両者のラケットから発せられるボールのインパクト音が、夕暮れ迫るマイアミの空に心地よく響いていく。コートを跳ねた直後のボールを、すぐさま強烈に叩くふたりのアスリート。バックのクロスの打ち合いが続く中、1本の短いスライスを機に、今度は縦に、そして前後にと互いに揺さぶりをかけていく。

 一瞬、ラインを超えるかに思われた深いボールも、きわどく白線の淵をとらえる。ミスがなく、堅実で、なおかつ果敢にポイントを奪いに行く意地のぶつかり合い――。その攻防の中、わずかに浅い相手のショットを見逃さず、錦織圭が勝負を賭けるかのように、フォアでストレートに打ち込んだ。錦織の強打を必死にバックで返した相手の返球は、乾いた音を立ててネットの白帯を叩き、10センチほど上に跳ねあがった後、相手側のコートにポトリと落ちた。

 その打球の行方を目にすると、ダビド・ゴファン(ベルギー/世界ランキング20位)は肩を落とし、金髪に覆われた頭をがっくりと大きく垂らした。このポイントで両者が交わしたラリーは、実に27本。第1セットの第4ゲーム、30−30の局面で繰り広げられた激しい打ち合いを制したのは、錦織だった。

 次のポイントで息の上がったゴファンは、フォアで簡単なミスを犯し、錦織が最初のブレークに成功する。この27本の打ち合いを機に、錦織は8ポイント連取、さらには5ゲーム連取に成功し、第1セットをわずか28分で奪い去った。互いの出方をうかがうような初対戦の行方を決定づけたのは、試合序盤の長い長い1ポイントであった。

「最初は、特に出だしが入りにくかった。相手も良いプレイをしていて、なかなかミスをしなかった」

 マイアミオープンの4回戦――。初の対戦となるゴファンとの一戦を、錦織はそう振り返った。ゴファンと錦織はわずかに1歳違いだが、不思議とジュニア時代も含めて対戦はなく、昨シーズンの終盤に一度、練習をしたきりだと言う。

「あの時の圭は、まさに絶好調だった。練習でも押されることが多かった」

 初対戦を前にして、ゴファンはそう半年前の出来事を思い返す。

 だが、そのゴファンも昨年の終盤は、キャリアで最も充実した日々を送っていた。シーズン前半はケガに苦しんだものの、ウインブルドン以降にコーチを変え、それが躍進の契機となる。

 「新コーチは、僕を幼少期から知っていた人。彼にはボールを早いタイミングでとらえ、攻撃的なテニスに変えるようアドバイスされた」

 ジュニア時代から才能を高く評価されていた24歳のベルギー人選手は、新コーチとの取り組みによって、ランキングを一気に20位まで上げてきた。奇しくもその足跡や、与えられたアドバイスの内容は、マイケル・チャン・コーチと錦織のそれに重なるものがある。実際にゴファンも、「僕と圭は似たプレイスタイル。どちらも小柄だが、スピーディで、いろんなショットを打てる」と語り、初対戦を心待ちにしていた。

 初めての対戦は、誰にとっても難しい。だが、よりやりづらいのは、挑戦される立場のほうだ。

「試合の動画を見てなんとなくイメージはあったが、初めての相手というのは、なかなか読めない。特に最初は、サーブのコースが読めなかった」

 ランキングで大きく上回る錦織は、「失うものはない」と言っていたゴファンの攻撃の前に、立ち上がりはやや劣勢を強いられた。だが、その競った展開の中、冒頭で述べたひとつのポイントが、試合の流れを決する大きな分水嶺となる。長いストローク戦の行方は、得てしてその後の趨勢(すうせい)を決めかねない。ターニングポイントの匂いを嗅ぎ取り、集中力を高めて一気に畳みかけた錦織の「勝負師」としての資質が光った場面であった。

 さらに第2セットでは、錦織は第1セットとは正反対の展開の中、流れを反転させる力をも示した。ゴファンがゲームカウント1−0とした第2セットの第2ゲーム。21本のラリー戦を落とした錦織は、続くポイントでダブルフォールトを犯し、相手に先にブレークを許す。

 しかし、次の相手のサービスゲームで、錦織は再びギアを上げてポイント先行し、即座にブレークバックに成功。その後も、25歳の世界5位は反撃の手を緩めず、このブレークを機に怒涛の6ゲーム連取を遂げた。

「もし、0−3になっていたら、相手も良いプレイが続いていたので、セットも取られていたと思う。あのゲームをしっかりブレークできて、流れを自分のほうに取り戻せた」

 もうひとつのターニングポイントをそう振り返る錦織は、「大事なところで集中できるのが、最近の強みだと思います」と、さらりと口にした。

 テニスにおいて、強い選手とは往々にして、「大切なポイントを取れる選手」だと言われている。錦織はどのようにして、その「大事なところ」を嗅ぎ分けるのか?

「なんとなく、ここが大事なところだとか、取らなくてはいけないポイントだということは、頭で分かっています。『次のポイントが大切だ』と、ちょっと頭に入れておくだけで、違いは出てくる。そういうのは、パッとできていると思います」

 この勝利で錦織は、昨年に続いてベスト8へと進出した。しかも、ここまでの3試合は、すべてストレート勝ち。落としたゲームは、わずかに10(6セット)。これは、今大会のベスト8進出者の中で、ダントツに少ない数字である。個々の試合のみならず、トーナメント全体をひとつの流れとして見たとき、体力を温存し、調子も上げてきたここまでの勝ち上がりは、完璧に近い物語のつむぎ方だろう。

 そして2週間の大会も、いよいよ中盤から終盤戦へ――。

 世界ランキング24位のジョン・イスナー(アメリカ)と対戦する次の準々決勝が、終盤戦最初のターニングポイントとなる。

内田暁●構成 text by Uchida Akatsuki