作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが亡くなった。代表作『苦海浄土(くがいじょうど)』は、「水俣病」の現実を描いたノンフィクション作品で、水俣病が注目されるきっかけをつくった。石牟礼さんの死去について、5つの全国紙のうち社説で論じたのは朝日と毎日だけだった。2紙はなにを訴えたのか――。

■公害とは利益追求の落とし子である

作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが2月10日、パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市東区の介護施設で死去した。90歳だった。石牟礼さんは四大公害病の一つ、水俣病の現実を描いた『苦海浄土(くがいじょうど)』で知られる。

1927(昭和2)年に熊本県で生まれ、水俣実務学校(現・県立水俣高)を卒業、代用教員となった後、主婦となり、短歌の投稿など文学活動を始めた。

「苦海浄土」は1969年に刊行された。水俣病に苦しみ、言葉までも奪われた患者たちの思いをひとつずつ丁寧に拾い上げた作品で、大反響を呼び、水俣病が注目されるきっかけとなった。

この石牟礼さんの死去を毎日新聞と朝日新聞が社説で取り上げた。

毎日社説は「公害は、あくなき発達と利益追求文明の落とし子でもある」と指摘し、朝日社説は「権力は真相を覆い隠し、民を翻弄し、都合が悪くなると切り捨てる。そんな構図を、静かな言葉で明らかにした」と説明する。

その通りだと思う。この2つの社説を読みながら石牟礼さんの生き方と公害についてあらためて考えてみたい。

■人間と共同体の破壊を告発

2月11日付の毎日社説は「心は本当に満ち足りているのだろうか」と書き出し、石牟礼さんが「改めて私たちに問いかけているような気がする」と指摘する。

そのうえで『苦海浄土』を取り上げてこう解説する。

「鋭く繊細な文学的感性で水俣病の実相をとらえ、公害がもたらす『人間と共同体の破壊』を告発した」
「高度経済成長に浮かれる社会に衝撃を与え、公害行政を進める契機ともなった」

毎日社説は水俣病に対する国の対応の鈍さも指摘していく。

「56年、熊本県水俣市で原因不明の病続発が保健所に通報され、水俣病は公になる。だが、チッソが海に流す排水の有機水銀による魚介類汚染が疑われても行政の動きは鈍く、ようやく68年に公害病と認定された」
「この間の放置で被害がどれだけ拡大したかわからない。公害を大きな問題にすると経済成長のブレーキになりかねないという政府内の消極姿勢、世論の無関心もあった」

当時の政府は、弱者をしっかり見ようとしない安倍政権と似ていないだろうか。いや、政府というのはいつの時代も強い者を中心に考え、彼らのために便宜を図るものなのである。強者の持ってくる利益が莫大だからだ。

■どこまでも控えめで、患者とともに生きた

毎日社説は「害がむしばむのは自然と健康だけではない」と述べ、「差別と対立。家族、集落の絆も断たれ、生活や人生そのものが否定される」と指摘する。

そして「『苦海浄土』はそれを克明に、患者一人一人と向き合うようにして描き、全国の読者の心を動かした」と解説する。

最後に毎日社説はこうつづって筆を置いている。

「『苦海浄土』の中で老いた漁師が語る。『魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい』」
「天の恵みの魚を要るだけとって日々暮らすような幸福。今は幻想とも思える、そんな充足感をどこかに失ってしまった現代を、石牟礼さんの作品は見つめ続ける」

この毎日社説を読むと、私たちの幸せとは何だろう、と考えさせられる。

石牟礼さんは1968年に「水俣病対策市民会議」を結成するなど患者への支援活動にも深く関わり、どこまでも水俣病と戦った。『苦海浄土』は1970年の第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、石牟礼さんはその受賞を辞退した。どこまでも控えめで、患者とともに生きることを忘れなかった。

毎日社説の見出しは「問いつづけた真の豊かさ」だ。

■虐げられた人の声を聞き、記録する

朝日社説(2月12日付)は「『近代』を問い続けて」と少々分かりにくい見出しを付けている。そう考えて書き出しを読むと、こうある。

「水俣病患者の声をすくいあげてきた作家が告発したのは、公害や環境の破壊にとどまらない。私たちの社会に深く横たわる『近代』の価値そのものだった」

朝日社説によれば、石牟礼さんは「公害や環境破壊」だけではなく、「近代の価値そのもの」を社会に訴えた、というのだ。どこか奥が深そうである。

「恵みの海とともにあった人々の質素だが穏やかな暮らしが、いかに奪われたか。成長を最優先し欲望をかきたてる政治、科学への信頼、繁栄に酔い、矛盾に目を向けぬ人々。それらが、何を破壊してしまったのか」

石牟礼さんは「虐げられた人の声を聞き、記録することが、己の役割と考えた」のだ。

朝日社説も毎日社説と同じように「豊かさとは何か」「何が本当の幸福なのか」をただしている。

■「希望」と「思いやり」の文学作品だ

朝日社説はこうも書く。

「現場に身をおくと同時に、石牟礼さんが大切にしたのは歴史的な視点だ。公害の原点ともいうべき足尾鉱毒事件を調べ、問題の根を探った」

そして「こうした射程の長い複眼的なまなざしが、さまざまな立場や意見が交錯し、一筋縄ではいかない水俣病問題の全体像を浮かびあがらせ、人間を直視する豊かな作品世界を作り上げた」と指摘する。

なるほど、いまさらながら石牟礼さんのスケールの大きさが分かった。

さらに朝日社説は「『水俣』後、公害対策は進み、企業も環境保全をうたう。だが、効率に走る近代の枠組みは根本において変わっていない」と指摘し、「福島の原発事故はその現実を映し出した。石牟礼さんは当時、事故の重大性にふれ、『実験にさらされている、いま日本人は』と語った」と書く。

石牟礼さんの「実験にさらされている」という言葉にどこか恐ろしさを感じる。

終盤で朝日社説は「石牟礼文学には西南戦争や島原の乱に材をとった魅力的な作品も多い。通底するのは民衆への深い共感と敬意である」と作品の文学性の強さを褒めたたえたうえで、こう主張する。

「どん底状態に身をおいても、人は希望をもち、隣人を思いやることができる――。石牟礼さんの確信は、今の時代を生きる私たちにとって、一つの道しるべといえるのではないか」

「希望」「思いやり」……。2つとも朝日新聞が好きそうな言葉ではあるが、石牟礼さんの生き方を書くなかで使われることには違和感はまったくない。

■読売、産経、日経は社説では取り上げていない

チッソ水俣工場からメチル水銀が含まれた排水が、水俣湾に垂れ流される。メチル水銀が魚や貝、海藻にたまり、それを食べた漁民たちが、手足の感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴に苦しみもだえながら何人もの人々が死んでいった。これが水俣病だ。

毎日社説の抜粋で前述したように国はなかなかその責任を認めようとはしなかった。

被害者に不利な補償、国家賠償を求めた訴訟、厳格過ぎる認定基準、そして政治決着、行政に責任を認める最高裁の判決と“解決”までには半世紀もの時間がかかった。

公害や薬害などの健康被害に対し、行政と企業の対応は遅れ、不作為になる。行政は被害をできるだけ小さく見積もり、「大したことではない」と保身に走るからだ。

水俣病のような健康被害を二度と繰り返してはならない。そのためにも節目節目で問題を改めて考えることが大切だ。

石牟礼さんの死去について、2月16日現在、5つある全国紙のうち、読売、産経、日経は社説では取り上げていない。もちろんテーマ選びは自由だが、朝日と毎日が取り上げて、残り3紙が取り上げないというのは偏りを感じる。全紙が一斉に取り上げるべきテーマではないだろうか。残念に思う。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)