8年前、チーム結成について語った本橋麻里

 平昌五輪で史上初の準決勝進出を果たしたカーリング女子日本代表(ロコ・ソラーレ北見)。同チームは2010年7月、キャプテン・本橋麻里が主導して結成された。その当時、彼女はどんな思いを描いていたのだろう。

 2006年トリノ五輪で一躍脚光を浴び、”カー娘”ブームの火付け役となった本橋麻里。2010年のバンクーバー五輪でもカーリング女子日本代表の主軸として活躍した彼女は、五輪後に所属するチーム青森を脱退し、新チームの結成を選択した。

 国内最強の実力を誇り、恵まれた環境にあるチームから離れ、新たなチームで本橋が目指すものとは何だったのか? 8年前にその心中を明かしたインタビューを改めて紹介する――。

* * *

――新チーム結成、おめでとうございます。

「ありがとうございます。みなさん、そう言って祝福してくれるのはうれしいのですが、まだチームとしての活動をほとんどしてないので、これからだという気持ちが強いです」

――チーム名は『ロコ・ソラーレ』。ジュニア時代のチーム名『マリリンズ』という選択肢はなかったのですか?

「私も24歳になりましたし、さすがに『マリリンズ』というのは……厳しいです(笑)。みんなで、いろいろ話し合いながら決めました。私ひとりのチームではないので、そういう時間を大切にしたいと思っています」

――さて、まずは約5年間、在籍したチーム青森を離れることになった動機を改めて教えてください。

「青森には、自分がいちばん伸びる時期にお世話になりました。しっかりと選手としてステップアップさせてくれて、世界を見させてくれました。本当に多くのことを学びました。それは、私の誇れる財産なのですごく感謝しています。

 そんな場所を離れる理由をひと言で言うのは難しいのですが、自分の限界を超えられなかった、まだまだ学ぶことがたくさんあることに気付いたからでしょうか。2月のバンクーバー五輪、3月の世界選手権と、ふたつの大きなタイトルで、日の丸を背負ったうえで実力を発揮できなかった。それはそのまま後悔として残っています」

――バンクーバー五輪では8位。世界選手権は11位。結果が出なかったことがひとつの要因になったと?

「結果ももちろんですが、五輪を最大目標にしてきたチームが、その五輪であそこまで崩れたことがショックでした。2008年の世界選手権でベスト4に入ったんですけれど、本来、あのときのような戦い方をしなくてはいけなかった。でも、日本はあそこがピークでした。他の国はあくまでも五輪を睨んでの調整で、あそこからグッと力をつけてきていたのに……」

――金メダルを獲得したスウェーデンなどもそうですね。

「ディフェンディングチャンピオンというプレッシャーの中での連覇は本当にすごいです。けど、あのチームって、トリノ以後の大きな大会では、ほとんど見かけなかったんですよ。だから、今回のバンクーバー五輪には出てこないんだろうなぁ、と思っていました。そうしたら、しっかり出場してきて、きちんと五輪にピークを持ってきて、優勝していった。『何なんだ、この人たちの調整力は!?』と、とてつもない衝撃を受けました。

 また、選手村に入ってからの過ごし方にも日本との差を感じました。ものすごくリラックスしていて、五輪を完全に楽しんでいるんですよ。そうしたことも含めて、アイスの上(の技術)だけではない、メンタルの部分での見直しが必要だと痛感しました」

――五輪の大会中、日本のメンタル面での脆さを具体的に感じた出来事はありましたか?

「予選リーグで、結果が出なくなってからですね。そういうときにはチーム内でお互いに声をかけあって、選手個々がもっと突っ込んで話し合うべきでした。もちろん、それによって意見がぶつかることもあるかもしれない。でも、絶対に必要だった。チーム状態が良くないという認識はあっても、『ここまで来て、今からチームの立て直しをするのはどうなんだろう……』と臆病になってしまった部分があるかもしれません。

 みんな、自分のことに集中するだけで精一杯になって、余裕がなかった。そんなときこそ、前回大会の経験もある私が、何かチームのためにすべきだったんじゃないか、という反省は大きいです」

――五輪を終え、帰国してすぐに全日本選手権に出場。さらにすぐ、再びカナダへと飛んで世界選手権がありました。タイトなスケジュールの中、そうした課題や反省はそのまま克服できず、置き去りにされてしまうのでしょうね。

「五輪で生じたギャップや違和感を修正する時間もなく、バタバタとしていたのですが、本当はそのスピードに甘んじて、チームの課題をそのままにするわけにはいかないんです。でも、日本代表のチームっていうのは、その中でも勝つことを期待されている。疲れていても、チーム状態が良くなくても……。

 結局、(課題の)修正はできませんでした。もっともっとメンバーがお互いの弱さを知るべきで、お互いの強さを讃え合うべきだった。そういったことを考えれば考えるほど、『ああ、私の内面にはチーム作りのノウハウがないんだ』と気付いたんです」

――4年後の五輪を見据えながら、課題を克服し、チーム作りのノウハウを学ぶことは、チーム青森に所属しながらではできなかったのでしょうか? あるいは1年間だけ、チーム青森にとどまるといった選択肢もあります。

「チーム青森は、勝利を義務づけられて、強化のスケジュールも4年単位できっちり組まれています。A代表にいて、ちょっと違和感を抱いたときに、自分なりに考えたいことがあるからといって足並みを乱すと、ものすごく多くの人に迷惑をかけてしまうことになるんです。だから、タイミングとしては五輪が終わった今年しかなかったんです。それに私の中では、チームうんぬんではないんです。まずは、自分を鍛え直さないといけないと感じていました」

――続いて、新チームについてのお話を聞かせてください。本橋さんが望んでいるようなチームが作れそうですか?

「すでに何度かミーティングを繰り返しているのですが、その度にみんな、『チームってこうだよね』という、具体的なイメージや体験を話してくれるんです。私がチーム青森に加入したときは、すでにチームは存在し、出来上がっていたところに呼ばれたので、そういった”チーム作り”の蓄積が自分の中にはほとんどない。だから、みんなから学べるところがたくさんあります。私から何か伝えることよりも、みんなから学ぶことのほうがかなり大きいです。それが将来的に、ブレない土台からのチーム作りにつながると信じています」

――頼もしいメンバーですね。

「はい。最初に会ったとき『何でも言い合っていこうね』という話をしたら、いちばん年下の吉田(夕梨花)さんがすぐに『麻里ちゃん、私、何でも言うからね』と宣言してくれたのもうれしかったですね。『ああ、昔の私みたいだ』と懐かしい気持ちにもなりました」

――本橋さんもチーム青森の先輩である小野寺(歩)さんや林(弓枝)さんに、遠慮することなく、自分の意見を言っていたんですか?

「すごかったですよ。『私はこう思います! なんでダメなんですか?』って。生意気ちゃんですね(笑)。でも、それと同じようなことを言われてわかったんですけど、そうやって本音を言ったり、聞いたりすると、すごくスッキリするんです。そこから何かポジティブなことも生まれます。

 年齢とかキャリアとかは関係なく、極端なことを言えば、選手じゃない人からでも学べる。そのことに改めて気付いた今、一瞬一瞬がとても面白いです。今後はより自分から他の選手に興味を持つのはもちろん、お互いにどんどん突っ込んでモノを言えるようにしたい。そういうチームを作っていきたいですね。

 また、個人的にはカーリングが好き、楽しいという気持ちを高めていく時間だな、と考えています。やっぱり勝つことを求められたチームでは、楽しむ余裕までは持てなかったので」

――本橋さんは自ら「成長したい」という大きな動機で新チームを結成しました。ただ、厳しい言い方になるかもしれませんが、所属先のNTTラーニングシステムズからお給料をもらって、ファンやメディアを含めて周囲の期待も大きい。自身が「成長する」「楽しい」だけでは、納得しない人もいるのではないでしょうか?

「そうですね。プロではないですが、そんなに恵まれた環境で、カーリングを自分の好きなようにさせていただいているので、より一層シビアにならないといけない。(所属先の)社長は、冗談まじりに『オリンピック、絶対、行けよ!』とか言いつつ、『自分が納得いくようにやれ!』とも言ってくれます。そういう温かい言葉をいただくと『この会社にお世話になれてよかった』という感謝の気持ちと、『やっぱり成績は出したいな』という願望が強くなります」

――では、そのチームとしての目標を聞かせてください。新チーム結成発表会見では、多くの記者が「ソチ五輪」という単語を本橋さんの言葉で引き出そう必死でしたが、最後まで口にしませんでした。

「今は、『オリンピック』という言葉が自分の中では現実的なものではないんです。求められている自覚はありますが、(五輪に対して)”肩肘張って”という状況でもありません。それよりも、目の前の1シーズンを集中してやりきる。その中に(チームの)伸びしろが含まれているんじゃないかと思っています。そして、その延長戦上に五輪は存在するので、今はそういうスタンスでいいのかな、と思っています。

 というのは、まだ私たちはアイスの上で何もしていない状態です。不安もあるし、自信だってまだない。そこで大きな目標を言うと、嘘になる。このメンバーで日本代表として戦えたらいいなぁとは思っていますが、嘘はつきたくないから『ソチを目指します』とはやっぱり言えませんでした。まずは(常呂)町内のリーグ戦です。

 ただ、常呂のリーグって、男子も一緒なんですよ。その人たちに『オヤジをなめたらいけないよ』って、何度も言われています(笑)。あの人たち、感覚で投げてきて、それがまたうまいんですよ。その厳しいリーグで目標を作りながら、今シーズンを戦い抜くこと。これが最初の目標かもしれません」

――順調にいくと、来年2月の日本選手権(北海道名寄市)でチーム青森と対戦します。

「そうなったらちょっと、くすぐったい(気持ち)ですね。チーム(青森)を離れるとき、(近江谷)杏菜は『このメンバーでまだまだやっていきたい』と言ってくれました。その気持ちは、もちろんわかります。やっぱり、あのメンバーとはずっと一緒にいたチームメイトであって、家族のような存在で、戦友でもありますから。

 でも私、びっくりするくらい負けず嫌いなんですよ。ライバルだなんてまだ言えないけれど、もし(対戦が)実現したら、チャレンジャーとして『負けたくないな』という気持ちで挑みます。冗談ですけど、お互いに『ミスしろ、ミスしろ』なんて、囁きながら試合するかもしれません(笑)。それは、とても楽しそうですね」

* * *

 当時、ほぼゼロの状態で新チームのことを語っていた本橋麻里。その内容からは、彼女が目指す方向性がはっきりと見て取れる。

 平昌で快進撃を続けるロコ・ソラーレ北見は、その清々しい笑顔のプレーが世界から賞賛されている。そのスタイルは、現在リザーブとしてチームを支える本橋の、結成時から変わらぬ理想がそのまま実現したものと言えるだろう。

プロフィール
本橋麻里(もとはし・まり)
1986年6月10日、北海道生まれ。ジュニア時代はマリリンズのスキップとして活躍。その後、河西建設を経て、2005年からチーム青森へ。カーリング女子日本代表選手として、2006年トリノ五輪(7位)、2010年バンクーバー五輪(8位)で奮闘。そして2010年7月、チーム青森を離れて、新チーム『ロコ・ソラーレ』を結成した

◆カーリング日本女子が快進撃。厄介なアイスに負けずメダルに突き進む>>

◆「カーリングの変態」本橋麻里の献身でつかんだLS北見の五輪切符>>

◆日本歴代カーリング美女ギャラリー>>

◆日本カーリング史上初の五輪メダルへ準備は整った>>