いまから約20年前、1996年10月にはじまった『タモリの超ボキャブラ天国』(フジテレビ系)は、社会現象となる“ボキャブラブーム”を引き起こす。
この番組に出演していた芸人たちは「キャブラー」と呼ばれ、高い人気を獲得。営業のギャラはうなぎのぼりとなり、ライブ終了後はサインを求める若い女性たちに囲まれるといった、“我が世の春”を謳歌していた。

ただすべての若手芸人が「ボキャブラ」に出ていたわけではない。「ボキャブラ」に出なかった若手芸人たちと、それぞれの事情をふりかえってみたい。

「ボキャブラ」に出演しなかったバナナマン


「ボキャブラ」へ出ないと自ら決めた芸人としては、バナナマンがよく知られている。
当時、芸歴2〜3年目の彼らは、テレビに出ず、ライブで笑いを追求する道を選んだ。バナナマンは作り込んだコントに定評がある職人芸的なコンビであり、その実力は『キングオブコント2016』(TBS系)でそろって審査員を務めたことからもわかる。

それでも90年代のバナナマンのライブの客は、テレビに出ているキャブラー目当ての若い女性ばかりであり、彼らの笑いが理解されることはなかったようだ。

「ボキャブラ」に出演しなかった芸人たち


1992年にコンビを結成し、頭角を現していたアンバランスも、途中から「ボキャブラ」出演を取りやめた。
のちに出演した『芸人報道』(日本テレビ系)で本人たちが語ったところによれば、「ボキャブラ」と同時期にラジオの中継コーナーのレギュラーが決定。「ボキャブラ」はたまに出られる程度だったため、確実なレギュラーであるラジオ中継を選んだ。だが、そのコーナーは一社提供のお天気コーナーであり、ボケる要素がまったくなく、力を発揮できなかったという。

多くのキャブラーが所属していた太田プロのノンキーズも、一時期「ボキャブラ」から姿を消していたコンビだ。これは「ボキャブラ」の放送時間が日曜深夜に移った際、裏番組である『おねだり姫』(テレビ朝日系)へ出演していたため。
この番組は秋元康がプロデュースしており、彼らは秋元によって“ポストとんねるず”として売り出されていた。秋元の作詞提供によるCDデビューも果たすなど精力的に活動していたが、コンビは2007年に解散している。

「ボキャブラ天国」は2008年に復活した時には、少なくない出場者の顔が隠されていた。彼らは芸人を廃業し、一般人となった人たちだ。「ボキャブラ天国」へ出場していたからといって、必ずしも売れるわけではない。芸の道は厳しく、近道も横道もないということなのだろう。

※イメージ画像はamazonよりbananaman live 2013 Cutie funny [DVD]