最高裁の判断から合法的な賃金引き下げのラインを探ります(写真:CORA/PIXTA)

定年後の再雇用時に多くの労働者が直面するのが、給与をはじめとする労働条件の引き下げです。慣習として従っている人、納得はしていないが甘んじて受け入れている人など、当事者にはさまざまな考え方があるでしょう。

定年後の嘱託社員として再雇用された長澤運輸(本社:横浜市西区)の労働者が、定年前と比較して賃金が2割下げられたことに対し、待遇格差の解消を求めた裁判の最高裁判決が6月1日に下されました。

定年後再雇用者の労働条件の低下がどこまで許されるのかについて、最高裁が初めて判断を示す事件として注目を集めた裁判でしたが、最高裁は一部の手当を除き格差は合法であるという判断を示し、会社側の全面勝訴に近い判決となりました。

会社員として働き続けるのであれば、いずれは迎える定年。その後の労働条件が法律面からどのように決定づけられていくのかは、どんな労働者にとっても関心が高いでしょう。

再雇用後の賃金引き下げは合法

最高裁は、今回の長澤運輸裁判の総論として、以下のような見解を示しました。

「事業主は、高年齢者雇用安定法により、60歳を超えた高年齢者の雇用確保措置を義務付けられており、定年退職した高年齢者の継続雇用に伴う賃金コストの無制限な増大を回避する必要があること等を考慮すると、定年退職後の継続雇用における賃金を定年退職時より引き下げること自体が不合理であるとはいえない」

高年齢者雇用安定法は1971年に制定された法律ですが、2006年の改正時に65歳までの継続雇用措置を講ずることが義務化されました。1994年と2000年の年金法改正により、公的年金の支給開始年齢が60歳から65歳へ徐々に引き上げられ、60歳から65歳の間は原則として自助努力により収入を確保しなければならなくなったことが大きく影響しています。

このような事情を踏まえ、最高裁は、労働者の生活の確保のため65歳までの継続雇用は必要であるものの、企業側が65歳までの継続雇用が必要になったのは、国の法律や年金制度が変更になったからであることも考慮。定年退職後の再雇用において、たとえ再雇用前後の職務や責任が同じであったとしても、賃金が下がることは不合理ではないと判断したのだと考えられます。

また、この点につき、判決文の別部分では、以下のように判示して、労働契約法の定めにも違反するものではないことを確認しています。

「有期契約労働者が定年退職後に再雇用された者であることは、当該有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かの判断において、労働契約法20条にいう『その他の事情』として考慮されることとなる事情に当たると解するのが相当である」

労働契約法第20条とは、次のような条文です。

「有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない」

定年退職後に有期契約で再雇用されたという「事情」は、上記条文の「その他の事情」に含めることができ、事情を考慮した結果、最高裁は、再雇用後の賃金の低下は、労働契約法第20条の「不合理」な格差には該当しないという結論を出したわけです。

この最高裁が出した結論は、定年退職した労働者が再雇用された際に、たとえ「業務内容」や「責任の程度」が定年前と同じであったとしても、再雇用後の賃金を引き下げられることは合法であるということが司法的に確認されたといえます。

賃金の引き下げが無条件に認められるわけではない

ただし、最高裁は無条件に再雇用後の賃金引き下げを認めてはいません。それは、判決文の次の部分から読み取ることができます。

「定年退職後の継続雇用において職務内容やその変更の範囲等が変わらないまま相当程度賃金を引き下げることは広く行われており、被上告人が嘱託乗務員について正社員との賃金の差額を縮める努力をしたこと等からすれば、上告人らの賃金が定年退職前より2割前後減額されたことをもって直ちに不合理であるとはいえず、嘱託乗務員と正社員との賃金に関する労働条件の相違が労働契約法20条に違反するということはできない」

上記判決文の中で、特に注目したいキーワードは、「広く行われており」「努力」「2割前後」の3つです。

まず「広く行われており」のキーワードから読み取ることができるのは、最高裁は、再雇用後に同一労働内容であっても賃金が下がることは社会通念上も広く容認されていることなので、形式的に同一労働同一賃金を当てはめることに合理性がないと判断したということです。

ただし、裏を返せば、社会通念に照らし合わせて容認されないほどの大幅な賃金の低下は許されない、ということも最高裁は述べています。今後高齢者の就労がさらに進み、社会通念において「定年前後で職務や職責が同じならば、再雇用後も賃金は同一であるべき」という声が大多数になった場合は、最高裁の判断が変わる可能性は否定できません。

今回の判決が当面の指針となることは間違いありませんが、未来永劫にわたって絶対的でもないと見ていいでしょう。

次に「努力」というキーワードです。ここからは、最高裁は「定年前後の賃金格差を縮める努力を企業がどれくらい行ったのか」という「プロセス」も重視していることが読み取れます。

より具体的に言えば、本判決の事実認定において、最高裁は、企業側が再雇用後の賃金格差をなるべく小さくしようと努力をしていたことを認定し、その努力を評価したうえで、それでも生じてしまった格差はやむをえないと判断しています。

すなわち、再雇用後の賃金の低下幅が同じくらいであったとしても、企業側の経営努力が認められる場合と、再雇用者だからという理由だけで漫然と賃金をカットされた場合では、裁判所の判断は変わってくる可能性が高いということです。

定年後の再雇用で賃金が下がる場合は、企業側はその低下幅をなるべく小さくする努力が必要ですし、その理由は客観的に示されなければなりません。

定量的な判断を最高裁が示した

最後に「2割前後」というキーワードです。企業が努力をした結果生じた賃金格差であれば、少なくとも2割前後の低下までは容認される可能性が高いという、定量的な判断を最高裁が示したと読み取ることができます。

この点においては、雇用保険法の「高年齢用継続給付」という制度が参考になると思います。

「高年齢用継続給付」は、雇用保険の被保険者期間が一定以上ある定年退職者の再雇用後の賃金が定年前の賃金の75%未満に低下した場合、低下幅の一定部分が雇用保険から補填され、61%未満に低下したとき、補填幅が最大になるように制度設計されています。

このような形で設計された公的制度があることを踏まえ、国は、再雇用後の労働者の賃金が定年前の6割程度までは低下する可能性があることを容認しているとも推測されます。

ただし、この制度を設計したのは立法府である国会です。日本では三権分立によって司法府である裁判所は独立した立場で判決を下すので、再雇用後の賃金が6割以上で合法だとは必ずしも考えられません。

業務直結の手当は不支給にできない

今回の判決にあたって、最高裁は賃金低下を総額だけ見ているのではなく、賃金項目を個別に細かく分析しています。

「有期契約労働者と無期契約労働者との個々の賃金項目に係る労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断するに当たっては、両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当である」

今回の判決では、定年前と再雇用後では基本給の体系に違いがあるということと、再雇用後は賞与が支払われないこと、再雇用後は役付手当・家族手当・住宅手当・精勤手当が支払われなくなったということが争点となりました。

この点、基本給に関しては、定年前と再雇用後で体系が変わっているものの、そこには合理性が認められ合法であるとされました。賞与に関しても、定年退職時に退職金が支払われることや、年金を受給することが予定されていることを踏まえ、再雇用者に賞与を支払わないことは合法とされました。

ただし、諸手当については判断が分かれました。

まず、役職手当に関しては、正社員の中から指定された役付者に対して支払われる性質のものであり、再雇用後に支払われないことは合法とされました。

また、住宅手当や家族手当に関しても、福利厚生を主目的とした手当であり、マイホーム取得や扶養家族の生活費、子女の教育費などで負担が重いと考えられる現役世代を支援するために支払われる手当であることを勘案し、正社員に限って住宅手当や家族手当を支払うことを最高裁は適法であるとしました。

一方で、精勤手当に関しては、最高裁は次のように判示して、再雇用者にも正社員と同等に支払われなければならないとしました。

「正社員との職務の内容が同一である以上、両者の間で、その皆勤を奨励する必要性に相違はないというべきである」

すなわち、再雇用後も正社員と同等の業務を行っている場合、当該職務に直結するような手当を再雇用後に不支給だった場合は、違法となる可能性が高いということです。今回の最高裁の判決は、社会通念や、企業の一般的な実務の実態にも大きくは矛盾しません。しかしながら、「最高裁は再雇用者の賃金低下を無条件に容認した」と結論づけることもできない点は、労働者の立場でも、あるいは使用者側の立場でも覚えておいても損はないでしょう。