縦に速いサッカー。相手のディフェンスラインの背後を早めに突くサッカー。ハリルホジッチが好むこのスタイルは、ボールを奪われる確率が高い。しかも早いタイミングで。となると、バックラインを押し上げている時間的余裕がないので、中盤のスペースを相手に与えることになる。パスを繋ぎやすい環境を与えることになる。
 
 その結果、E1東アジア選手権で、北朝鮮、中国に接戦を許し、そして韓国に大敗。ハリルホジッチへの風当たりはいっそう厳しくなっている。
 
 もっと簡単に言えば、面白くない。「監督がハリルホジッチになって、日本代表のサッカーはつまらなくなった」。そうした言い方で嘆く人が増えている。
 
 面白いか。つまらないか。ともすると感覚的で大雑把に聞こえがちな表現だが、サッカーの核心を突く切り口だと思う。他の競技にはあまりみられない、サッカーならではの言い回しでもある。
 
 ○○監督の野球は面白くないーーは、ゼロではないが、サッカーほど聞かれない。他の競技もしかり。ゼロではないけれど、サッカーほどではない。それはまさにサッカーらしい視点ながら、メディア報道はけっして「ハリルホジッチのサッカーはつまらないですね」とは言わない。面白い、つまらないは、排除された表現になっている。NHKとか朝日新聞とか、メジャーで堅めな報道機関だけではない。砕けていそうなネットの記事でも見かけることはほとんどない。
 
 詰まるところ、主観だからだ。それはいったい誰が抱いた感想なのか。明示する必要に迫られる。素朴な意見ながら、発言には勇気が求められる。戦術的な問題(冒頭のような)を述べる方がハードルは遙かに低い。
 
 勝った負けたを伝える結果報道に至っては、発信側のリスクはゼロだ。サッカー報道もその波に飲み込まれている。他のスポーツと同じコンセプトで伝えられている。そのシンプルな特性が提示される機会は少ない。
 
 見た目の印象は、サッカーでなぜそこまで重要な位置を占めるのか。

 ホームとアウェー。観戦者にはそれに加えて第3者がいる。川崎F対鹿島が戦えば、スタンドは当事者のチームカラーに染まる。青と赤以外のファンは存在しないかに見える。だが、テレビ画面の向こうには、そのどちらでもない観戦者がいる。割合は、その数の方がむしろ多い。試合のレベルが高い好ゲームになることをひたすら願う「サッカーファン」は、川崎、鹿島ファンより多く存在するのだ。

 先の日韓戦(E1東アジア選手権)では、そうしたファンは少なかったかもしれない。日韓戦は、日本人と韓国人に向けた試合になったが、W杯となると話は別だ。日本とコロンビアが対戦すれば、テレビ観戦者は、日本人、コロンビア人より、それ以外の第3者が多くを占める。

 W杯が世界のサッカーの品評会、博覧会と言われる所以だ。世界のファンに日本のサッカーを宣伝するまたとない機会。それがW杯なのだ。第3者が、そこで掴んだ日本サッカーに対するイメージは、少なくとも4年間つきまとう。勝った、負けたより、強い印象となって脳裏に刻まれる。

 いいサッカーをしてもダメ。勝たなければ意味がないーーとは、よく用いられるフレーズだ。美しいサッカー、面白いサッカーも、勝利至上主義の前に沈黙する。しかしその主張は、当事者しか観戦していない場合だ。第3者の目は完全に排除されている。

 W杯で結果が残せるチームはごく僅か。運が3割を占めるという競技特性も加わる。結果のみを成否の分かれ目にするのはナンセンスだ。世界にアピールするテーマは、他にも設けられている必要がある。

 その姿勢が日本のサッカー界にはない。毎度、結果だけを目標に据えようとする。日本代表ファンの目線しか日本代表にあてがおうとしない。Jリーグの各クラブも同様。サッカーファンの目を気にしているチームは少ない。

 サッカーはなぜここまで発展したのか。世界ナンバーワンスポーツの座を常に断トツでリードしているのか。日本は逆に断トツでリードできないのか。面白い、つまらないをフランクに論じられる環境にあるか否かとそれは密接な関係がある。

 ハリルホジッチのサッカーが面白いか、つまらないかは、強いか、弱いかより重要な切り口なのだ。そこで、ファンにつまらないと結論づけられることは、恥じるべき問題なのである。世界に対して何をアピールするか。どの方法論で世界に立ち向かうか。この議論が深まらない限り、サッカー人気はこれ以上、広がりをみない。世界のように断トツのナンバーワンスポーツにはなれない。サッカーの普及と発展に貢献するサッカーを、勝ち負けと同じレベルで、追究して欲しいものである。でないと格好悪い。W杯の足音が近づくと、僕は毎度そう思う。

 Jリーグ開幕も近づいている。各クラブが見られている意識をどれほど持てるか。自己中に陥るチームに発展はない。僕はそう思う。