地域医療の崩壊を食い止めるため、厚生労働省は来年にも医療法を改正し、若手医師の「僻地勤務」を義務化する方針だ。すでに一部の若手医師は地域医療のために立ち上がりつつあるが、厚労省や地元自治体はそうした動きを牽制している。なぜ若者の邪魔をするのか。その原因は医療界の「既得権益」にある――。

■大学医局と厚労省に「監視」される奴隷

地域医療が崩壊の瀬戸際にある。この問題を解決すべく、厚生労働省は来年の通常国会に提出する医療法の改正案に、若手医師を僻地に強制的に派遣する仕組みを盛り込もうとしている。

2014年、厚労省は「都道府県が責任を持って医師の地域偏在の解消に取り組むコントロールタワー」(厚労省HPより)として、各都道府県に「地域医療支援センター」を設置した。厚労省によれば、今回の法改正で、「地域医療支援センター」が地元の大学と連携して、「医学部入学から生涯にわたる医師のキャリア形成・異動を把握」し、「キャリア形成支援・配置調整」ができるように権限を強化するらしい。

こうなると、医師は大学卒業後も、大学医局と厚労省に「監視」され、彼らの指示するまま「配置」されることになる。これでは奴隷のようなものだ。

民主主義社会での日本で、こんな「国家統制」が許されるはずがない。ところが、厚労省は本気だ。医療法改正案の中には、これ以外にも、この手の国家統制がふんだんに盛り込まれている。

■「老害医師」が厚労省にすりよる構造

残念ながら、いまのところ医療界の有識者は誰も反対していない。むしろ、厚労省の尻馬に乗っている。たとえば邊見公雄・全国自治体病院協議会会長は、業界誌の『日経メディカル』で以下のように語っている。

「国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことを可能にするためにも、医師になって数年間は強制的に全国各地で勤務するようにしてほしいと私は考えている。そもそも医師は「ヒポクラテスの誓い」をしているのだから、100%の医師がこの方針に賛同してしかるべきだ」(日経メディカル「労基署に踏み込まれる前に医療界がすべきこと」)

私は、この文章を読んで反吐が出た。邊見氏が、僻地医療での勤務を大切に思うなら、業界団体の名誉職にしがみつかず、自ら赴任すればいい。自らは安全地帯にいて、若手をこき使う。日本の医療の問題は、若手医師が僻地勤務を嫌がることではない。このような老害医師が、厚労省にすりより、国家統制の強化を誘導していることだ。

私は厚労省と業界団体による統制を強化することは、日本の地域医療をますます衰退させると考えている。どんな分野においても、活性化のためには志のある若者が必要だ。だが、常に老害という名の既得権者が、彼らの邪魔をする。

福島県南相馬市の事例をご紹介したい。今年8月末、南相馬市の大町病院から常勤の内科医がいなくなってしまった。大町病院は南相馬に4つしかない一般病院の1つだ。ここが機能を失うと、南相馬市だけでなく相双地区の医療が崩壊する。緊急事態だ。

■「誰もいかないなら、私がいきます」

相双地区は福島第一原発事故で大きな被害を受けた。国家が相応の責任を負うべき地域である。医師不足への対応では、厚労省は、医師免許をもつ厚労官僚である医系技官の赴任や、国立病院機構やナショナルセンターの医師の出向といった手段をとれる。前出の邊見氏も、日本の医療界のリーダーと自負するなら、全国自治体病院協議会の場で支援を議論したり、その幅広い交友関係で支援を仲介したりすることもできたはずだ。ところが、彼らは何もしなかった。

結局、大町病院の内科の穴を埋めたのは、医師になって3年目という南相馬市立総合病院の山本佳奈医師だった。「誰もいかないなら、私がいきます」と及川友好・南相馬市立総合病院院長に志願した。

彼女は滋賀県出身で、大阪の四天王寺高校から滋賀医大へと進んだ。私は彼女が大学に在学していたとき、東大医科研の研究室で知己を得た。卒業後は南相馬市立総合病院で初期研修を行った。

滋賀医大在学中から、彼女は産科志望だった。大学に入局せず、南相馬にとどまりながら、産科医になることを希望した。ところが、彼女のような「異端児」を、南相馬市の桜井勝延市長、南相馬市立総合病院に福島県立医大から出向している産科医、さらに福島県立医大の産婦人科医局がいじめ倒した。詳細は拙稿をご覧いただきたい。(JBPress「日本の医療崩壊を救った若き女性医師」)。

■「余計な軋轢」を起こす彼女は迷惑な存在

福島医大における既得権を守りたい彼らにとって、山本医師のような存在は受け入れがたかったのだろう。一方、南相馬市や福島県などの行政は福島医大に対応を丸投げした。余計な軋轢を起こす彼女は迷惑な存在だ。そこに医療を受ける住民の目線はない。

追い込まれた彼女を2人の医師が救った。1人目は竹之下誠一・福島県立医大理事長だ。竹之下理事長は、桜井・南相馬市長に、福島医大として彼女を支援することを伝えた。南相馬市は福島県立医大以外に医師招聘のルートがない。桜井市長も、竹之下理事長の意向は無視できない。

余談だが、竹之下氏は鹿児島の鶴丸高校から群馬大学に進んだ外科医だ。群馬大学の関係者に聞くと「腹腔鏡事故を起こしたグループとの抗争に敗れ、福島に移っていった。そして、そこで実績をあげた」という。苦労が彼を育てたのだろう。今年、外様の竹之下氏が福島医大の理事長に就任し、福島の医療は変わりつつある。

話を戻そう。2人目の支援者は、南相馬市立総合病院の小鷹昌明医師(神経内科)だ。傷ついた彼女に「僕と一緒にやろう」と声がけした。小鷹氏のキャリアはユニークだ。震災後、獨協医大神経内科准教授のポストを捨てて、南相馬市に移住した。南相馬の復興を願い、院内にとどまらず、地元社会で活動している。詳しくは拙稿をご覧いただきたい(FACTA「南相馬「名もなき赤髭」物語」)。

■20人以上の入院患者と週8コマの外来

結局、彼女は神経内科医を選択し、南相馬市立総合病院に残った。ただ、それもすんなりいったわけではない。今年4月の時点では「福島県立医大とけんかする医師は雇用できない」(桜井・南相馬市長)という理由で、非常勤雇用だった。正式に採用されたのは今年5月からだ。

その彼女が南相馬市の危機を救った。現在、大町病院のたったひとりの常勤内科医として働いている。

彼女は20人以上の入院患者を受け持ち、さらに週8コマの外来を担当している。ベテランの内科医でも、外来は週4コマ、入院患者の受け持ちは10人程度が普通だ。常識では考えられない仕事量だ。

彼女の毎日は多忙を極める。朝8時に出勤し、病棟を回る。日中は外来だ。その合間に急患が入ってくる。高カルシウム血症による意識障害、溶血性貧血発作疑いなど、診断に苦慮するものが多い。

彼女は駆け出しで、経験も少ない。「ワシントンマニュアル」や「ハリソン内科学」などの医学書を引きながら診療している。文献だけでは分からないことがあれば、私や、南相馬市立総合病院の先輩医師に携帯電話で聞いている。

■われわれの仕事は、やる気のある若手を支えること

問い合わせに応じて、知人の専門医を紹介したこともある。例えば、大町病院には放射線専門医がいない。外部に読影を依頼しているが、結果がわかるまで数日かかる。

先日、発熱が続く患者に胸部X線を撮影した。明らかな所見はなかったが、少しだけ痰が出ていた。彼女は胸部CT画像を撮影したが、非特異的な所見以上にはわからなかった。私も同様だった。そこで、東大医科研時代の同僚の専門医を紹介し、フェイスブックメッセンジャーで画像を送った。すぐに「気管支肺炎」と返事をくれた。抗生剤を投与すると、状況は改善した。一事が万事、こんな感じだ。

彼女は、毎晩22時ごろまで診療やカルテ整理を続け、終わった後に論文を書いている。現在、3つ目の英文論文を準備中だ。

彼女は大町病院に異動して成長した。若手は自分で判断させて、責任をもたせると伸びる。われわれの仕事は、やる気のある若手を支えることだ。

僻地の医療崩壊を食い止めるための1つの方法は、このようなやる気のある若手医師に来てもらうことだ。その際、いくつか解決すべき課題がある。

■アルバイト医師より給与は安い

例えば、給与だ。山本医師は南相馬市立総合病院の常勤医師、つまり地方公務員だ。地方の民間病院と比較して、給与は驚くほど安い。山本医師が赴任した9月の月給は約48万円。その後、時間給3000円程度で残業代が加算されることになった。一方、大町病院には、東京の私立大学から大勢のアルバイト医師が来ている。一般的に医師のアルバイトでは、午前・午後の外来で10万円以上、あるいは休日の日直と当直で15万円以上の報酬が見込まれる。山本医師は公務員なので、こうしたアルバイトはできない。

アルバイト医師の給与総額は、山本医師よりはるかに高いはずだが、働きぶりはどうだろうか。どちらが病院や地域社会に貢献しているか。ダブルスタンダードは看過できない。

医師不足の自治体は、医師確保のために年間数千万円を大学に寄附し、「寄附講座」を設立することで医師を派遣してもらっている。だが、その実態は医大による給与のピンハネだ。私が調べたところ、2014年度にいわき市が福島医大に寄附した6000万円のうち、医師に支払われた人件費総額は2530万円。差額の3470万円は医大が自由に使えるカネとなっていた(ハフポスト「福島の医師不足利権」)。

こうした寄附なら、支援を受けられるだけまだいい。山本医師のように自らの意志で地域医療を守ろうとする若者には何の支援もない。むしろ、「地元の大学と軋轢を起こす存在」としていじめる人たちもいるのだ。

■若手医師の「強制派遣」を議論する前に

これでは、みなで若者のやる気をそいでいるようなものだ。医療行為には責任がともなう。医療事故を起こせば、自らが逮捕され、膨大な賠償金を支払う可能性もある。彼らを安くこき使い、責任だけを負わせるというのは恥ずべきことだ。取り組んだ仕事に対しては、相応の評価を与えなくてはいけない。厚労省や邊見氏は、若手医師の「強制派遣」を議論する前に、そのための制度について議論すべきだ。

古今東西、変革は社会の周辺から起こる。そして、その中心は常に本気で行動する若者だ。南相馬市は、東日本大震災後の原発事故で甚大な被害を受けた。いま、この地域に志のある若手医師が集い、地域をかえようとしている。こうしたケースが社会で共有されれば、われこそはという若者がさらに出てくるだろう。その際、老害という名の既得権者から、彼らを守らなければいけない。

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上 昌広(かみ・まさひろ)
医学博士。1968年兵庫県生まれ。1993年東京大学医学部医学科卒業、1999年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員、東京大学医科学研究所特任教授など歴任。2016年4月より特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所を立ち上げ、理事長に就任。医療関係者など約5万人が講読するメールマガジン「MRIC」編集長。

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(医療ガバナンス研究所 理事長 上 昌広)