2020年東京オリンピック・パラリンピック
今から考えておきたいこと(前編)

 2020年東京オリンピック・パラリンピック開催まで、すでに2000日を切った。国立競技場の解体が始まり、各競技団体は2020年を見据えて、ジュニア強化に着手するなど、着実に動き始めている。

 ただ、私たちの意識は何か変化があるだろうか。開催決定の歓喜に沸いてから早1年半。いま一度、東京オリンピック・パラリンピック開催の意味、そして、大会の成功とは何なのか? 東京2020組織委員会戦略広報部長・小林住彦氏を招き、今年『オシム 終わりなき闘い』(NHK出版)を上梓したノンフィクションライター木村元彦氏と語り合ってもらった。

小林:木村さんの最新の著書を読ませていただき、スポーツの持っている大きな可能性、たとえ紛争があってもサッカーを通して国が一つにまとまっていける、そういったスポーツの力をあらためて感じました。
実は今日、『オリンピック憲章』を持ってきたんですけど、その根底には平和や調和を目指すという精神があります。「戦いをやめて、みんなが平和に暮らす世の中を作っていこう」という考え方がベースにあるんです。その意味で、オシム(※1)さんがやっていることとオリンピズムというのは実はすごく一致している。まさに、オシムさんはオリンピズムを実践されている人なんだなと思いました。

※1イビツァ・オシム 2003年、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)監督に就任し、来日。2006年サッカー日本代表監督に就任。2007年11月、脳梗塞で倒れ、志半ばで退任。2011年、民族ごとに3つに分かれていたために、FIFA、UEFAから資格停止を受けたボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会を統合するために「正常化委員会」の委員長に就任。協会会長を一本化させて、資格停止は解かれた。その後、ブラジルW杯出場を果たした。

木村:なるほど。小林さんの立場のような方がこれを読んでくれて、よかったと言ってくれるのはすごくうれしいことです。
 オシム自身がオリンピック憲章を体現していますよね。平和のためにスポーツをするんだというところで、3民族の対立によってFIFAを除名されてしまったボスニアをまとめることができた。これはオシムじゃないとできなかった。もっと言うと、スポーツの力じゃないと、できなかったということですよね。

小林:そうですね。確かに僕たちはスポーツの力を信じていて、その力を伝えていきたいし、利用の仕方もみんなに理解していただきたい。もちろんスポーツは万能ではないですけど、政治だけでは解決つかない問題も、スポーツがある意味解決の糸口を見つけてくれるというか。

木村:また、このオシムが(現役時代に)1964年の東京オリンピックに来ていたと。

小林:そこが面白いですね。ちなみにオシムさんは、東京オリンピックのことをどのように語ってらっしゃったのですか?

木村:とにかく選手村の生活は楽しかったというんです。1964年ですから、まだまだ日本も高度経済成長の途中ではあったと思うんですけど、彼がサラエボに帰って、よく語っていたのは、東京で初めてカラーテレビを見たと。それから、とにかく選手村のホスピタリティーが素晴らしくて、自転車を無償で貸してくれたと。それで千葉のほうまで走っていったとか。

小林:よく行きますね(笑)

木村:今思うと、千葉にやっぱり縁があったんでしょうね(笑)。代々木から千葉まで、結構遠いですけど。たまたま農村を走って少し休んでいたら、農家のおばちゃんが出てきて梨をくれたと。これがすごくおいしかったようで。オシムもおばちゃんも英語ができなかったでしょうから、どういう会話をしたのだろうと思うのですが、それが楽しかったようです。

小林:その話題に呼応すると、去年の10月10日、その日は64年の東京オリンピック開会式からちょうど50周年に当たるのですが、当時出場したオリンピアンを東京にお招きして同窓会をやるという企画をJOCが中心になってやりました。その中に、イリーナ・シェビンスカ(※2)さんというポーランドの陸上のメダリストがいらっしゃいました。
 彼女が言っていたのは、国立競技場の雰囲気がとにかく素晴らしかったということで、「東京の国立競技場のあの雰囲気のおかげで、モチベーションが高まり、素晴らしい結果を出すことができた。アスリートとして、その後のキャリアが築けたのも東京のおかげ」とおっしゃっていました。彼女、実はIOC委員もやっています。
※2 ポーランドの陸上女子短距離選手。東京五輪では4×100mリレーで金メダル、200m、走り幅跳びで銀メダルを獲得した。

木村:現在も?

小林:はい。あと、ベラ・チャフラフスカ(※3)さんも同窓会に参加しました。長田渚左さんが昨年書かれた『桜色の魂』(小社刊)を読んで感じたのですが、チャフラフスカさんもやはり日本のホスピタリティーに感激をしていて、その後の波乱万丈な人生でも、東京大会での経験が心の支えになっていたと思うんです。
 それでいうと、僕らが今度2020年の大会を作るに当たって、50年経った時に、つまり2070年になってるわけですけど、そこに参加したアスリートたちが50年前を振り返って、「あの大会のおかげで自分たちの人生の根幹ができた」と思ってもらえるような大会にしたいなと。今のオシムさんの話を聞いても、チャスラフスカさんとかシェビンスカさんの話を聞いてもそう思いますよね。
※3 チェコスロバキア、プラハ出身の体操選手。1964年の東京オリンピックでは、個人総合、跳馬、平均台で3つの金メダルを獲得。現在はチェコ日本友好協会名誉会長としても活動している。

木村:そうですね。僕は今日、逆に小林さんにうかがいたいことがいくつかあります。僕自身は招致合戦をしている時に、五輪憲章の精神からいけば、開催はトルコのほうがいいと思っていたんです。初めてイスラム圏でやることに意義があるかと。
 でも、決まってしまった以上は、逆にこのオリンピックをいかに意義あるものにしていくかが大事。だから、招致の文言で経済効果というのがすごく鼻についた。本来、そうではないじゃないですか。少なくとも1964年は、結果としてすごく大きな景気の刺激になったし、高度経済成長の大きな象徴的なトピックになったと思いますが、原点に立ち返って、平和の祭典にしなくてはいけない。その意味において、方向性というものを明確に、組織委員会のほうが打ち出していっていただきたいと思っています。
ポリシーとして、まず"アスリートファースト"であること。それから平和の祭典であるというところ。ここを押さえるべきだし、そのフィロソフィーの発信こそが重要じゃないかと思います。

小林:そうですね。オリンピック憲章を読むと、とても大切なことが書いてあるんです。「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和のとれた発展に役立てる」という一文は、まさに私たちの活動の根幹ですし、「人種、宗教、政治、性別、その他の理由による、国または個人に対する差別はいかなる形であれ、オリンピック・ムーブメントには相容れない」とか......

木村:なるほど、そうですよね。

小林:あらゆる多様性を許容するというか、それを尊重するということでしょうか。あと、これはメディアのイメージでいうと「メダル何個」にこだわる傾向がありますけど、実はオリンピック憲章ではそれを否定していまして。オリンピックは国家間の競争ではないと明確に定義しています。(国別の)メダルの数には意味がないというか、公表もしないと言っているんです。あれ、実はメディアが勝手に出しているだけで......。

木村:さらに、それをまた競技団体が歪曲して、「国家威信をかけろ」とか「○○ジャパン」とか、訳が分からない。それがやっぱり今の歪みにつながっているような気がしますよね。

小林:もちろんメダルを目標にすることは、モチベーションという意味ですごくいいと思いますし......

木村:そうです。スポーツの根源としてね。

小林:メダル自体の価値はすごく高いと思うんですが、数でいうと、例えばサッカーのような団体種目のメダル1個と、個人種目のメダル1個と単純に比べられないのかな、と。

木村:僕は、チャスラフスカが今でもある一定の世代の方たちから、ものすごく慕われている、記憶に残っているというのは、メダルを超越した存在だったからだと思うわけです。あの立ち振る舞いがものすごく強い感銘を与えてくれて、チェコスロバキアの場所さえ知らなかった人が、50年以上経った今も「すばらしかった」と記憶している。

小林:そうですよね。日本の人たちが世界に目を向けるというか、世界のことを知る一つの入り口として、スポーツ以上のものはないですよね。

(つづく)

スポルティーバ編集部●文 text by Sportiva