契約満了で今季限りでの退団決定 3度の優勝以外にプレーで示した“サムライ魂”

 歴史は常に移り変わるものだ。

 栄光は常に終わる運命にあり、新しい時代を迎える定めにある。諸行無常--。「平家物語」の言葉は物事の本質をついている。

 ミハエル・ミキッチ。聖書に描かれる大天使の名前を冠したスピードスターは、9年に及ぶ広島での生活にピリオドを打つ。サンフレッチェ広島との話し合いの上、来季の契約を更新しないことになったのだ。この決定が公式にリリースされるとサポーターの間に動揺が走り、SNS上でも彼の退団を惜しむ様々な言葉が飛び交った。かつてMF盧廷潤やMFイワン・ハシェック、DFトニー・ポポヴィッチやMFセザール・サンパイオなど、広島の歴史を彩った偉大な選手は存在したが、ミキッチは別格だ。広島で「最もサポーターに愛された外国籍選手」だと言っていい。

 圧倒的なスピードに加え、ドリブルやクロスの回数は常にJトップクラスの数字を叩き出し、成功率も抜群だ。在籍9年で3度のリーグ優勝を経験。2015年には9アシスト(チームナンバーワン)と、結果でその実力を証明し続けてきた。だが、ミキッチが愛された理由は、それだけではない。

 広島の“大天使”は、常に全力プレーだった。どんな時でも諦めず、前へ前へと働き続けた。たとえ、1対1でも1対2の状況でも、ミキッチは逃げない。「戦術的」などという言葉に逃げず、対峙した相手に対して果敢に戦いに挑む。はね返されても潰されても、絶対に逃げない。仕掛け続け、戦い続け、そして最後には決定的な仕事を成し遂げる。その振る舞いはまさに、サムライだ。それも江戸時代末期の旗本などではなく、刀一本で自分の運命を切り拓いた剣豪にも似た風格を備えていた。

「今では広島の部屋のほうがくつろげる」

 そして何より、ミキッチは広島を愛し続けた。広島発祥のパン屋さんで、日本で初めてセルフ方式の販売方法を確立させた「アンデルセン」や、ナポリピッツァオリンピックで金メダルを獲得した広島の知る人ぞ知るピザハウス「ピッツァリーヴァ」を「マイキッチン」と呼んで心から愛する一方で、日本のうどんや広島のお好み焼きも「大好きだ」と公言した。

 スーパーモデルとして世界的な活躍を続ける愛妻リュプカさんや愛娘たちと一緒に街を散歩している姿は、広島にとっては日常だった。愛妻のインスタグラムでは娘たちが日本語で母に手紙を書いたり、保育園の運動会でリュプカさんが激走している姿がアップされて、多くのサポーターの心を和ませた。

「広島は完璧な街だ。生活に不自由はなく、かといって大都会の息苦しさはない。特に、平和公園と宮島は最高だ。平和公園から宮島まで船で1時間もかからずに行けるけど、本当に美しく楽しい船旅になるんだ。ヨーロッパの友だちが『どうして文化も言葉も違う広島に住み続けることができるんだ?』と言ってくれば、僕は『広島に来てくれ』と言うんだよ。実際、ここに来た友だちはみんな言うね。『ミカの言葉が心から理解できた』と。僕はクロアチアにも広島にも家があるけれど、今では広島の部屋のほうがくつろげるくらいなんだ」

広島の街を愛し、Jリーグをリスペクトした9年

 街を愛しただけではない。サッカーにおいても、彼は広島を、そしてJリーグをリスペクトする。2013年、広島がJリーグを連覇した年、こんな言葉を残した。

「サッカーの質において、欧州のほうがシステマティックであることは確かだ。Jリーグは欧州よりもテンポが速く、スピードもあるし、運動量も多い。だけど、ポジションの役割に対する理解が不足しているのか、形が崩れやすいことも事実だ。

 ただ(当時の)広島であれば、ブンデスリーガでの経験を深めれば中位での戦いを維持できる実力はあるだろう。バイエルン・ミュンヘンのようなトップクラスはともかくとして、他のクラブとであれば十分に競い合える。欧州五大リーグのビッグクラブ以外であれば、Jリーグで腕を磨いたほうがいい。それに実際、クラブワールドカップで僕は、欧州の記者に『広島は信じられないサッカーをするね。興味深いよ』と何度も声をかけられたんだ」

 口を開けば、「海外で経験を積むべきだ」とサッカー人たちは言う。そのたびにサポーターは心をえぐられる想いがする。しかし、ミキッチは堂々と自身の主張を展開。Jのレベルを現実的な水準で明言し、日本でも成長できることを呈示した。それがどれほど、サポーターの想いを潤わせたことか。

「再び広島を強くするために力を尽くしたい」

 現在、ミキッチはFWパトリック、FWアンデルソン・ロペス、MFフェリペ・シウバに次ぐ“4番目の外国人選手”という位置づけになっている。その状況を冷静に判断し、ミキッチは退団の意思を固めた。もし7月1日の第17節・浦和戦で怪我をせず、ずっとプレーできていれば広島もミキッチも大きく変わったのではないか。そう思うと胸が締めつけられる。

 それでも、彼はこんな言葉を口にした。

「今の僕は、広島の残留に向けて全力を尽くしたい。たとえ試合に出られなかったとしても、自分にできることをやり続けたい。そして、広島のJ1残留を見届けた上で、クラブを去りたいんだ。僕はこれほどの長きにわたってプレーできるチャンスを与えてくれた広島に感謝している。そしていつの日か違った立場で戻ってきて、再び広島を強くするために力を尽くしたいと思っているんだ」

「それは監督として?」

 日本語で問う。9年もの時間は、彼に日本語を学ぶ機会を与えていた。

「はいっ!」

 通訳を通さず、間髪をいれず、ミハエル・ミキッチは答えた。笑顔ではなく、真剣な表情で、広島の大天使は答えた。

【了】

中野和也●文 text by Kazuya Nakano

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images