森脇健児が『オールスター感謝祭』(TBS系)の名物企画「赤坂5丁目ミニマラソン」で優勝を果たした。初出場で優勝した2003年の秋大会以来の快挙である。

授賞式では感激のあまり、むせび泣き鼻水をたらす姿も話題となった。森脇健児は「赤坂5丁目ミニマラソン」に人生を賭けている。
京都に建てた一軒家は小高い丘の上にあり、「赤坂5丁目ミニマラソン」でのクライマックス“心臓破りの坂”に見立てて、練習を繰り返している。さらに、本番前には遺書をしたためるほどの覚悟だという。

いまやすっかりマラソンタレントとなった森脇健児であるが、かつては全国区で活躍する人気芸人であった。『しくじり先生俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)でも語られ話題となった森脇健児の90年代の活躍をふりかえってみたい。

森脇健児の知名度を上げた『夢がMORIMORI』


森脇健児の知名度を全国区で確たるものとしたのは、1992年に始まった『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)だろう。土曜深夜に放送され、森脇健児、森口博子、そして6人組だったSMAPが登場していた。司会の森脇と森口、そして歌もスポーツも器用にこなした森且行の頭文字を取って「MORIMORI」となっている。

この番組ではサッカーボールを用いて野球を行うキックベースが人気企画となり、森脇も持ち前の運動神経を活かし活躍した。

CMやドラマにも出演していた


森脇健児は細身のイケメンタレントとして俳優活動も行っていた。
1993年には教え子の女子高生と結婚しながら、学校でその事実を隠し通すドラマ『お願いダーリン!』で主演を演じ、同年にはこちらも高校教師の設定で、悪魔界から人間の女性の結婚相手を探しに来る『お願いデーモン!』(ともにフジテレビ系)にも出演した。

どちらもラブコメディの要素が入った作品であり、森脇健児は、笑いもシリアスな演技もこなす器用な役者として活躍した。

1994年には、多くのトレンディドラマに出演していた俳優の吉田栄作と、マンダムのデオドラント商品「GATSBY」のCMに出演。「ギャッツビー付けて格好つけて」のフレーズも話題となった。

復活を果たした森脇健児


だが90年代なかばになると森脇健児は次々とレギュラー番組を失い、古巣の関西への帰郷を余儀なくされる。「しくじり先生」では、実力がともなわないのに、調子に乗りすぎてレギュラー番組を失っていったさまが語られた。

そんな森脇健児が復活を果たすのは、“過剰なアツさ”が、安田大サーカス団長をはじめとする松竹芸能の後輩芸人たちにイジられるようになってからであろう。すでに再ブレイクの兆しはあるが、今後さらなる飛躍もありそうだ。

※イメージ画像はamazonより森脇健児セーターブック