先日、韓国への亡命を果たしたロンドン駐在の太永浩(テ・ヨンホ)北朝鮮公使。「北朝鮮外交官の中では最高位クラスの亡命」と言われているが、太公使も夫人のオ・ソネ氏も「北朝鮮の貴族」と言うべき、抗日パルチザンの血筋だ。

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韓国の中央日報によると、太公使の父は、故金日成主席が抗日パルチザン活動を行っていた時代に伝令兵を勤め、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の大将まで上り詰めた太炳烈(テ・ビョンリョル)氏だ。

また、兄の太炯哲(テ・ヒョンチョル)氏は党中央委員会委員で、金日成総合大学の総長だ。2011年に行われた金正日総書記の国喪では、国家葬儀委員長を務めている。

金正日氏の通訳

太公使の経歴も華々しい。高校時代に元人民武力部長の呉振宇(オ・ジヌ)氏の息子など、パルチザン2世たちと共に中国に留学し、中国語と英語をマスターしている。帰国して平壌国際関係大学に進学、卒業後は外務省8局に配置された。

その後、金正日氏のデンマーク語通訳に抜擢され、1993年から駐デンマーク大使館の書記官を務めた。1990年代末に大使館が廃止された後は、外務省のEU担当課長に就任した。

2003年4月に北朝鮮がロンドンに大使館を開設した際に、1等書記官として派遣され、以来、10年以上に渡って英国勤務を続け、大使館内では玄鶴峰(ヒョン・ハクポン)駐英大使に次ぐ地位にあった。

外交官の勤務期間は通常3年だが、10年以上に渡って勤務できたのは、その出身成分によるものと思われる。

次男は最難関大学に

金正恩氏の兄の金正哲氏が2015年にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれたエリック・クラプトンさんのライブを見に来た際に、太公使はエスコート役を務めた。

一方、オ・ソネ夫人も、父親は朝鮮人民軍総参謀部で副総参謀長を務める呉琴鉄(オ・グムチョル)氏、祖父は元抗日パルチザンで、党政治局中央軍事委員会、護衛司令部司令官、国防委員会副委員長を務めた呉白龍(オ・ベンリョン)氏だ。

オ夫人は、対外経済省で英語通訳を務めた経歴を持ち、香港を経て、ロンドンにやって来た。

体制に嫌気

太公使はオ夫人、長男(26)、次男(19)、長女の5人家族だが、英ガーディアン、デイリー・ミラーによると、次男のテ・グムヒョク氏は世界最難関大学の一つであるインペリアル・カレッジ・ロンドンに進学し、数学とコンピュータ工学を専攻している。

韓国統一省は太公使一家の脱北の動機を「金正恩体制に嫌気が差した」ことと合わせて「子どもの教育問題」と伝えており、次男の名門大学進学が、脱北を後押ししたことも考えられる。

現地の脱北者が米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)に語ったところによると、太公使は他の外交官とは異なり、静かで知的な人柄の典型的な党のイルクンだと評価している。一方、まっすぐで妥協することを知らないため、誤った指示を受けるたびに葛藤を抱えていたとも伝えている。