■企業の不正が後を絶たないのはなぜか

神戸製鋼所で、長年にわたる製品データの改ざんが発覚し、顧客を巻き込み大きな問題となっています。また、日産自動車やSUBARU(スバル)では、完成車の検査を資格のない従業員が行っていたことが明らかになりました。こうした企業不正は、なぜ後を絶たないのでしょうか。

企業不正が発覚すると、経営陣や管理職などの非倫理性や非合理性が問われることが多いものです。しかし、日本の場合、経営陣も不正に気づかず、首謀者もあいまいなケースが多いという特徴があります。そのため、日本では、首謀者を対象とするコーポレート・ガバナンス・システムは必ずしも有効ではありません。このような首謀者なき日本企業の不正を説明する理論として最もわかりやすいのが、ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースやオリバー・ウィリアムソンが展開してきた「取引コスト理論」です。

従来の経済学では、すべての人間は「完全合理的」であり、利益を最大化するように行動するものと仮定されてきました。完全合理的な人間の世界では、すべての人間は完全に情報を収集できるため、全体合理性と個別合理性は一致し、効率性と正当性も一致します。そのため、理論的には不正は起こりません。

■会計上には出てこない、見えないコスト

しかし、現実には、不正はさまざまな企業において繰り返されています。取引コスト理論では、こうした現象を説明するために、現実的な人間観に立ったアプローチを展開してきました。

取引コスト理論では、人間は完全合理的ではないが、完全に非合理でもなく、その中間にいると仮定されます。限られた情報の中でしか合理的に行動できないので、「限定合理的」です。つまり、すべての人間は、主観的に合理的に行動します。しかも、そのため、機会があれば、たとえそれが悪いことであっても、利己的利益を最大化しようとする、「機会主義的」な傾向があるものと仮定されます。

このような限定合理的で機会主義的な人間の世界では、取引をする際、相手にだまされないように用心しなければなりません。そのため、相手を観察したり、契約を交わしたり、その後も契約履行を監視するなど、取引上の無駄が発生します。これを「取引コスト」と呼びます。取引コストは、人間関係上のコストであり、会計上には出てこない、見えないコストです。しかし、私たちは、こうしたコストを認識することができます。そのため、取引コストがあまりにも高い場合、非効率な状態や不正な状態を合理的に選択するという不条理に陥る可能性があるのです。

取引コストは、人間関係が密接な日本の組織で生じやすい傾向があります。現状が非効率であったり、不正である場合には、現状を変えるべきですが、その際には、多くの利害関係者と交渉し、説得しなければなりません。優秀な人ほど、その取引コストの大きさをすぐに予想できるため、変えずに現状のまま続けるほうが合理的だと判断する可能性があります。しかも、皆が同じような予想をするため、客観性が保証され、考えも一致しやすい。その結果、組織的に不正を隠蔽したり、非効率な状態を維持することが合理的という不条理に陥ることになるわけです。

神戸製鋼や日産などの場合も、会社の上層部や得意先から納期やコスト面などで厳しい要求を受けたときに、果たして現場がそれを断ることができたでしょうか。「もし自分たちが断れば、いろいろと面倒なことになる(=断る取引コストは高い)。不正をしてでも表面上は要求に応えたほうがよいのではないか」と、合理的に判断したのかもしれません。それも、特定の誰かが明確に命令したわけではなく、関係者同士が暗黙のうちに損得計算をし、同じ計算結果のもとに、互いに合理的に行動することによって、組織的に一連の不正が起きたのではないかと感じます。

神戸製鋼のように不正が何年も続けば、それを正すための取引コストは、さらに大きなものになります。新たに配属された従業員が、現状の不正に気づいたとしても、変革するコストが余りにも大きいため、不正は合理的に継続されてきたのではないでしょうか。

■なぜ優秀な人ほど客観的に行動するのか

では、このような取引コストによって生じる不条理な不正は、どうすれば防げるでしょうか。

前述の通り、現状に非効率や不正がある場合、それを変えようとすれば、多大な取引コストが発生します。このとき、もし変えることによって得られるメリットよりも、それに必要なコストのほうが大きければ、非効率で不正な状態を維持し続けるほうが、組織にとっては合理的になります。逆に、変えることによって得られるメリットが、それによって発生するコストよりも大きければ、組織は現状を変えるほうを選ぶでしょう。つまり、現状を変えることのメリットがデメリットよりも大きくなるようにすれば、不正を防ぐことができます(図参照)。

そのための方法は2つあります。1つは、取引コストを減らすことです。例えば、何でも話しやすい、風通しのよい組織風土をつくれば、取引コストは減り、不正の情報も上層部へ上げやすくなるでしょう。大きな変化が必要な場合、内部昇進の経営者だけでは、多くの利害関係者がいて取引コストが大きいため、変化させないほうが合理的と判断される可能性があります。このような場合は、日産を再生したカルロス・ゴーン氏のように、経営者を外部から採用することで、取引コストが減り、改革が進めやすくなります。

■「みんながやっているからやる」

もう1つは、メリットの側面を強めることで、取引コストの影響を抑えることです。そのための考え方として注目されるのが、環境の変化に対応して、既存の経営資源を再構成して生かす「ダイナミック・ケイパビリティ」(変化適応的な自己変革能力)です。デジタルカメラの普及で写真フイルム事業が消滅するなか、フイルム技術を生かして化粧品事業に進出した富士フイルムや多様な国々に変幻自在に適応してファスナーを製造販売するYKKが持つ能力のことです。このように、プラスの側面を強めれば、たとえ取引コストが高くても、組織を変革できます。

しかし、この解決法には限界があります。なぜなら、いずれも損得計算上の対策であり、その実行コストがあまりに高いと、何もしないほうが合理的という二次的な不条理に陥るからです。

最終的には、損得計算ではなく、「正しいことかどうか」という人間の価値判断にかけるしかないでしょう。損得計算は科学的で客観的ですが、見方を変えれば、他律的であり、「みんながやっているからやる」という無責任な行動につながります。損得計算によって合理的に行動しようとする限り、いつか合理的に不正を行うことになるでしょう。それに対して、価値判断は主観的で、非科学的ですが、それゆえにその責任が問われるものです。責任ある価値判断にもとづく行動ができれば、たとえ取引コストがあっても、それに左右されずに行動することができます。

日本人の弱点は、こうした価値判断を避けるところです。優秀な人ほど、主観的な価値判断を恐れ、科学的、客観的に行動しようとします。なぜなら、「みんながそうする」という保証があるため、責任を取らなくて済むからです。取引コストによって生じる不正を防ぐには、「正しいことをやる」という責任を伴った価値判断ができる人材が必要なのです。損得計算は重要ですが、それだけが上手だと、取引コストを忖度して悪い方向に進みかねません。しかし、価値判断ができる人材であれば、よくないことは「おかしい」と指摘できます。組織の中にそのような人材が多く育成されれば、不正に走るリスクは減らせるでしょう。

(慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授 菊澤 研宗 構成=増田忠英 写真=時事通信フォト)