1913年建築の京大「吉田寮」。そこでいま、寮生と大学がおおもめしている。耐震強度に問題のない新棟の住人も含む全寮生に9月末までの完全退去を求めている。なぜこんな事態になっているのか。背景にはゴリラ研究の第一人者である山極寿一京大総長以下、学生をゴリラ以下に扱う大学側の体質が見え隠れする。

京都大学総長・山極寿一氏はゴリラ研究の第一人者

京大の公式ホームページ内にある総長スペシャルサイト「総長、本音を語る」には、こんなメッセージが掲載されている。「学生と教員が一緒になって『おもしろいこと』を発想する。それも全力で真剣に。それをずっと実現し続けられる京都大学にしたい!」。

これが総長の本音であるならば、いまの吉田寮の状況の矛盾を認めているということか。それとも本音と見せかけた建前か。ここ数年、京都大学は吉田寮存続の意思を蔑ろにしてきた。自治寮ならではの文化が生まれ、著名人も輩出してきた吉田寮は「おもしろいこと」を発想する場だというのに。

京都大学と吉田寮は、長年にわたる議論と約束によって関係性を築いてきた。その約束を表す確約書には、吉田寮の運営について大学が一方的な決定を行わないことと同時に、確約は次期の学生担当理事の副学長に引き継ぐことも記されている。これにより世代が変わっても積み重ねてきた交渉が振り出しに戻らぬようバトンを渡してきた。

2008年に大学側が引き継がれた確約に難色を示したときには、文言の表現を譲歩し2年半かけて締結。15年に大学が入寮募集停止の通知を一方的に発表した際には、団体交渉を経て大学側は確約違反であったことを認め、決定ではないという新たな確約も結んだ。両者は対立しがちな一方で、新棟建設や寮食堂補修を実現させてきた。

かつての京大には、吉田寮と対立しつつも学生と向き合う姿勢が多少なりとも感じられた。だが、いまの京大からは微塵も感じられない。

■「退去期限は9月末」京大の寮生が“恫喝”されている

17年12月、何の前触れもなく大学側は耐震性を理由に退去を通告した。老朽化問題解決のために積み重ねてきた歴史がまるでなかったかのように反故にされた。対策をめぐっては歴代の学生担当理事と補修実現の協議を続けることが確約され、寮生側が提示した補修案の同意もされており、補修の本格始動直前だったのだ。しかし、15年の3月から大学側は団体交渉の場を拒否し、寮生側が補修案の見解を尋ねても「検討中」とし、先延ばしにしてきた。

さらに、18年7月の交渉では寮生へのハラスメントがあった。大学側が、建設的な話し合いを実現するためとして、かつての団体交渉ではなく少人数交渉での実施を譲らず、それを寮生側が受け入れたうえでの開催だった。

吉田寮の交渉報告によると、川添信介理事は「僕たちは君たちにけんかを売られている」「自己認識が足りない」「けしからんことをやり続けている」などと、怒声を交えて寮生側に辛らつな言葉を浴びせた。寮生側が「恫喝されても困る」と伝えると、「恫喝ととっていい」と川添理事は認めたという。

これについて大学側からの謝罪を求めたが応じることはなかった。また大学側は、話し合いの合意内容や検討事項を文書にまとめることを拒否し、8月の話し合いでも合意形成に応じることなく、理事長は「意見は聞いた」とだけ言い残して会場から退出した。これのどこが建設的なのだろう。

そのほか、大学側が退去理由に「居住者が把握できないこと」を挙げたため、寮生側は寮生名簿を提出したが、受け取りを拒否するなど、どうあがいてもムダだと言わんばかりの態度だ。完全退去の18年9月末までもう1カ月を切っている。まるで寮生側が諦めるのを待っているかのようである。

山極総長は04年の他メディアのインタビューで、ゴリラの魅力について「お互いの顔を見つめて、コミュニケーションを図るところ」と話していた。また「(ゴリラに『出て行け』とドラミングされても)そこで、逃げないことが大切」と指摘。「何度も突進してきますがひるまずにじっと立っていると、そのうちあきらめて何もしなくなります」とも語っている。恫喝までされ完全退寮を迫られている吉田寮生はこれをどう捉えればいいのか。

(フリーライター ツマミ 具依 写真=時事通信フォト)