カップルで乗ると別れるというジンクスで知られる、井の頭公園のボートに乗りこむ男ふたり。シャッターを切られるのが快感とばかりにノリノリなのは、ないとー。かたや染めたばかりの緑色の髪が印象的な渋谷ジャパンは、自らが被写体となることに困惑気味…? 対照的なこの雰囲気が、逆にコンビとしてのバランスのよさを感じさせる。登録者数135万人を超えるYouTuberコンビ、おるたなChannel。ジンクスなどものともせぬ勢いに乗るふたりが、出会いからコンビ結成、YouTuberになるまでの軌跡を語った。

撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
ヘアメイク/芳賀仁美

ふたりの学生時代…お笑いに興味を持ち始めたのは?

井の頭公園での撮影おつかれさまでした!
ないとー 普段、ビデオカメラを手にふたりだけで撮影しているので、他の方に撮っていただくことってなかなかないことで新鮮でした。僕はけっこう撮られるのが好きなので(笑)、楽しかったです。
渋谷ジャパン カメラマンの方がすごくよくて。
ないとー 何でそこ、いきなり上から目線なんだよ(笑)。
カップルで乗ると別れると言われるボートにも、しっかりと乗っていただきました。
ないとー 1年後、どうなってるか…(笑)。
撮影していると、公園を訪れていた人たちから「ほら、YouTuberの…」とか「おるたな?」といった声が聞かれました。普段から街中で声をかけられたりすることも?
渋谷ジャパン すれ違いざまに気づいていただけたりすることは、ときどきありますね。
10代、20代の方にとってYouTuberは憧れの職業で、ヒーローなんだと改めて感じました。
ないとー 僕らにとっても中高の頃なんて、存在しなかった職業ですからね。
渋谷ジャパン こっちにしてもまだ実感がわかないですね。
そんなおふたりの軌跡について、じっくりとうかがってまいります。まずおふたりが出会う以前の話から。子どもの頃はどんなお子さんで、何に夢中になっていましたか?
ないとー 僕は昔からTVっ子でお笑い番組をよく見ていました。『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』(フジテレビ系)とか大好きでした。学校でも、「あれ面白かったよね」なんて話題にしていて。自分でも笑いを取るのが好きでしたね。
ないとーさんは1990年生まれで今年27歳ですから、ご覧になっていたのは90年代後半から2000年代にかけてのお笑い番組?
ないとー 『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)とかドンピシャですね。『M-1』で笑い飯さんとかを見て、自分も人前でやってみたいなって思って高校の文化祭で漫才をやったこともありました。基本、お祭り騒ぎが好きで、テンションが上がると何かしたくなるんです(笑)。
渋谷ジャパンさんはお子さんの頃はどうでしたか?
渋谷ジャパン 僕は漫画のほうが好きだったんですよね。『ドラゴンボール』とか『SLAM DUNK』だったり。『週刊少年ジャンプ』(集英社)の格闘系の漫画とか、わりと王道を読んでました。
クラスの中では、中心でみんなを引っ張るようなタイプでしたか?
渋谷ジャパン 小学生の頃は、背も高いし足も速かったので、わりとワーワー騒ぐタイプでしたけど、中学、高校くらいから、いじられキャラになっていきましたね。
お笑いに関してはいかがでした?
渋谷ジャパン ちょっと遅めで、高校生くらいから好きになり始めた感じですね。高校の頃、ちょうど『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)がブームで。僕自身はそんなに自分から話すほうじゃなかったので、しゃべりで笑いを取るってことがカッコよく見えて。
じっくりと話術で笑いを取るということに憧れが?
渋谷ジャパン あんなふうになりたいって気持ちはありましたね。

別々のコンビで活動した大学時代。当時の印象を語る

おふたりが出会ったのは、大学のお笑いサークルとのことですが、サークルに入ったきっかけは?
ないとー 僕は大学進学時に浪人してるんですけど、高校時代の相方がストレートで大学に進学していて。そいつがお笑いサークルに入って「めちゃ楽しいよ」と話していたんです。それで「お笑い、続けたほうがいいよ」って言われて。
その相方さんとは、高校の文化祭で漫才をやったときにコンビを組んでいた方ですか?
ないとー そうです。僕は高校時代、お笑いは好きだったけど、最初、自分ができるなんて思っていなくて。でも、全校集会でクラスのヤツらにそそのかされて(苦笑)、一発ギャグをやることになったんですけど、これが……メチャメチャすべったんです(笑)。
▲ないとー
そこで大爆笑が起きて、その快感でお笑いをやろうと目覚めたのではなく…?
ないとー いや、もうダダすべり(苦笑)。ただ、それを相方が見ていて「あいつの度胸はすげぇ!」って思ったらしく、「コンビを組もう」って声をかけてきたんですよ。
そのコンビは解消したんですか?
ないとー 高校卒業して、自然と解消しましたね。僕はお笑いをやると決めてなかったし、進学した大学も相方とは別のところだったので。でも、そいつが「お笑いサークル楽しいよ」と言っていたので、結局「じゃあ、ちょっとやってみようかな」とサークルに。
高校で遅まきながら笑いに目覚めた渋谷ジャパンさんは?
▲渋谷ジャパン
渋谷ジャパン 高校でお笑いを見るようになりましたが、大学では最初、バドミントンサークルに入っていました。ただ、もう少し自分で何かやりたいなとは思っていて、そのときたまたま、サークルで一緒だったヤツとコンビを組んで、そのままお笑いサークルに“異動”したんです。
ということは、同じサークルに入ったけど、最初からコンビを組んでいたわけではなかったんですか?
ないとー 全然違います。むしろ大学在学中の4年間は、別々のコンビで活動してました。
ちなみに当時はどんなタイプの笑いを?
ないとー 正統派の漫才とかコントで、僕はボケ担当でした。
渋谷ジャパン 僕もボケでした(笑)。
ふたりともボケ?(笑) お互いに知り合いではあったんですね?
ないとー はい。仲は悪くなかったですね。
渋谷ジャパン 同期の中では仲がいいほうでした。
ないとー お笑いサークルではライブハウスを借りてライブをやったり、大会に出たりして。当時、TV局もちょうど大学のお笑いサークルに目をつけていた頃で、何度かTV局にネタを見せに行ったり、TVに出たりしたこともあったんですよ。
当時のお互いの印象は?
ないとー いやぁ、やっぱり毛が濃かったですよね。昔からもう毛だらけで…。
渋谷ジャパン いや、それ記憶の上塗りしてるでしょ!(笑) 当時のないとーの印象…? まあ、変わり者でしたね。
大学のお笑いサークルの中でも変わり者…?
渋谷ジャパン けっこうなヤバいヤツでしたよ(笑)。

「性格が正反対だからこそ補い合える」と思った

先ほど「大学在学中の4年間は、別々のコンビで活動していた」とおっしゃっていましたが、つまり、正式におるたなChannelとしてふたりで活動するようになったのは卒業後? そこに至る経緯は?
ないとー 僕はホント、超テキトーでして。ただ漠然と「普通に働くのは無理だな」ってことは考えていて、就活もほんのちょっとだけやって「無理だな、やはり」って(笑)。
お笑いも含めて「こうなりたい」といった思いもなかった?
ないとー 「こうなりたい」よりも「これはできないな…」って気持ちのほうが強かったです。卒業してからは、バイトをしながらフラフラとしてまして。
渋谷ジャパン 僕のほうは、漠然と「考えること」や「作ること」が好きだったので、広告系やTV局の採用試験を受けて、結局イベント系の会社に何となく就職して働き始めたんです。
YouTuberになる以前に、社会人生活があったんですね。
ないとー 渋谷が働き始めて、僕はバイト生活で。そのとき、ちょうどYouTubeが話題になってきた頃だったんですよ。動画を投稿して、それで生活している人たちがいるらしいって。
視聴者としてYouTubeに惹かれたわけでもなく、それを仕事にしている人たちがいると聞きつけて?(笑)
ないとー 動画をアップするなら費用もかからないし、表現できる場があるというのはありがたいことなので、何かしてみようかと。ちょうど渋谷も、働きながらも「何か表現したい」という思いを持っていたので、じゃあ一緒にやってみようと。
ようやくコンビで活動を開始されたんですね。
ないとー 大学を卒業してから、お笑いをやる場がなくなっちゃったんです。でも何かやりたくて。
渋谷ジャパン 大学でやっていたことは間違いなく自分たちにとっても楽しいことだったので、それを続けていきたいって気持ちはあったんですよね。
それまでコンビを組んでいたわけでもないのに、なぜこのふたりでやってみようと?
ないとー 当時、たまたまLINEしてたんだよね?
渋谷ジャパン 「何かやりたいね」って。他にいなかったしね、一緒に何かやりたい人、やってくれそうな人が。周りの連中は仲はいいけど、卒業して一緒に何か作るまでとなると、やっぱり違ったんですよ。みんな就職もしてたし。
先ほどの写真撮影時から、対照的だなと思いながらおふたりを拝見していましたが、何が合っていたんでしょう?
ないとー まさにその正反対なところ? そこで互いに補い合えるのかな?
渋谷ジャパン そうね。逆だもんね。こっち(渋谷)にないものをそっち(ないとー)が持ってるんだね。
お笑い観みたいなものが合っていた部分は?
渋谷ジャパン 笑いのポイントは似てるよね。
ないとー たしかに。でも「笑いとは…」みたいな感じで、突き詰めて話したことはないよね。
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