2014年の朝ドラ『花子とアン』(NHK)を終えると、以前から決まっていたいくつかの仕事をのぞいて、吉高由里子はほぼ活動を休止した。人気絶頂の20代後半、世の喧騒から距離を置き、本人曰く「貴重な時間」を過ごした。そんな彼女が、復帰の最初の現場に選んだのが、初めて殺人者を演じる映画『ユリゴコロ』。「ひとつひとつの仕事を丁寧にやろうって思えるようになりましたね」――。休養前と現在の心境の違いをそう語る。30代を目前に控え、吉高由里子の第2章が始まった。

撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

久しぶりの映画出演。「面白そう」で臨んだ殺人者役

映画への出演は、2013年に公開された映画『横道世之介』、『真夏の方程式』以来、じつに4年ぶりですね。映画ファンにとっては「おかえりなさい!」という気持ちです。
ありがとうございます(笑)。しばらくあいだがあいてしまいました…。映画の現場が久しぶりすぎて、いろんなことを思い出す作業から始めました。「あれ? 映画って…あぁ、そうだそうだ」って。セリフをどうやって覚えていたのかも忘れてました(笑)。
撮影は昨年の秋で、今年1月から放送のドラマ『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)よりも前ということで、現場自体が久々だったんですね。その女優復帰作で演じたのが殺人者の役。意外にもと言うと失礼ですが、殺人者の役自体、初めてだったんですね。
そうなんです。脚本を読んだ段階では、そこまで大変そうな役だと思わず、原作の小説と同じような感覚で客観的にサラッと読めたんですよ。自分が演じるってことを意識してなかったんでしょうね(笑)。「面白そう。やる!」って手を挙げちゃったんですが、現場に入ってから痛い目に遭うことに(苦笑)。
沼田まほかるさんの小説を原作にした『ユリゴコロ』ですが、吉高さんが演じたのは、小さい頃から殺人衝動を自らの拠りどころ(=ユリゴコロ)として生きてきた、数奇な運命を送ることになるヒロイン・美紗子ですね。脚本を読んでから、クランクインまでに役作りや準備は?
全然、何もしないで現場に入りました。自分とかけ離れすぎていて、無理に作ってもしょうがないし、“共感”が重要な役でもないですから。あとは現場に通いながら、あの時代(【過去編】)の衣装や映画が持っている雰囲気に身を任せてみようという感じでした。
実際に現場で演じられてみていかがでしたか? 美紗子の軸となった部分などがあれば教えてください。
セリフがあんまりなかったなっていう印象が強いんですよ。ほとんどしゃべっていなくて、1日にセリフ2行とか、3日間くらいほとんどセリフなしの撮影とかもあって。そのぶん、自分の“間”を考えるのではなく、相手の芝居を受けることが多かったし、美紗子自身が受け身のタイプの人間なんですよ。
たしかに。殺人者ですが、アクティブに“獲物”を探すというタイプではなく、ジッと相手を観察し、受け止める人間ですね。
普通は、主人公があれこれとしゃべって説明することが多いですけど、この映画はしゃべらずに想像させる作品。私は私で、相手のお芝居を見て考えることが多くて。こんなにまじまじと他人の芝居を見たことってなかったなぁって。それは美紗子という役を演じるうえで、すごく大きなことだったかもしれません。

美紗子の“屈折”から感じる「痛みを知ること」の意味

これまで演じてきたような、言葉で説明し、アクティブに動き回る役よりも、少ない言葉と動きで役柄を見せなくてはいけない今回のような役のほうが難しいですか?
難しさ…というか、好き嫌いで言うと、個人的に今回のような役のほうが好きで、しゃべると、どうしてもどこかで滑舌を気にしたり、セリフを思い出そうとする瞬間があったりする。そういう意味で、セリフがないほうが演じやすかったです。
難しかった部分はどういうところでしたか?
難しいのは、演じてるときじゃなくて、いま、取材で「美紗子ってどういう人間ですか?」って聞かれたとき、どう説明したらいいかってところですね(苦笑)。こんなに説明しづらい役もない。演じるうえでは…多くはないんですが、人を殴ったり蹴ったりするシーンがあって。
つらかった?
自分が殴られたり、蹴られたりするほうが、ずっと楽ですね。こっちがやるとなると、当たりどころが悪かったらどうしよう? とか考えちゃうし、実際に当たっちゃったこともあったし…。
初めての、人を殺めるシーンはいかがでしたか?
血のりって綺麗だなって思いましたね。子どもの頃に、ライターで火をつけるのを初めて見たときのような気持ちというか、血がバーッと広がっていく様子から目が離せなくて、追いかけている自分がいました。あとは、やり直しがきかない撮影の緊張感は常にありました。
心理的には?
とても大変ではありましたが、やりがいはあったので、またやってみたいですね。
大げさかもしれませんが、今回のような殺人者の役柄を演じたことで、生や死について改めて考えさせられた部分などはありましたか?
痛みというものをきちんと知らないと、何も知らないでそのまま生きていくか、いつかとんでもない大けがをするか、どちらかだと思うんですよね。子どもの頃、実家がマンションの2階だったんですけど、何度も飛ぼうとしたことがあって…(笑)。
痛みや恐怖を知らないから「飛べる!」と…?
「飛べる!」「絶対うまく着地できる!」って(苦笑)。飛ばなくてよかったなって今では思います(笑)。どこかで、それはダメだってわかる瞬間があるんでしょうね。美紗子の衝動も、子どもが虫を捕まえて殺したりする、誰もがやっていたような行為の延長線上にある、屈折したものなのかなって。
なるほど。
子どもの頃、何も考えずに虫を殺すのなんて、みんなが通ってきた道ですよね。でも、それをどこかの瞬間に「気持ち悪い」って感じたらやめるし、もしも、そう思わなかったら、自分ももしかしたら美紗子みたいになっていたのかもしれない。
美紗子ほどではないにせよ、どこかで一歩間違えば、誰しも屈折した衝動を抱えて大人になっていたかもしれない…。
そこは、決して共感はできないけど、理解できないわけじゃないな、という思いはありましたね。

現場でも、松山ケンイチの存在が“拠りどころ”に?

その美紗子が、松山ケンイチさんが演じる洋介の優しさに触れる中で、変わっていきますね。松山さんとのシーンは、それまでとはまったくトーンが違ったのではないかと思います。
もうね、出会う登場人物を次々と殺していってしまうんですよね。私のせいなんですけど…。現場での待ち時間がずっとひとりなんですよ! ずーーーっとひとりで携帯ゲームで遊んでて、松山さんが来て、ようやく一緒に長く過ごせる人が来てくれた! って(笑)。
ずっと孤独だった?(笑)
待ち時間を誰かと共有できるって、こんな素敵なことなのか! って(笑)。美紗子を演じていく中でのストレスや葛藤もあったし、ヒリヒリした心の内を話せる人がずっといなかったので、松山さんの存在は、美紗子を演じるうえでも、私自身にとっても大きな拠りどころでした。
その松山さんが演じた洋介もまた、心に闇を抱えています。“皮肉な運命”としか言いようのない糸で結ばれたふたりです。
それでも、美紗子が誰かを求めるという気持ち自体が、いままでになかったもので、そういう感覚が芽生えていることに演じながら驚きましたね。いや、でもそこに至るまでにいろんな人の人生を壊してて…。ダメな人しか出てこないなぁ(苦笑)。
美紗子に洋介、美紗子の友人でリストカットを繰り返すみつ子(佐津川愛美)も含め、みんな、積極的に「生きたい」という意思を持てず、かといって死ねるわけでもなく…。
生きる性(さが)を持たない人たちの物語なんだなぁって…。
その意味で、美紗子がたどる数奇な運命、この映画が描き出すものは吉高さんから見て、救いや希望ですか? それとも…。
原作の小説とは、また結末がちょっと違うんですよね。自分が出ていない【現代編】がどうなるのか? いまの時点でまだ見ていないのでわかりません。サスペンスとラブストーリーが並走するこの物語ですが、誰かを守ろうとする人たちの物語でもあり、最終的にそこにあるのは“救い”であってほしいと思っています。
いろんな意味で、大変な思いをした復帰作となったようですね。この映画の後、撮影に入ったドラマ『東京タラレバ娘』に関しては、撮影自体が「楽しかった!」とたびたび、SNSでも発信されてますが…。
楽しかったぁ!(笑) いや、ホントこの映画に「ごめんなさい」って感じだけど、楽しかった! だからこそ、この映画に『タラレバ』を超えてほしい! あんなにきつくて大変だったからこそ、評価なのか数字なのか…『タラレバ』を超えるものがほしい。これで、誰も映画館に見に来てくれなかったら、あの期間の私は何だったんだって(苦笑)。
この映画を経験したことで、新たに女優としてつかんだものはありますか?
何でしょう…自分の新しい一面は見られたかなと思いますね。さっきから言っているように、撮影も映画の内容も「楽しい!」って感じとは違うし、摩耗したけど、それでもこの映画をやってよかったなって思います。二度とやりたくないけど(笑)。
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