「精子の「電源スイッチ」をオフにする男女兼用避妊薬、実用化へ一歩前進:米研究グループ」の写真・リンク付きの記事はこちら

避妊のために亜麻布の袋や動物の膀胱を使っていた古代ギリシャやローマ、エジプトの時代から始まり、コンドームは長い歴史を歩んできた。しかし、現代の男性用避妊手段も発想自体は古代と変わらず、精子を卵子から物理的に遠ざけることが至上命題だ。米国では570万人の女性たちが依然として男性用コンドームをおもな避妊手段としている。しかし、精子が卵子を受精させるのを防ぐ方法は、こうした物理的バリアだけではない。

受精を成功させる精子はふたつの能力を備えている。遊泳と卵子への侵入だ。コンドームをはじめ、ほとんどの避妊手段は、子づくりというバイアスロンの「水泳種目」に的を絞っている。卵子にたどりついた精子が卵子に侵入するプロセス自体を停止させる方法は、これまで知られていなかった。

だが、カリフォルニア大学バークレー校の研究者たちはこのほど、ひとつの精子の中でのイオンの流れを計測することで、精子の動きにとって重要な「電源スイッチ」のようなものと、それをオフにする方法を発見した。この研究結果に基づいて、より効果的で男女ともに使える避妊薬を生み出せると研究チームは主張している。

精子は、子宮頚と子宮を通過して卵管にたどり着くまで、まるで畦道を横切るヘビのように、尾を横に振りながら進む。これは(相対的に)長い距離を移動するにはいい方法だ。ヒトの精子が卵子に到達するまでの遊泳距離は10〜12cmで、これは精子自体の長さの2万4,000倍に相当する。

だが、こうした尾の振幅運動は、透明帯と呼ばれる卵子の分厚い防護層を通過する際には何の役にも立たない。透明帯の厚さは30ミクロンあるが、ヒト精子の頭部はわずか5ミクロンの長さしかない。精子と生存競争的運命のあいだには、大きな壁が立ちふさがっているのだ。

透明帯を通過するために精子はその尾を強力なドリルに変える。尾を横方向に振るのをやめ、一方向に回転させることで、頭を栓抜きのように前進させ、密度と粘度の高い卵子の外膜の中を進むのだ。研究者はこの動作を「パワーキック」と呼ぶ。

では、パワーキックの動力源は何か? それは、精子尾部へのカルシウムの大量流入だ。膜内外のイオンの移動により、細胞の運動機能に必要な生体電気が生じる。

ヒトの体のすべての細胞には、あわせて数千種類ものイオンチャンネルが存在するが、パワーキックの動力源はそのうちのたったひとつだ。精子にしかないそのチャンネルの名前は「CatSper」という。そして、CatSperが活性化しカルシウムを取り込むのは、精子が卵子に接近し、卵巣の黄体から分泌されるホルモン「プロゲステロン」を浴びたときだけなのだ。

CatSperの機能(精子に特有のイオンチャンネル)が明らかになったのは2001年のことで、男性不妊症の研究をしていた研究チームが偶然発見した。不妊男性には、Catsperをコードする9つの遺伝子の少なくともひとつに変異があったのだ。

2017年5月15日付で『PNAS』に掲載された論文によると研究チームは、CatSperに強固に結合してチャンネルをふさぎ、パワーキックの動力源であるカルシウムの大量流入を阻害する化学物質を発見すべく、50種以上の物質のスクリーニングをおこなった。最も有望な2種類は、いずれも人類が何千年も食べ物として摂取してきた植物に由来する。ひとつは、植物に含まれる天然化合物の一種であるルペオール[PDFファイル]で、キク科植物のほか、マンゴーやブドウ、オリーヴなどにも含まれる。もうひとつは、「雷神の蔦」と呼ばれる古代のハーブから抽出されたプリスチメリンだ(雷神は子孫繁栄を司る神ではなさそうだ)。

研究リーダーである生物物理学者、ポリーナ・リシュコは「この発見は、より確実で優れた緊急避妊薬の開発にすぐに利用できます」と述べる。同氏の説明によると、現在の緊急避妊薬をめぐる最大の争点は、この薬品が受精卵の子宮への着床を阻害する場合があることで、受胎と同時に生命が誕生すると信じる中絶反対派はここを攻撃材料とする。「今回発見した方法は、現在市場に出回っているどの緊急避妊薬より10倍もの効き目があり、しかも受精を確実に防げます。受精卵には一切手を出さないのです」とリシュコは語る。

ノースウエスタン大学で精子について研究する分子生物学者のアーウィン・ゴールドバーグは、むしろ男性用避妊薬としての可能性に期待している。この研究は、製薬会社にとって科学的裏付けのある魅力的な提案だと同氏は述べ、「男性用の避妊手段の分野には、コンドームの登場以降、何ひとつ新しい展開がありませんでした」と言う。期待が寄せられたホルモン注射の男性用避妊薬は多数あったものの、いずれも失敗に終わるか副作用の懸念により開発が断念されてきた。

特筆すべき例外が、精管にジェルを注入することで精子をブロックする男性用避妊薬「ヴェイサルジェル(Vasalgel)」だ。2017年2月に サルでの実験が成功[日本語版記事]し、現在は臨床試験の準備段階にある。今回のバークレーの研究チームはこれに一歩遅れているが、それでも彼らはブレイクスルーに向かっているとゴールドバーグは考えている。「新たな男性用避妊手段の開発という意味では、個人的には今回の研究は重要なアイデアだと思っています」。ただし同氏は、製薬会社がこうした需要があることに納得しなければ、臨床試験の莫大なコストを負担しようとはしないだろうとも指摘した。

リシュコらのチームが発表した今回の研究結果は、ヒトの精子を使用した実験室での測定に基づくものだ。チームは現在、生きているサルを使った動物実験を開始し「精子のドリル」を停止する効果が体内でどれだけ持続するのかを検証することで適正な投与量を定めようとしている。これらの結果も年内には出る見通しだ。

自ら起業し、3年以内の商品化をめざすリシュコの計画は重要な局面を迎えている。目標は、男性でも女性でも使え、経口摂取でもインプラントリングからの遅効性の放出でも効果を発揮する「ユニヴァーサル避妊薬」だとリシュコは語る。待ち望まれた男女平等の避妊手段の誕生に期待したい。

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