安易なレッテル貼りは危険です(写真:IYO/PIXTA)

この春(2018年)に大学を卒業して就職した新入社員は、「フルゆとり世代」と呼ばれているそうです。


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この言葉には、「小学校に入学したときからゆとり教育を受けてきたとんでもない世代」というニュアンスがあります。そもそも、ゆとり世代は、その言葉が登場したときから評判がよくありませんでした。曰く、ゆとり教育で学習内容を削減したので学力が低い、仕事よりプライベート優先、主体性がなく指示待ち、しかられると立ち直れない、現状に甘んじて向上心がない、などなど。

ところが、最近は、本田圭佑、高梨沙羅、羽生結弦、大谷翔平などのアスリートの活躍によって、ゆとり世代の評判に異論が出てきました。学校教育にゆとりがあったから好きな道に打ち込めた、物怖じせずに自分らしさを前面に出せる、これからのあるべき日本人の先駆け的存在、など。本当に、メディアも世間も手のひら返しがすごいです。

「○○世代は…」という安易なレッテル貼り

では、本当のところはどうなのでしょう? ゆとり世代はダメなのでしょうか? それともすばらしいのでしょうか? 私の考えを言わせてもらえば、そのどちらでもありません。というのも、そもそも「○○世代」とひとくくりにしてレッテルを貼ること自体が間違っているからです。もちろん、どの世代にもちょっとした特徴的なものはあるかもしれませんが、そんなものは微々たるもので、個人差のほうがはるかに大きいのです。

どの世代にも、主体的な人もいればそうでない人もいます。向上心がある人もいればそうでない人もいます。すべてにおいてそうですし、当たり前のことです。でも、「○○世代は……」というレッテルを貼ることで、その当たり前のことが忘れられてしまいます。これは実はとても危険なことなのです。

社会学者ベッカーがラベリング理論で明らかにしたことですが、ひとたびレッテルを貼られた人は、そのレッテルのもとにアイデンティティを確立するようになります。「不良」というレッテルを貼られると、「どうせ自分は不良だから」となって、その方向に進んでしまうのです。ゆとり世代というレッテルを貼られた若者たちの中には、それによって自分に自信が持てなくなるということが実際に起きています。

私がある専門学校の先生たちに講演をしたときに、ある若い先生が「私はゆとり世代で自信が持てない。こんな自分が先生でいいのか? 生徒たちに申し訳ない」と発言しました。同じ話はある自営業の2代目社長からも聞きましたし、幼稚園や学校の先生たちの研修会でも聞いたことがあります。

もう1つの危険性は、安易なレッテル貼りをする人は、それでわかった気になり、観察力や思考力が鈍る可能性があるということです。これが自分の仕事や人生にとっても本当に大きなマイナスになります。というのも、鋭い観察力とそれに基づく深い思考力は、仕事においてもプライベートにおいても非常に重要な能力だからです。それがない人は観察停止と思考停止の状態に陥り、つねにステレオタイプな認識しかできなくなります。

古代中国の伝説的な名医の話

ここで、観察力の大切さを考えるうえでとても参考になる話を紹介します。古代中国に扁鵲(へんじゃく)という伝説的な名医がいました。扁鵲は3人兄弟の末っ子で、長兄と次兄も医者でした。ある日、魏の文王が扁鵲に「3人の中で誰が1番の名医か?」と聞きました。すると、扁鵲は「1番は長兄、2番が次兄、私は1番下手です」と答えました。次に、文王は「では、なぜ上の2人は有名ではないのか?」と聞きました。すると、扁鵲が非常に面白い返答をしました。要約すると次のようになります。

自分(扁鵲)は病気が重くなってから治します。患者は苦しみ家族も心配しています。そんな中で、鍼や薬や手術で治します。ですから、私はすごいと思われて有名なのです。次兄は、患者が病気にかかり始めたとき治してしまいます。症状も少なく患者も苦しくありません。ですから、次兄は軽い病気を治すのが得意だと思われています。長兄は、症状が出る前に、患者本人も病気だと気づかないうちに治してしまいます。ですから、彼は人々から認められず、わが家の中でだけ尊敬されています。

私がこの話を読んで思うのは、長兄は観察力がすごいに違いないということです。まず相手をよく観察して、何が起こっているかを見抜かなければ不可能な話だからです。相手の表情、肌の色つや、一挙手一投足をよくよく観察して、その奥に秘められた心身の状態を見抜いてしまうのでしょう。

観察力こそ達人の条件だ

そして、この観察力こそ達人の条件です。いろいろな分野において、達人たちはみな間違いなく観察力に秀でています。たとえば、優れた教師は、朝の登校時から子どもたちをよく観察しています。そして、どの子に気を配るべきかを見抜きます。ある子は朝から親にしかられストレスがたまっています。ある子は寝不足であり、またある子は朝食抜きで空腹です。

伝説的な名医・扁鵲が先生なら、こういったことまで見抜くのだろうと思います。もちろん、大勢の子どもたちを1人で見ている現代日本の教師がそこまで見抜くことは難しいでしょう。でも、観察力のある優れた教師なら「この子は何かあったな。よい状態ではないな」ということには気がつきます。

そうすれば、何かしらの対応が可能になります。その子のところに行って話を聞くとか、あるいは雑談をしながら探りを入れるなどです。いち早くその子の連絡帳を確認して、そこに親からの連絡があれば事態を把握することができます。朝からしかられた子は、友達とトラブルを起こす可能性が高くなります。そこで、何かひとつのことで褒めたり愚痴を共感的に聞いてあげたりすれば、気持ちをすっきりさせてあげられます。それによって、トラブルを未然に防げます。

授業中に発言したいことがあるのに、自分からは手を上げられない子がいます。優れた教師はそういう子を目ざとく見つけて発言を促すことができます。表情やちょっとした仕草に気をつけて見ていれば、それがわかるのです。テレビのバラエティ番組を見ていても、優れたMCは発言したいタレントを見抜いて指名します。特に何も言いたいことがない人を指名してしまい、つまらない発言をされて白けるということは少ないです。

優れたセールスマンやデパートの店員も、客をよく観察しています。私も若い頃に、本や餃子を売っていたことがあるのでよくわかります。客をよく観察しないまま、こちらの思いで突っ走るとうまくいきません。客が自分を警戒していると気がつけば、商品の話など持ち出さずに、雑談を盛り上げる必要があります。しかも、その話題も相手の興味のありそうな内容に徹しなければなりません。セールストークに入ってからも、ここは引くところだとわかれば潔く引きます。押すところだとわかれば一気に押します。それもこれも相手をよく見ていなければわからないことです。

各分野の一流の指導者も相手をよく観察しています。女子サッカー「なでしこ」の佐々木則夫元監督もシンクロナイズドスイミングの名伯楽・井村雅代さんも、最近ではサッカー日本代表チームの西野朗監督も、選手をよく観察することの重要性をインタビューで話していました。体調、好不調、モチベーションの高さ、選手間の関係性などを見抜けない指導者では、勝ち続けることはできないのです。

会社においても、観察力がある有能な上司なら、やる気を失っている若い部下に対して「ゆとり世代だから」などというステレオタイプの認識で終わることはありません。この部下はどんな性格なのか、今どんな精神状態なのか、どんな言葉が効果的なのかなど、相手をよく観察して具体的な手段を講じることができます。

レッテル貼りをやめて観察力を磨く

子育て中の親にとっても観察力は非常に大切です。観察力がないと、思春期の息子が彼女から来たLINEにどう返事をしていいか悩んでいるときに、「もうすぐテストでしょ。勉強しなきゃダメでしょ」などと無神経なことを言って猛反発を食らうことになります。観察力があれば、今言ってもムダだとわかりますし、もっと適切なタイミングを見つけることもできます。子どもが描いた絵をよく観察できる親は、子どもがどこにこだわって描いたかを見抜いてそこを褒めることができます。子どもの情緒が不安定なときもわかりますし、体調不良にもいち早く気づくことができます。

子ども本人がやりたがっていることや、向き不向きも見抜けます。テレビ番組を見ながら一緒に体を動かしているなら、歌やダンスのDVDを買ってあげたり、お試しでリトミック教室に連れて行ったりすることができます。観察力がないと、「藤井聡太がすごいから将棋をやらせよう」「卓球がブームだからうちの子にも」などと、本人のやる気や向き不向きに無関係なものを強制して、結局親子ともども苦しむことになります。

ということで、みなさん、レッテル貼りをやめて観察力を磨こうではありませんか。相手をもっとよく見ましょう。物事や現象をもっとよく観察しましょう。そうすれば、そこに自ずと答えもあらわれてくるかもしれません。少なくともヒントは見つかるはずです。