執筆:杉山 崇(神奈川大学人間科学部/大学院人間科学研究科教授)


ゆとり世代
すっかりネガティブ感が漂うワードになりましたね。

しかし20年あまり前も同様のことがありました。当時の20代は「新人類」と呼ばれ、上の世代から揶揄されていました。

上の世代は若い世代を卑下することで「俺たちは偉いんだ!」と自分たちの自己価値を確認したくなるもの。当時、新人類と揶揄されていた世代が、今の20代を「ゆとり世代」と卑下しているだけなのかもしれません。

それにしても、本来はいい意味である「ゆとり」という言葉がネガティブに捉えられるようになったのはなぜなのでしょうか。その経緯を振り返ってみましょう。

そもそも「ゆとり世代」とは

「ゆとり世代」とは、1980年度以降、2010年代初期まで実施されていた「ゆとり」ある学校をめざした教育を受けてきた世代です。

学校が完全週5日制になり、教科教育の時間を減らすことで各学校が「特色ある教育」を展開できるように…が文部科学省の主旨でした。

「自ら学び自ら考える力」などの「生きる力を育む」という名目で導入されました。世の中はこの教育を「ゆとり教育」と呼びました。

しかし、学習指導要領というマニュアルで教育を行うことを求められてきた小中高等学校にいきなり「特色ある教育」を求めても現場が混乱するだけです。また児童生徒の「自ら」を尊重するあまり「叱る」「注意する」「強く教え込む」といった指導がやりにくくなったという問題もありました。

たとえば、教師は「先生」という雲の上の存在であるべきなのですが、「○○さん」と気安く呼ばれるようになりました。教科教育を減らした分、日本の児童生徒の学力は国際的な比較の中でも低下しています。こうして学力も「長幼の序」も身についていない若者が増えていったのです。

「ゆとり世代」は被害者でもある

そして「ゆとり教育」を導入した主体である文部科学省が事実上の「脱ゆとり宣言」を行いました。これは異例のことです。「ゆとり教育」に関しては、失敗を表明したようなものなのです。

気の毒なのは「ゆとり教育」を受けてきた世代です。

事実上「失敗宣言」をされたわけですので、「ゆとり教育を受けてきた世代」というポイントが“次世代を卑下して自己価値を守りたい”上の世代に格好の標的になってしまいます。実際に上の世代の一部が、若者を「ゆとり世代」と卑下するようになりました。

こうして「ゆとり」というワードにネガティブな印象が伴うようになりました。

年長者は「ゆとり世代」の感性を学ぶべき

一方で、「ゆとり世代」には「昭和クサイ」などと上の世代をバカにする雰囲気もあるようです。どの時代にも世代間のギャップや葛藤はつきものですので、お互いに揶揄し合うことは悪いことではありません。しかし、これを続けることはナンセンスです。

世代が違えば、生きてきた時代も、これから生きていく時代も違うのです。価値観や感性が異なるのは当然です。そして、この違いが融合することで新しい何かが生まれます。

実際に、当時「新人類」と揶揄された世代にはAKB48グループ・プロディーサーの秋元康氏、リサイクル運動家で政治家としても活躍した高見裕一氏など、その分野において新たな価値を創造した人々が数多くいます。


年長者は「ゆとり世代」と若者を揶揄するだけではなく、ゆとり教育を受けた若者たちに自分たちにない感性を学ぶべきではないでしょうか。

現代はいい意味でも悪い意味でも「昭和」ではないのです。新しい時代を生き抜くカギは「ゆとり世代」が持っているのかもしれません。


<執筆者プロフィール>
杉山 崇(すぎやま たかし)
神奈川大学人間科学部/大学院人間科学研究科教授。心理相談センター所長、教育支
援センター副所長。臨床心理士、一級キャリアコンサルティング技能士、公益社団法
人日本心理学会代議員。
公式サイトはこちら⇒ http://www.sugys-lab.com/