今年1月に続き、二度目の「アメリカ留学」へと旅経つと噂される、ウーマンラッシュアワー村本大輔氏。いま村本氏が日本で感じている「息苦しさ」について、ノンフィクションライターの中原一歩氏に語った。

呆れてしまうんですよね

村本:昨年末に放送された「THE MANZAI 2017」で、ウーマンラッシュアワーが北朝鮮とか、原発とか、沖縄とか、米軍基地とか、いわゆる‘’政治的なネタ‘’をやったじゃないですか。

それ以降、「村本はテレビから干されたんじゃないか?」って言う人がいるんです。あるいは「もっとテレビに出られるようなネタをやった方がいいんじゃないですか」とか、真顔で忠告してくるヤツまでいる。

ちょっと待ってくれ。おまえらは、どこまでテレビ至上主義なんだ。そして、なぜ芸人は常に「選ばれる」側で、こっちが番組を「選ぶ」側だ、という発想がないのか。

呆れてしまうんです。そうやって「テレビに出てない」「テレビに出た方がいい」っていう人は絶対、お金を払って舞台を見た経験がないんですね。

僕らが主戦場としているのは、テレビではなく、「なんばグランド花月」などの「劇場」です。そこでは、数え切れない有名無名の芸人が、日夜、自分たちが目指すオモロイ漫才をやっています。若手もベテランもない。誰よりも多くの笑いをとった者勝ちの「無法地帯」です。

とくに単独ライブを観にきて下さるお客さんは、お気に入りの芸人の、あのネタが聞きたくて、わざわざ時間を作って、チケットを買って、劇場に足を運んでくれます。そこは、客と芸人がリアルでつながり、舞台の空気を共有する現場であり、単に「テレビに出ている芸人」を見る場所じゃないんですよ。

確かに僕はテレビの選挙特番に出て、「選挙行ったことない」とか言ったり、田原総一郎さんが司会をやってる「朝まで生テレビ」に出て「日本国憲法第9条の2項なんて読んでない」と言って袋叩きにされるなど、いつも炎上してばっかですよ。そのうえ、「THE MANZAI」のような大きい番組でも政治的なネタをやるわけですから、会社(吉本興業)とすれば、多分、手のつけられない問題児なんでしょうね。

仕事に影響? ないわけないですよ。この前もある番組から仕事のオファーをもらったのですが、「あの漫才じゃない漫才できますか」と言われたので、断りました(笑)。

街を歩いてたら突然……

_____漫才のネタに政治を取り入れるようになってから、身の回りに何か変化はありましたか?

村本:それまで見たことも、会ったこともなかった団体の人から声がかかるようになりました。賛同できる主張も中にはあるのですが、だからといって、頼まれても協力はしないですよ。個別の主張を持つ特定の団体の拡声器の役割を担いたくないんです。俺の声とあんたの声は、同じようで「違う」ことを知ってほしい。それに、僕は影響されやすいタチなんです。だから、危うい(笑)。

また、村本の主張そのものが気に入らんという人も増えました。突然、街を歩いていて「おい、売国奴」って言われた(笑)。この前なんか、広島のある地方で居酒屋に入ったら、僕のファンだというおじさんと、僕のことが大嫌いだというおじさんが2人いて、この2人が僕のことで大喧嘩を始めました。

それが、右翼のおっちゃんとね、左翼おっちゃんなんです。お互いに僕のことをけなして、僕のことをかばって、大げんかですよ。それはそれで端から見ていて面白かったのですが、自分だけ正しいと思ってることを疑わない人とは、会話続かないですよね。だって世の中なんて、自分と相容れない意見ばかりじゃないですか。

_____もともと「お笑い」は弱者にとっての武器だと、村本さんはおしゃっています。

村本:世界のお笑いは、相手が強ければ強いほど、権力であればあるほど、それをネタにしてこき下ろします。ホワイトハウス特派員協会の晩餐会では、出席したコメディアンが過激な政治風刺ネタをやって、会場を沸かすのが伝統です。その風刺があまりにも的を得ているから、トランプ大統領はその晩餐会を欠席したくらいですから。

世界で名声を得ているコメディアンの多くは、黒人や移民、レズビアン、最近ではトランスジェンダーなどの社会的弱者=マイノリティ。彼らの笑いには、到底、勝てる気がしません。社会的に弱い立場だからこそ、皮肉やパロディ、自虐など「毒」のある笑いを駆使して強者=権力者に喧嘩を売るんです。

生物の世界でも「毒」を持つのは、クモとかヘビとかカエルとか、生態系全体からみれば、小さく、ごく弱い生き物です。小さいからこそ自分の身を守るために、「毒」という禁じ手を使って相手を倒そうとする。けれども今の日本のお笑いの世界は、強い者が毒を持って、執拗に弱者を攻撃している構図になっているような気がします。

忖度しすぎ

_______日本では政治や社会を風刺するネタをやるのは、リスクなんでしょうか?

村本:テレビの出現がお笑いの世界を変えてしまったんです。テレビはCMが収入源で、スポンサーがいないと成り立たない。だから、当たり障りのない人畜無害のネタをやるしかない。政治をネタにしてはいけないというルールが存在するのではなく、「スポンサー」の存在を、それこそ過大に忖度して、芸人が自粛してしまう傾向があるのは間違いない。

僕はできるかぎり自由に発言したい。僕にとって最大のスポンサーは、劇場に足を運んでくれるファンですが、その中にも「急に政治的なことを言い出して、どうした?」、「お笑い芸人はお笑いっぽくいてください。ファンだったけど嫌いになりました」っていう人もいるんですよ。

お金を払ってくれるからと、その人たちのご機嫌伺っていたら、僕はその人たちのなってほしい僕にしかなれない。つまり、誰であろうと自分の言葉を縛られたくないんです。もちろん、それだけでは食べていけないので仕事は仕事として全うしますけど。

______自分と意見が異なる人と対峙した時はどうされるんですか?

村本:意見の相違なんてどこにでもありますよね。意見が違う人との対峙は、社会全般においてよくあります。声をあげるって大事なことで、とくに怒りを感じることに声をあげることは人間として当然です。怒ることは「知る」こと。理不尽な現実を知ることで、怒りが込み上げるのは、人間として当たり前の感情です。

ただ、その怒りの発端となった現実について、自分がどこまで理解しているかを考えず、怒りだけを一方的に爆発させる人が多い。ツイッターなんかその最たるものですよ。タイムラインに溢れる断片的な情報に影響されて、怒る。おかげで、僕のタイムラインはいつも炎上ですよ。

「段差」を楽しむ

_______断片的な情報でも一度火がついたら始末に終えませんからね。

村本:こんなことがあったんです。秋田におばちゃんが一人でやっている大好きな食堂があって、そこのカレーライスがめちゃめちゃうまいんです。なんの変哲もないカレーなんだけど、なんともいえない懐かしい味がする。秋田にライブに行った時、そのカレーがどうしても食べたくなって、ライブの合間に時間を見つけて足を運んだんです。けど正直、初めて食べた時ほどうまいと思わなかった。なんか、バーモントカレーの味がしたんです。

そんなわけないかと思ったのですが、堪えきれなくなって、そのおばちゃんに「これバーモントカレーですよねぇ」って言ったら、「そうですけど、何か?」って。そのときびっくりして、ホンマかと思って「この店、バーモントカレー出してる」みたいなことをツイッターに書いたんです。

しばらくしたら、タイムラインが荒れているんです。

「西城秀樹さんをバカにしてる」って(笑)。

___ああ、バーモントカレーのCMやっていた西城秀樹さんが、ちょうどその時亡くなったタイミングだったんですね。

村本:これが、これがね、ボケかなと思ったら、書き込みしているやつがマジなんですよ。バーモントカレーを店で出して何が悪いって。大スターである西城秀樹さんが亡くなったにも関わらず、お前はそれをネタにしているんやろって。もう何の疑いもなく僕を攻撃しよるんです。

まあバーモントカレーはともかく、最近、気になるのは、どこから見ても、この情報はフェイクだよね、という悪意を持って創作された悪質な書き込みさえも、それをひとつの根拠にして他人を攻撃する人が多い。少し調べればフェイクだと分かるのですが、それすらも疑わない。そして、自分は間違っていないと「正義」を振りかざして怒る。そういう人に僕、絡まれやすいんです(笑)

_______芸人として原発でも在日でも障害者でも、ネタにはタブーを作りたくないという信念があるそうですね。

村本:僕は目に見えない「段差」を楽しもうと言っているんです。段差ってなくならないですよね。神様が世の中の全員を同じ顔、同じ体型、同じ境遇にして、あらゆる段差をなくせば話は別ですが。現実はそうはいかない。

仲のいい後輩芸人に、生まれつき足に障害をもったチエちゃんという子がいて、よく飯を食いに行くんです。この前も「チエちゃん、飯行こう」って声かけて、一緒に歩き出したんですが、当然、僕のほうが歩くの早いから、気がついたらチエちゃんを置き去りにしてたんです。

「チエちゃん、ごめん」って謝ったら、「いいですよ」って。しばらくして、また僕が彼女を置き去りにしていて「チエちゃん、ごめん」。

これを何度か繰り返したんです。すると最後にチエちゃんが呆れた顔で「健常者って学習能力ないっすよね」って言ったんです。

これがむちゃくちゃおもしろくて。その瞬間だけど、僕と彼女の間の身体的な段差がなくなって自由になったんです。これは彼女がマイノリティで弱者だからこそ、面白いわけで、それをネタにできるチエちゃんのユーモアだと思うんですよ。

段差という意味では、僕は「中卒」というコンプレックスがありました。

よく、お世辞で「学歴なんて関係ないよ」という人がいるんですけど、僕の場合は「おい、中卒ー」とか突っ込まれたほうが嬉しかった。学歴という意味では僕も弱者なんだと思っています。だからこそ、強い者にただひれ伏すのではなく、その怒りをユーモアにして舞台にぶつけたいですね。正しいだけ、真面目なだけでは絶対に伝わらない。

言いたいことを言う

__________ユーモアは社会の段差を楽しむために必要不可欠な感性なんですね

村本:ただ、このユーモアというのは、相手が自分を肯定してくれる環境でなければ成立しない。だから、僕は話の最後に「今日も受け入れてくれてありがとうございます」って言うんですよ。僕は福井県の「大飯原発」のある町で生まれました。学生時代から社会や自分に言いたいことがあったんですが、政治や社会のことを周囲に話しても、「難しいことを言うな」とか、「おまえ、どうしたんや」とか言われてきました。

そんな難しいこと考えんでええやんかと。それが、芸人になって、自分の話を聞いてくれる人が現れて、自分の思いを様々な形で表明できて、すごい嬉しかったんですよ。漫才師でも2パターンいるんですよ。ウケるだろうなと思って漫才やってるやつと、これが言いたくて吐き出してるやつ。僕はどっちかというとこれが言いたくて吐き出してるんですよ。こんなんだったらウケるだろうなっていうようなやつのような人生は歩みたくないんです。

________自分の信念を貫くため心がけていることはありますか?

村本:人間には2つの感情のペダルに足をかけていると思っています。芸人として、社会や政治を扱う時、そして、自分の意見を舞台で大放出する時。いつも心がけているのは、常にアクセルのペダルばかり踏んでいないか。大事なのはブレーキのペダルだぞって。いつも言い聞かせています。理不尽な現実に声をあげるのは大切なこと。そういう時こそ慎重に言葉を選ばないといけない。

例えば路上で行われるデモで、自分たちの主張を声高らかに訴え、社会を変えようという気持ちは尊いと思いますが、感情にまかせて、アクセルのペダルだけをガンガンふかした結果、見えなくなるものがきっとあります。自らの感情にブレーキをかけることは難しい。怒りは吐き出してなんぼですから。

例えば10人中、9人が感情のままにアクセルを踏めば、集団心理として、半ば最後の1人も踏まざるをえない状況になります。その最後の一人が、「これ、ちょっとおかしくない?」って、ブレーキを踏める人間だったらいいけど、そうじゃない場合、それこそ感情だけが暴走して手がつけられない状態になる。

_______これからも芸人・村本大輔は吠えまくるということですね。

村本:やっぱり、自分の言いたいことを言う。これは痛快で、最高ですよ。もう別にこれで干されても、何されてもいい。やっぱり、自分の言いたいことは、誰にも止められない。僕は舞台で喋っている時、水を得た魚じゃないけど、すごく気持ちいい。海面に出てきて、思いっきり空気を吸う。あの感じ。逆に、何も言えない時は、深海に無理やり潜らされた感じで苦しんです。

僕は所詮、お笑い芸人。社会を変えるとか政治に物を言うとか、それよりも、舞台のど真ん中で、自分の言いたいことを笑いに変えて言いまくる。もうね、誰にも止めることはできないんです。忖度なんて、糞食らえですよ。

(撮影/丸山剛史)

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