゃないか」「普通の家とは違うのでは」と子どもたち自身が気づけるような社会の空気を作っていきたい。このマンガなり、ほかの本なりをきっかけに、世間の論調を少しでも作っていけたら、と思っています。

――世間は「家族の絆」を過剰に美化する方向になりつつもありますね。

テレビや映画のように、本よりもっとマスなメディアになると、親子の物語は「最後はわかりあえてよかった」というハッピーエンドが圧倒的に多いですよね。原作がそうじゃないものでも、ドラマ化されるとそんな結末に書き換えられてしまう場合もある。

『毒親サバイバル』で取材させていただいた文筆家のアルテイシアさんは、そういった現象を「毒親ポルノ」という言葉で表現されていました。
そして毒親ポルノのドラマを見て感動する視聴者の中には、親から逃げてきた元・子どもに向かって「あなたもいつまでもトラウマとか言ってないで、親を許してあげたら」と言い出す人が必ずいるんです。善意のつもりのその言葉が、なんとか逃げて生き延びてきた元・子どもたちをどんなに苦しめているのか、どうか想像してみてください。

ずっと虐げられてきた子どもの視点に立って考えたら、「許してあげなよ」なんて絶対に言えないはずなんです。毒親という言葉はそもそも『毒になる親』(スーザン・フォワード)という本が由来なのですが、親子間の虐待について書かれた『魂の殺人』(アリス・ミラー)というロングセラーの名著にもあるように、親から「魂を殺された」子どもは決して少なくない。

そう考えたら、「殺人者だけど許してあげなよ」なんてことは絶対に言えませんよね。殺人者に「孫の顔を見せてあげなよ」なんて言う人はどこにもいません。歳月が経ったからといっていじめっ子を好きになることがないように、自分をいじめておいて謝罪も何もない人間を、親だからという理由だけで許す必要なんてないし、それでいいんです。

親は子に有責、子は親に免責でいい

――親子の関係は一般論ではくくれない。毒親の被害を受けた人も、そうでない人も、そこに気づくことが始まりかもしれません。

幸せな家庭で育った人には、毒になる親・家庭もあるんだ、ということを知ってもらうだけでもいいんです。親からひどい目に遭わされて育った私たちも、「そういう幸せな家庭もあるんだな」という事実を事実として受け止めるので。

毒親育ち同士だと、つい「ひどい目に遭った人同士じゃなきゃわからない」と閉じてしまいがちになるし、私自身もその気持ちはすごくわかる。でも本当はただ育ってきた環境が違うだけの話であって、どちらかが無知だとか偉いとかではないんですね。どちらもマウンティングしあうのはやめましょう、ということは伝えたいですね。


――子どもは、親側の事情を汲み取らなくていい?

親は子に対して責任はありますが、子は親に対して免責。「親を嫌いになる」ことも免責の範囲内です。お互いが大人である配偶者間は有責だけど、子は免責でいいと私は思っています。

親が暴力を振るった背景には、もちろん何か理由があるのでしょう。暴力を振るった親の気持ちに寄り添う周囲の人はいてもいいんです。でも殴られた側である子どもが、殴った親に思いを寄せる必要はまったくない。ましてや、感謝なんて絶対にしなくていい。そこから生き延びただけで、今生きているだけで十分ですよ。そのことを、これからもマンガを通して伝えていけたら、と思っています。