『オウムはなぜ消滅しないのか』(グッドブックス)

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 戦後最悪の無差別テロといわれる「地下鉄サリン事件」から20年。犯行を行ったオウム真理教の信者たちが次々と逮捕され、教祖・麻原彰晃(松本智津夫)を筆頭に現在まで13人の死刑判決が確定している。しかし3年前の2012年1月と6月、逃亡していた2人のオウム信者たちが逮捕されるなど、事件の余波は現在でも続いている。

 そんななか、地下鉄サリン事件の実行犯の一人である林泰男死刑囚の弁護を担当した中島尚志弁護士による『オウムはなぜ消滅しないのか』(グッドブックス)が出版された。

 中島弁護士は東大大学院のインド哲学仏教科を卒業した後、裁判官になったという異色の経歴をもっており、宗教に造詣が深い。本書も、オウム真理教事件を単なるテロ事件として片付けることなく、教義やヨーガ、出家制度に踏み込むことで、事件の背景を追求しようとするものだ。

 だが、本書でもっとも衝撃的なのは、元判事でもある著者が弁護活動を通じ知った情報などから、すでに刑が確定したオウム信者たちの"量刑"に疑問を投げかけている点だ。

 その最大の疑問が地下鉄サリン事件実行犯の一人、林郁夫(元医師)についてだ。林は自身が撒いたサリンによって2人を死亡させ、公証人だった假谷清志さん殺害にも関与、計6件の事件で起訴された。しかし裁判所は自首減軽を採用し無期懲役が確定した。その理由は捜査への協力だ。

「(警察側は)オウム教団の残虐な犯行に直接つながる確実な証拠をほとんど持っていなかった。林郁夫は、この(取り調べ)後、地下鉄サリン事件の実行犯のすべての氏名を明らかにした上申書を警察に提出し、これを境にして警察の捜査が一気に進展していく。これが、おそらく検察の無期懲役求刑の主たる理由であろう」

 一種の司法取引が行われたということだが、しかし、警察の内部情報を知る筆者はこれに対して懐疑的でもあった。

「警察は複雑な化学構造式からサリンが個人で作れるようなものでないことを松本サリン事件の一カ月後には正確に把握していた。(略)彼らは原料の入手者である買い手を絞っていくとカムフラージュされているものの、オウム教団にサリン生成に必要な原材料が多量に搬入されていることを、少なくとも九四年十月の時点では、はっきり掴んでいた」

 さらに特別チームの何人かを上九一色村に張り込ませ内偵までしていたというのだ。もちろんこれらは地下鉄サリン事件以前のことだ。その上でこう記している。

「林郁夫の自白がなくても、警察の一部はサリンがオウム教団によって生成されたことをほぼ推定していたのである。だからこそ読売新聞がスクープ記事を書けたのである。林郁夫の供述は地下鉄サリン事件の実行犯を特定するだけでしかなかったのである。どうしてこの程度の内容で自首軽減とするのか」

 その疑問は一人の死者も出さなかったにもかかわらず死刑判決が下された横山真人との比較においてもなされていく。

 横山は東京メトロ丸の内線池袋行きの列車でサリンを撒いたが、しかし2つの袋のうち1つしか穴を刺さなかった。そして裁判では心からの反省を示し、被害者救済支援金に300万円を寄付した。さらに不法な暴力的取り調べを受けていた疑念まで示唆されている。

「(弁護人は裁判で)警察官によって作成された調書の任意性(横山が警察から何らかの形で強制、拷問、脅迫されて。精神的に自立した状態でなかった上で供述したことを指す)を争っている。事実は断定できないが、横山は捜査段階で警察官に暴行を加えられ、歯が欠けるほどのケガを負った後遺症があるようである」

 本書では他の実行犯たちが法廷で暴行を受けたことを訴えた例がないことから、横山の主張は信憑性が高いと示唆され、警察からの暴行に対し弁護士が国家賠償請求を勧めたが、横山自身はサリン事件被害者のことを考えれば訴訟など起こしたくないとこれを断ったという。

「裁判所は、弁護側の主張を簡単に退けているが、もう少し慎重に審理すれば、酌量軽減されたかもしれない事案だった。(略)横山のように死者がゼロであっても林泰男のように死者が八人である場合とまったく同じ刑事犯罪になるという理論である。この理論を前提にした上で、なお酌量軽減されてもよかったのではないか、というのが私の意見である」

 司法取引、警察の暴行、判決批判──。ここまで踏み込んだ指摘が元判事の口から出たということの意味は重大だ。もちろん林郁夫、横山真人にしてもすでに刑が確定され再審請求もないことから、真相は闇に葬られたままだ。

 地下鉄サリン事件だけでなく一連のオウム犯罪は未だに解明されていない闇が多く存在する。オウムの背後に蠢く外国や反社会的組織の存在、捜査した警察組織の主導権争い、信者のなかに警察官や自衛隊員が複数存在、そして地下鉄サリン事件から10日後に起きた現役の警察庁長官だった國松孝次狙撃事件──。

 大きな爪痕を残したオウム真理教による無差別テロ事件だが、20年経った今、日本を取り巻く閉塞感、社会の不条理や理不尽さはさらに形を変えて若者たちを襲っている。オウム真理教事件とその背景について、今後もその検証は続けられるべきだろう。
(伊勢崎馨)