ベストセラー『思考の整理学』の著者である外山滋比古さんは、94歳となったいまでも広い分野で研究を続けている。「40代からの知的生活術」について聞いたところ、外山さんは「本の知識が役立つのは30代まで。40歳を過ぎたら本に頼らず、自分で考えることが必要です」といいます。その理由とは――。

※本稿は、「プレジデント」(2017年10月2日号)の掲載記事を再編集したものです。

■もっと自然に、楽しく、面白く生きることを考えよう

――若いときも将来のことを考えると不安でしたが、中年になっても相変わらず不安です。むしろ日々の仕事に加え、家のローンや、教育費、親の介護などリアルな問題が山積みで知的生活どころじゃない。でも、前向きに新しいことに挑戦していく意欲は必要ですよね?

挑戦だとか、そんな大袈裟なことしなくてもいいんです。そうじゃなくて、納得のいくことをきちんとやる。「偉くなる」だとか、「金が貯まる」だとか、「人を動かす」だとかいう力が生きていくには必要で、そのために勉強が必要だと思いがちだけれど、もっと自然に、楽しく、面白く生きることを考え始めるのが40、50代ですよ。

人にあまり迷惑をかけない程度に、好奇心の赴くまま、好きなことに取り組めばいいんです。昨日までわからなかったことがわかる面白さが味わえるというのは、成長している証しだから、続ける価値がある。

――お年を召してから司法試験の勉強をする人もいますが?

20年ぐらい前にアメリカで「スタイリッシュエイジング」、かっこよく年を取ろうと言われ始めたときも、退職後に難しい大学に入学するとか、パイロットの資格を取るとかいう例がありました。でも、それはちょっと窮屈な考え方なんじゃないかな。

■本の知識が役立つのは30代まで

それよりも自分が本当に面白いと思うことを探しましょう。何の役にも立たない、他人から見たら馬鹿みたいなことでも、好きで、活力のようなものが湧いてくる対象を見つけられるかどうかです。

――先生は長年、勉強や知的生活術に関する著作を執筆されていますが、なかでも『思考の整理学』は東大生、京大生が最も読んでいる本です。

これは20代の学生向けですから中年の人には向いていません。だいたい、勉強といえば本を読むことだと思っていること自体が大間違い。知的な活動の根本は記憶によって得られる知識ではありません。習得した知識が役立つのはせいぜい30代まで。40代ともなれば知識だけではダメです。知性を働かせなくては。

学ぶというのは、言われた通りにできる、モノマネがうまいということです。要するに創造性を殺さないとできない。それなのに試験の成績がいいことを才能だと、日本人は考え違いをしている。いくら人の模倣がうまくなっても、教育は自分が誰か、何者かは教えてくれません。

他の人が知らないことを知っていたりすると、優越感を持ったりするでしょう。本好きな人は知識があることで人間的にどんどんダメになっていく。40歳を過ぎたら本に頼らず、自分で考える。生き方のヒントを本から得て、他人のマネをしてみても、それは他人の人生の亜流にすぎません。つまり、人生の後半戦の勉強は、若いときとはまったく違うのです。

――本好きには耳が痛い話です。

昔は本が貴重品だったから、床の上に本を置くと頭が悪くなるぞと脅されました。これは本の少ないときのモラルです。よい本ももちろんありますが、基本は新聞と同じように読んだら捨てる。さっき言ったように、本が役に立つのは30代まで。そこから先は害があって益はなし。それよりボーッとして、空を眺めていたほうがずっといい。

――つまり、定年後こそ創造的なことが求められると?

知識と思考力は反比例します。知識が多い人ほど考えない。知識を自分のもののように使っていると、物マネ癖がついてしまいます。若いときは知識を蓄えることも大事ですが、知識は10年も経てば必ず古くなる。

にもかかわらず、ほとんどの人が惰性で生きているでしょう? ことに高学歴で名の通った企業や役所に勤めるほど、エスカレーター人間になってしまいますから。エスカレーターを降りる直前になってどうしようと慌てるわけです。

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▼40代から勉強の概念を変える
20〜30代:知識を蓄える勉強
40代〜:好きなことで思考力を養う記憶よりも独創的な思考力を養う
詰め込み型の勉強法が有効なのは30代まで。多くの知識を詰め込むことが評価されがちな日本だが、本当に大切なのは思考力。他人が考えた知識や思考を真似ることではない。40代からは自分なりに考えることを心がけよう。そのためには刺激的な友人との会話を大切にし、役に立たないことでも自分の好きなことにとことん打ち込むこと。

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■思考力を養って、長寿社会を生きる

昔みたいに70歳ぐらいで死ねればいいけど、80歳になっても死なないし、90歳過ぎてもまだ生きている。定年が65歳だとしても、残りの20年、30年で何をするか。それを決めるのは入試や就活よりもはるかに難しい。それが見つけられないサラリーマンの老後は哀れなものです。

長寿はいいことだと、みんな思っているけれど、すでに吉田兼好は徒然草で「命長ければ辱(はじ)多し」と書いています。長生きするということは嫌なことをたくさん味わうことでもあるのです。それは避けられないけれど、岩山をよじ登っていくように、夢中でとにかく乗り越え、先へ行く力をつける必要がある。人生を満足できるように変えるのは独創的な思考です。

――リタイア後は気ままにのんびりとが理想と思っていましたが。

悠々自適に過ごせる人なんてそうはいないでしょう。それに気楽にのんびり過ごすなんて幸福そうだけれど、単なる生物だよ。

今の中高年はぬるま湯世代だから、年金が保障されなくなるかもだとか、将来が不安になると「とりあえず金を貯めよう」と守りに入り、臆病でつまらない生き方を選択してしまう。

そもそもサラリーマンという仕事がおかしいのです。毎月の収入はある程度確保されている。でも税金をいくら払っているかは会社まかせだからよく知らない。こういう呑気な生き方というのは普通じゃないです。要するに、資本に使われている下働きですよ。会社員なんて自由もないし、たいした喜びもない。にもかかわらず、みんながそうだから、大丈夫だと思っている。

――では、40代、50代はどう学べばいいのでしょう?

中高年になると世界が狭くなってくるから、新しい知的な刺激を与え合うような仲間が必要ですね。これは本を買ってくるようには簡単にできません。なぜできないのか。まず、年を取ると身近なところで群れて、離れた人に関心がなくなるから。そして自分に人を惹き付ける力がない。

職場の同僚だとか昔の学校の友達じゃダメですよ。自分がエスカレーターに乗っていることを自覚するためにも、エスカレーターに乗っていない人で挫折をした経験のある人。そういう人と触れて、自分を知る。ときどき食事をしたりして、いろんな問題を話し合い、違う意見や発想に触れることから学ぶことは多いんじゃないかな。

生き方を見つけるために、禅寺に行って座禅を組む人もいるけれど、結局は、触れ合う人間によるわけです。思ったことが言えて、話し合える友達が数人いたらすばらしい。

――知識を詰め込むような学習は知的生活ではない?

現在の教育は、小学校から大学まで、とにかく記憶です。ところが記憶力では、人間はコンピュータには敵わない。勝てる分野が独創性や創造性だとすると、それを発揮するためには、頭の負担を軽くしなくてはいけない。

つまり、忘却です。ただ、忘れようと思っても、なかなか忘れられない。うまく忘れることができれば、頭の状態はよくなります。覚えたら忘れ、覚えたら忘れてと、どんどん新陳代謝をして、本当に必要なことだけ覚えているというのがよい頭で、なんでも全部覚えているというのは、よくない頭です。

――すると、年を取って記憶力が落ちても、ガッカリすることはない。

むしろ歓迎です。年を取ると忘れっぽくなるというのは、頭の新陳代謝が、若いときよりも盛んになっていると思えばいい。精神的健康を維持するには、嫌なことをいつまでもグジグジと頭の中に置かないで、綺麗サッパリ、寝ている間に忘れちゃう。これが大事なことです。

――忘れる技術があれば教えてください。

忘れるためにメモとか、ノートに書き留める。大事なことは書くと忘れちゃいますからね。覚えていたいならノートなんて取らないほうがいい。面白くて大事なことは忘れないです。だいたい、なんでも全部書き留めるのは真面目だけれど頭は悪い人になる。半分以上は忘れていいというぐらいの気持ちで聞いたほうが頭に入る。

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▼意識的に頭の大掃除をする
忘れる力
・体を動かす
・本は捨てる
・メモをする
・快眠の習慣忘れる技術を身につける
脳の新陳代謝をよくするには、忘れる力が必要。でも、意識して忘れようと思っても忘れるのは難しい。脳をリフレッシュするには日常生活では軽い運動を習慣化し、快適な睡眠環境を整えること。また、忘れたいことはメモにして書き出すと頭はスッキリする。つい溜めてしまいがちな本も、新聞を読んだら捨てるように手放す習慣をつけてみよう。

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――精神科医の処方でも嫌なことは書き出して忘れるというのがありますね。

頭の状態が悪いというのは、余計なことがたくさん頭の中に残っていることです。寝て起きたら、たいがい忘れていますから、朝が一番、頭の状態がいいわけ。だから夜に考え事をしてはダメで、ちゃんと寝て朝考えたほうがいい。

それと体を動かして、汗を流す習慣を持つこと。昔から賢い人は散歩を取り入れていました。一定のリズムで体を動かしていると忘れやすい。しかもその後に、ふいに面白いことが思い浮かんだりする。

呼吸も、血液の循環も、人間にとって大事なことは、みんな意識しなくてもできるでしょう。忘却も同じです。それを、学校の勉強で、忘れるな、忘れるなって、不自然なことを強いるから、おかしくなる。

現代の知識偏重社会はやっぱり不自然です。ある程度の知識は必要ですが、勉強しすぎるとダメになりますよ、人間も。40歳過ぎたらギアをシフトチェンジする。本当に楽しければ自然に努力をするし、自然と知識も得る。でも自然に忘れてしまう。発見をし、思索が深まる。その繰り返しでいいんじゃないかな。人間、知識をため込むだけではダメ。生活に根ざした自分なりの考えを持ってこそ人間なのです。

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外山滋比古(とやま・しげひこ)
1923年、愛知県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。専門の英文学をはじめ、言語学、修辞学、教育論、意味論など広範な分野を研究し、多数の評論を発表した。著書に『異本論』『思考の整理学』『知的生活習慣』ほか多数。

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(お茶の水女子大学名誉教授 外山 滋比古 文・撮影=遠藤 成)