アニメーターが紙と鉛筆を捨てるとき: ACTFが予見するペーパーレス、そして「波乱」の兆し

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2月半ばの東京、寒空の下で新たなイヴェント「ACTF(アニメーション・クリエイティブ・テクノロジー・フォーラム)」が産声をあげた。集った聴衆のほとんどがプロのアニメ関係者。キーワードは〈ペーパーレス(デジタル)作画〉。そのせいか、会場には緊迫したムードがあった。「紙と鉛筆の終わり」はいつ、どんな風におとずれるのか。食いっぱぐれないためには何を会得すべきなのか。イヴェントは終盤トリッキーな発表が続き、悲鳴のような質疑応答が飛び、第1回は波乱含みで幕を閉じた。

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アニメのデジタル化は「セル」の置き換えから始まった

〈デジタル作画〉というキーワードを理解するために、長いアニメの歴史で受け継がれてきた〈アナログ作画〉の工程とは何か、知っておく必要がある。

といっても難しく考える必要はない。誰もが教科書のページ隅に書き込んで楽しんだ、あのパラパラ漫画がことの発端。「紙に鉛筆で描いて、パラパラめくる」という作業そのものを〈作画〉と呼んでさしつかえない。

鉛筆の難点は修正に消しゴムを使うことだ。消せば確実に紙は汚れる。おまけに鉛筆を握る手の側面は黒ずんで、その手を動かすからまた紙は汚れる。しかも彩色など後工程のために、ダブったりしない1本ずつの綺麗な線で描きあげる必要がある。コーヒーをこぼしたりなんてもってのほかだ。ここまでを担う作業者たちを、総じてアニメーターと称する。

次に、苦労して完成した紙のパラパラ漫画に色をつけるべくセル(ああ、セル! …懐かしい響きだ)と呼ばれる透明なシートへ線画を〈トレース(転写)〉する。トレースマシンなる機械で熱転写していた頃は汗だくになるし手も汚れるし、元となる鉛筆の線の濃さは均一でなければならず、だから作画の汚れは大敵だった。

そんな風に苦労して出来上がったセルへ色を塗りつける工程を〈仕上(彩色)〉と呼ぶ。セル画が完成したら、〈撮影〉工程でフィニッシュ。背景画の上にセル画を置き、上から吊り下げたフィルムカメラで1枚1枚丹念に撮る。この工程も長らく手作業で行われてきた(ちなみにぼくはアナログの経験を一切もたない、フルデジタルなアニメ作家だ。知ったかぶりで失敬)。

ここで「枚数」を問題にしてみたい。実写映画の場合は1秒=24コマだから単純計算でテレビアニメ30分=セル画4万枚ほどになる計算だが、そのすべてを手で塗るなんて…想像するだに恐ろしい(おまけに運ぶのも重い)。仮に1週間で終わらそうと思えば1日あたり6,000枚。非現実的な数字だ。

そこで1秒=8コマ(1/3)程度でつくる「リミテッドアニメ」が主流となった。さらに止め絵を数秒使うといった工夫を凝らし、30分=数千枚にまで抑えこむ。それでも1日で数百枚を「手で塗る」という、芸術と呼ぶにはあまりに過酷な仕上工程を経なければ、毎週オンエアされる30分テレビアニメは生まれ得ない。おまけに(セルが高価だったころは洗って再利用していたらしいが、基本は使い捨てで)山のように廃棄物が生み出されるから、セルの利用は環境に優しくない。いろんな意味で重い。

こうしたアナログな工程はここ10年ほどで劇的にデジタル化が進み、コンピューターやネットワークが肩代わりした。けれど作画系の前工程と、仕上げ系の後工程ではまるで様子が違う。トレースマシンがスキャナに置き換わったおかげで、重くて汚れを嫌うセル画がまず役目を終えた。ソフトウェアが劇的に進化し、トレースやペイントを担う〈仕上〉系ツールが重宝され、静止画を連続的に再生する編集・エフェクト系ツールが〈撮影〉を引き受けた。

と同時に、デジタルデータが汚れや傷といったセルの難点からスタッフを解放した。最大の恩恵をもたらしたのはインターネット。セル画の「運搬」という重労働が消えたのである。もはや数十圓涼淵棔璽詒△鯤えてぎっくり腰になることもないし、エレベーターのない制作会社で階段を見上げ涙することもない(…実話だ)。そういうわけで、2013年頃にセルアニメはほぼ全滅。後工程のデジタル化はまことに歓迎すべき出来事だった。

ところが──前工程であるアニメーターの鉛筆画、いわゆる〈作画〉工程はデジタル化の波に取り残された。技術的にはとっくに実現可能。マンガの現場では当たり前になったペンタブレットを使い、紙ではなくコンピューターの画面上へダイレクトに絵を描く。それがペーパーレス、デジタルな作画である。消しゴムを使わず完璧に線が消せる上に、線を消さないで曲がり幅だけを微調整するなんて芸当も可能。そう耳にすればいいことづくめに思えてくる。普及しない筈はない。

ところが、そのメリットを素直に受け容れられない暗黙の「事情」が業界に潜んでいる。そして、その「事情」を深く知る聴衆たち──プロのアニメ関係者が席のほとんどを埋めつくした会場で、なんともいえぬ緊張感の下に第1回ACTFは開幕したのである。

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「ジョジョの奇妙な冒険」における美麗なオープニングが記憶に新しい、気鋭の制作会社・神風動画のデモリール。少人数ながら、短い尺の仕事に絞ってキャリアを重ねるスタイルを貫くことで、外注に頼らないワークスタイルを維持して来られた。それが、デジタル作画導入に臆することなく取り組める遠因ともなった。

デジタル作画は素晴らしい、けれど…?

最初に登壇した旭プロダクションの橋本航平は、アナログからデジタルへの移行を終えた現場のアニメーターとして自らの体験談を語った。

「ぼくの場合は、建物を描くときに便利なパース定規(セルシスの「CLIP STUDIO PAINT」が実現する機能)の存在を知って、デジタル作画にのめりこみました。加えて、紙をペラペラめくって動きを確認する代わりに、コンピューター画面では簡易的なアニメーション再生(プレヴュー)が可能になります。プレヴューができると描くモチヴェーションは上がる。だからデジタル作画を覚えた途端、1日あたりの作画枚数が劇的に増えたアニメーターもいます」

旭プロダクションはデジタル作画のみで稼働するスタジオを宮城県白石に構え、すでに量産体制に入っている。だから言葉に説得力がある。同スタジオにて動画検査を担う鈴木理人は、アニメーターの育成手順が大きく変化したと証言する。

「駆け出しのアニメーターが動画を覚える場合、絵の上手い下手以前に(後工程に適した)均質な線を描く訓練が必要になります。ですがデジタル作画の場合、線の太さや入りと抜き(線の両端の美しさ)についてはツールが肩代わりしてくれる。だからツールの使い方さえ覚えれば、いきなり作品で使われる作画の現場に入って腕を磨くことになります」

旭プロダクションのシステム管理を担う濱雄紀は、デジタル作画が後工程に及ぼす効率アップに言及する。

「鉛筆で描かれた紙からスキャンする場合、線の濃淡のせいで途切れてしまった線を後で継ぎ足したり、紙の汚れを取り除くといった作業が必要になります。一方、最初からペンタブレットを使いデジタルで作画すればその必要はなくなる。仕上の工程は作品にもよりますがかなりのスピードアップが見込めます」

続いて、AdobeのFLASHを活用するワークフローに取り組むアニメ監督・りょーちもは、違った切り口でデジタル作画のメリットを語った。

「FLASHの場合、描いた線がラスタデータ(膨大な点の集合)ではなくベクターデータ(曲線を現す数式の集合)だからデータが軽くて、拡大縮小に強い。後工程での修正を含め、作業効率が抜群にいい。もちろん導入にはいろいろと不都合もあります。けれどFLASHは内部でプログラミングが可能。だからカスタマイズして便利にできる」

こんな風に、デジタル作画を支持するアニメーターやプロダクションのプレゼンでACTFは和やかに進んだ。誰もがペーパーレスのすばらしさを謳った。しかし本来なら業界を牽引するべき立場にある古参たちの名前はそこにない。あの会社や、あのアニメーターはどうしてここにいないのだろう。はからずも、神風動画の代表水崎淳平が登壇し、自らの立場を明確にした途端、問題の存在が浮き彫りになった。

「うちはガラパゴスなんです。かなり変わったことをやっていると思う。だから退職もできない(笑)」

アニメーターが紙と鉛筆を手放せない事情

神風動画はデジタルの表現を究めた気鋭の制作会社だ。人気作「ジョジョの奇妙な冒険」における美麗なオープニングは記憶に新しい。ところで同社は少人数で発足した後、短い尺(長くても数分程度)の仕事に絞ってキャリアを重ねてきた。おかげで外注に頼らず内製にこだわることが可能になり、そのスタイルを維持したまま10年が経過している。つまり、だからこそ、デジタル作画の導入に臆することなく取り組めたのだ。

そろそろ業界のネガティヴな面に触れておく必要がある。映画やテレビシリーズといった尺の長い作品を手掛けるアニメ制作会社の多くは、社内で作画のすべてをこなしきれない。だから腕のいいフリーランスのアニメーターへ外注することが常識となっている。逆に、社内の作画チームが暇になると(クビにするわけにもいかないので)ほかの制作会社から下請け業務を引き受ける。まさに「持ちつ持たれつ」。その際、やりとりに使われるのは鉛筆で描かれた紙と、紙束が詰まったいわゆる「カット袋」なのだ。

なぜ紙と鉛筆か? どうして神風動画のように、Photoshopへダイレクトに描き込むといった大胆な進化をとげられないのか? 理由は明白で、腕のいいフリーランスのアニメーター、あるいは外部との風通しを重視する制作会社は、身内だけで通用する特別なツールやノウハウに頼ることを望まないのだ。

紙と、鉛筆と、カット袋。古臭いがこなれたワークフローだからこそ、横の連携が──「持ちつ持たれつ」が維持しやすい。作品を超えて共通言語が保たれ、エコシステムが機能する。その伝統にメスを入れた途端、恐ろしいことが起こると誰もが感じている。だから神風動画の代表・水崎淳平は、自らの制作手法におけるガラパゴス的進化をして「会社を辞められない」と皮肉ったのだ。

一方、作画のスタイルが紙と鉛筆からペンタブレットに置き換わる可能性について「間違いなく進む」とぼくは断言できる。アニメに先行するかたちで、マンガの現場が片っ端から紙を捨ててペンタブレットに移行しつつあるからだ。無論、アニメーターにも紙と鉛筆で育った職人としての愛着やプライドがあるだろう。しかしそれも仕事があってこその話。必要に迫られれば乗り換えざるをえない。

ぶっちゃけて言えば、業界が一斉に「せーの」で導入を決めたなら──「明日から紙と鉛筆廃止ね」とやられたら──兎にも角にも追従せざるを得ない。そうできるなら(できてくれるなら)ソフトやハードの値段なんて些細な投資に過ぎない。ところがそうもいかないのが実情のようだ。ACTFの後半戦が、そのあたりを物語っている。

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当日最も会場をどよめかせたのが、このシンガポール発のアニメーション制作ソフト「CACANi」。自動で中割りを生成(つまり最初と最後を描いておくと、その中間の動きをソフトが自動で描く)する機能は、アニメ制作をエンハンスする魔法のツールなのか、それともアニメーターの仕事を奪う魔のツールなのか。

ACTFは波乱で幕を閉じた

和やかに進んだクリエイターの発表に続き、メーカー各社のプレゼンテーションが始まると、会場内で溜息が聞こえるようになった。それぞれのツールが謳うデジタルの可能性は圧倒的で、そのクリエイティヴィティには誰もが目を見張る。一方「業界全体が一斉に、同じツールを、同じスタイルで使うように乗り替える」といった方針をとることは不可能にも思えてくる。似たような機能を実装するソフトウェアがたくさん競合している上に、それぞれが、デファクトスタンダードというにはほど遠いからだ。

ぼくとしては「RETAS STUDIO」や「CLIP STUDIO PAINT」を抱える国産大手のセルシスこそ本命──と推したいところだが、英語圏で普及しているカナダ生まれの「Toon Boom Harmony」やフランス産の「TVPaint Animation」も魅力的で、それぞれが日本語対応を押し進め、日本市場への参入に強い意欲を示している。さらにいえば(イヴェントには不参加の)世界的ビッグネームであるAdobeは、月額数千円という格安のクラウド型サーヴィスをいちはやく提供、神風動画のみならずぼくのようなフリーランサーに対してもPhotoshopやAfterEffectsの存在意義を強めている。百花繚乱、まさしく「カオス」と呼ぶにふさわしい。

混乱する聴衆の前に登壇したシンガポールのCACANiに至っては、作画の一部をコンピューターに肩代わりさせて絵を「自動生成」するという、デジタル作画の範疇を超えた機能を披露。ここで遂に、ダムが決壊したようなどよめきがわき起こった。聴衆は期待よりも、仕事を奪われるかもしれないという不安を煽られたに違いない。

無論、CACANiの開発マネジャーは「このデモリールは習熟しないアニメーターがツールの助けによってつくり上げた」と説明し、「このツールは良質なアニメーターから仕事を奪うものではない」と言い添えている。けれど、そういった細かな勝手については(短時間のプレゼンテーションでは)聴衆に伝わりきる筈もない。

そんなわけで、ラストの質疑応答では「アニメーションそのものが面白くなる、という発表はなかったと感じる。生産性は上がるかもしれないが、現場の人間は新しいことを覚えて対応しなければならず、負担は増える一方だ」といった辛辣な、悲鳴に近い意見も飛んだ。そう発言せざるをえない空気が、会場内に高まってしまっていた。気持ちはわかる。痛いほどわかる。

けれど、そうやって後ろ向きに捉まえていては損だ。仮にもクリエイターならば、いつだって「作品の面白さは手段に依存しない」とわきまえるべきである。紙と鉛筆とカット袋を使ってきた結果、面白い作品ばかりではなく、つまらない作品も次々と生み出されてきたのは疑いようのない事実。デジタル作画が台頭したところで、本質が変わるとは到底思えない。

むしろ心配されるのは、波に乗り損ねてどこかの制作会社が潰れ、その会社とコネクションを深めていたせいで食いっぱぐれてしまうクリエイターの行く末だ。「とにかく孤立してはいけないと思う」という、JAniCA・森田宏幸の発言に本質は集約されている。

その点でメーカーと業界団体の責任は重い。カオスであっては困るのだ。「ツール同士のファイルフォーマットが(ベクターデータのレベルで)互換性をもてば、導入のストレスはかなり軽減される」という、りょーちもの意見にも深く納得させられる。

ここで少し個人的な体験を話そう。ぼくはいまでこそCGアニメ作家(少しは手描きもする)を名乗っているが、かつてはプログラマーで、パナソニックの一員としてDVDフォーマットの国際統一規格に関与した。

その経験からいえば、ユーザー個人の嗜好は事の大勢に寄与しない。結局はメーカーとハリウッド大手スタジオの密約が大勢を定め、それが国際的な統一規格に育っていったとみて間違いない。だから「DVDプレーヤー」の普及には混乱が生じなかった。と同時に、ハリウッドが主導しなかったせいでフォーマットが乱立した「DVDレコーダー」の市場は、DVD-RAMだのDVD-RだのDVD+RだのDVD±RWだのと互換性のないディスクが飛び交い、エンドユーザーからすれば噴飯ものの出来映えで、メーカーも傷だらけになった。

反省の下に生まれたブルーレイではソニーとパナソニックが手を組み、結果としてDVD系記録フォーマットは(互換性の高いDVD-Rを残し)ほとんどが死に絶えた。跡形もない。無残である。いまとなってはVHSテープのほうがよっぽどニーズがある。

そうならないためにも、ACTFは今後クリエイターの意見を集約しつつメーカー間の調整役として機能し、「デファクトスタンダードとなるワークフロー、あるいはファイルフォーマットの標準化」を牽引していくべきだろう。「アニメはもう紙と鉛筆のエコシステムをもっているのだから、それを壊すつもりなら、壊す側が相応の苦労を担うべき」に思う。

ここでいう「壊す側」にはアニメを観るだけのエンドユーザーも含まれている。本当にテレビや映画は、これからもっともっと高画質になっていくのか──なっていく「べき」なのか?

4Kや8Kを目指す技術動向はアニメーターに最初からベクターデータで描くことを強いる。つまり紙と鉛筆からペンタブレットへの移行は、個別メーカーの意図を超えて、世界的な「うねり」を受けとめたものだ。そういう意味においてもACTFは業界の巨人Adobeとコトを構えるべきに思うし、今後の展開について大いに期待したい。来年こそは悲鳴ではなく、暖かい拍手で終わってほしいと──ペンタブレット愛好家の立場から、切に願っている。

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液晶ペンタブレットと高度な支援ツールを積極的に使いこなすアニメ後進国たちによって、紙と鉛筆から脱却できない日本の手描きアニメが量のみならず質でも追い抜かれてしまう…そんな悪夢を見ないためにも(クリエイティヴィティで優位な、そして懐が温かいうちに)ワークフローの構造改革に着手すべきではないだろうか?

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