真っ暗な地下空間の「とう道」に張り巡らされた通信ケーブル。電話やインターネットなど、生活に欠かせないインフラ設備を守るのが通信建設業界の大手・日本コムシスの石川柚希さんの仕事だ。作業員を監督する難しさにどう対処しているのか?

■初めての地下「私の知らない世界がここにあるんだ」

7月某日。重い鉄扉を開けてトンネルの中に入ると、ひんやりとした空気が流れていた。

坑道内は少し埃(ほこり)っぽく、染み出た地下水による水たまりが所々にある。まとわりつくような外の暑さが嘘のように涼しい。白熱灯の列が真っ直ぐに続き、換気扇の回る音だけが轟々(ごうごう)と響いている。

東京・東陽町にある建物の地下――厳重に施錠された二重のドアを通り、地下へ向かう入り口をさらに抜ける。そこからどこまでも続くこのトンネルは、「とう道」と呼ばれる巨大地下施設だ。

石川柚希さんの勤務する日本コムシスは、主に通信設備工事などを担う通信建設業界の大手である。事業内容の1つにこの「とう道」の設備工事があり、現在、彼女はこのトンネル内の補修工事を担当している。

壁面には何本もの通信ケーブルが延び、その一本一本が途中の管路に枝分かれした後、電柱などにつながっていく。都内に網の目のように張り巡らされたその総延長距離は約290kmにも及ぶ。

「初めて『とう道』に入ったときは、ジブリの映画の中に迷い込んだようでした。『私の知らない世界がここにあるんだ』って。普段、私たちが見ている外の世界と同じように、この地下にもたくさんの人が働いている現場があるんだと思いました」

■東京の地下トンネルで迷ったこともある

ヘルメットのヘッドライトを点け、彼女は自身の担当する工事現場へと足早に歩いていく。トンネル網は上下左右と複雑に入り組んでいて、地図を見ながらでも迷ってしまうことがあるという。

「地方都市の『とう道』は、ほぼ一本道なのですが、東京は道がとても入り組んでいて、以前は作業員の方を連れながら迷子になったこともありました」

彼女が担当するのは「空洞補充工」という工事で、とう道内の壁面にできた空洞をモルタルなどで埋めるものだ。とりわけ東陽町の建物の地下から続くこのとう道は、昭和30年代にシールド工法で掘削された古い施設だ。場所によっては老朽化で壁面コンクリートの中性化が進み、それを補強する工事が日々、続けられている。

「保守点検工事と一口に言っても、現場によってやり方が常に違うんです。地下水の多いところもありますし、できてしまった空洞の埋め方にもさまざまな工法があります。その度に新しいことを学ぶ必要があって、そこにこの仕事の醍醐味(だいごみ)を感じています」

現場をよく知る協力会社の作業員たちは、工期に間に合うように手際よく作業を進めていく。彼女は彼らを監督する立場だが、「こいつはダメだなと思われたら、意見を聞かれないまま工事がどんどん進んでしまう。その点は非常にシビアです」と語る。現場の声に押し切られて工事を進めてしまい、上司に怒られた苦い経験もある。

「勉強して、わかった気になっていても、現場ではその知識が役に立たないこともあります。学んでは打ちのめされることを繰り返しながら経験を積み、成長しようともがいている日々です」

石川さんが同社に入社したのは2015年。

大学の理工学部では「社会交通工学」を専攻し、街づくりや都市の景観に関する仕事に就きたいと考えていた。日本コムシスは無電柱化工事でも存在感があるうえ、面接時のアットホームな雰囲気にも惹(ひ)かれて入社を決めたという。

■いまはまだ作業員に「女の子が来た」と思われる

だが、通信建設業界の現場で働く女性はまだ少なく、現場の作業員は女性に監督されることに慣れていない者が多い。「女性がとう道に入ると神様が怒るから、よくないよ」と渋い顔をする古株の作業員もいた。

「そんなときは、『あっ、じゃあ私、いないほうがいいですかね?』と明るく返すと、『いやぁ、いてくれたほうがうれしいよ』と笑ってくれたりします。でも、慣れるまでは大変でした」

そんな彼女が心の支えにしているのは、同期の女性社員だ。

「同じ技術系の仕事なので、入社時の研修も一緒で、今でも2人でご飯を食べに行ってはいろんな話をしています。仕事の弱音を言い合える同性の同期が1人いるだけで、これほど心強い気持ちになれるとは思っていませんでした」

研修を終えた後の約1年間、石川さんは先輩社員と組み、さまざまな現場での仕事を経験した。とう道内での工事はもちろん、マンホールの撤去など、地上の現場にも何度も立ち合ってきた。

先輩社員から離れて、初めて1人で現場に出たのは2016年の6月。大井競馬場付近の地下トンネルに通じる管を撤去する工事だった。

「その日は緊張のあまり眠れず、誰もいない早朝に現場に行きました。1人で現場の準備をすべて確認しましたが、集合時間になるまで、不安で胸がいっぱいでした」

そう振り返って笑う彼女だが、入社3年目の現在は後輩に仕事を教える立場になった。女性技術者の採用を積極的に進める同社の施策もあり、近いうちに女性が部下になる可能性もあるだろう。

「いまはまだ『女の子が来た』と思われているけれど、早く『石川さんが来た』と信頼されるようになりたいです。後に続く後輩たちに、選択肢を増やしてあげられる存在になれたらいいですね」

(ノンフィクション作家・ノンフィクションライター 稲泉 連 撮影=市来朋久)