「大塚家具」の経営権をめぐり、創業家の父と長女が繰り広げたプロキシーファイト(委任状争奪戦)が、3月27日に開かれる株主総会でついに決着する。

 どちらに軍配が上がろうと熾烈を極めた「骨肉の争い」は大塚家具と一族に禍根を残すことになるだろう。

 発端は昨年7月、同社の大塚勝久・会長(71)が経営方針への不満から長女の大塚久美子・社長(47)を解任したことだった。ところが今年1月、久美子氏は取締役会で自身の社長復帰の決議を勝ち取り、再び形勢は逆転した。その後、筆頭株主の勝久氏が久美子氏を取締役から外す株主総会提案を出すと、対する久美子氏は主導権を握る取締役会で、勝久氏を取締役から外す会社提案で反撃した。

 大塚家具は1969年、埼玉県春日部市で創業した。勝久氏は父親が営んでいた桐タンス工房から25歳の時に独立し、千代子夫人と二人三脚で会社を育て上げた。勝久氏と当時から親交がある春日部市在住の税理士・寺門好雄氏が話す。

「かっちゃん(勝久氏)の父親も兄も腕の良いタンス職人だった。かっちゃんは小学生の頃から、タンスの配達など家業の手伝いを熱心にやっていた。まるで“仕事が遊び”といった感じで熱中していた。温厚な性格で親孝行な少年だったけど、当時から我は強かった。配達や販売について、父や兄から『こうしたほうがいい』と助言されても、『いや、俺はこう思う』と自分の信念は曲げず、人のいうことを聞かなかった」

 当時、一家は春日部市にオープンした第1号店の倉庫の一角で暮らしていた。その後、高度成長期という時代の波に乗り、またボウリング場やスーパーなどの跡地に居抜きで出店する手法で、同社は急成長していく。同社OBが述懐する。

「最初の頃は、20人ばかりの社員が総出で自転車に乗って営業に駆け回った。社長(勝久氏)は頑張った人間にはきちんと報いてくれる人。ワンマンで自分の流儀は徹底して押し通すけど、情に厚く、社員を家族のように考えていた。私たちも社長を“親父”のように思っていた」

 1990年代に入ると、勝久氏が掲げた会員制の「中高級家具専門店」路線が当たり販売は拡大。2003年には売上高730億円でピークを迎える。だが、右肩上がりだった業績は以降、低価格路線で勢力を伸ばす家具量販店「ニトリ」や「イケア」の攻勢に押されて伸び悩む。

 その会社の窮状を救うため2009年、社長に就任したのが久美子氏だった。

※週刊ポスト2015年4月3日号