前田陽子(30歳)は、2015年シーズンを格別の思いで迎えた。

 昨季、シーズン終盤の伊藤園レディス(11月14日〜16日/千葉県)でツアー初優勝を飾った。プロ入り9年目にして(プロテスト合格前の2006年からステップアップツアー〈※〉を中心にツアーに参戦)、やっと手にした栄冠だった。1年前までは、プロ選手としては食べていけず、地元・徳島のダンボール工場で働いていた。優勝した際には、その話題が"シンデレラストーリー"としてあらゆるメディアに取り上げられ、一躍脚光を浴びた。
※レギュラーツアーの出場資格がない選手を対象に行なわれている下部ツアー。

 そしてこの1月、前田は優勝した大会スポンサーの伊藤園と所属契約を交わした。伊藤園は「(前田の)夢を諦めず、地道に努力する姿勢に共感し、所属契約を結びました」と、そのいきさつを説明。30歳にして初のシード選手となり、伊藤園の契約選手として新シーズンを迎えられることに、前田は喜びを噛みしめていた。

「所属契約を簡単にはしていただけない時節柄、伊藤園さんからいいお話をいただき、本当にうれしかったです。その期待に応えられるように、今季もがんばりたいです」

 それにしても、今や10代や20代前半の若手プレイヤーが躍動している日本女子ゴルフ界。そんな状況にあって、なぜ"アラサー"前田は飛躍できたのだろうか――。

 前田は1984年11月26日、徳島県小松島市に生まれた。小学校時代は"文化系少女"で、書道やそろばんが得意だったという。特に書道は七段の腕前だった。

「だから、(将来は)書道の先生になろうと思っていました。でも、小学校6年生のときに、父親の勧めでゴルフを始めると、それからはゴルフひと筋でした」

 前田の父親はその頃、徳島で海上自衛隊に勤務していた。決して裕福な家庭ではなかったものの、前田がゴルフを始める際、父親は最初からレッスンプロをつけて、娘に基礎から学ばせた。以来、前田はゴルフに専念し、高校進学の際には、四国の名門・香川西高ゴルフ部から誘いを受けた。

 そこで、前田は急成長。3年生のときには、香川県女子アマで優勝を飾った。そして、高校卒業後には、香川県のゴルフ場でバイトをしながらプロの道を目指した。が、プロへの道は甘くはなかった。2004年、初めて受けたプロテストで不合格。地元・徳島に戻ってからも、ゴルフ場の研修生をしながらプロテストを受けるが、2005年、2006年と立て続けに落ちた。前田が当時を振り返る。

「(自分の考えが)甘かったんですよ。高校を卒業して、すぐに四国から出ていたら、プロテスト合格までにそんなに時間はかからなかったと思います。でも、四国から出ることができなかったんです。家にいると、落ち着くからです。甘い、ですよね(笑)。また、ゴルフ場の研修生も、当時は私ひとりでしたから、キャディー業務を終えて、それからひとりでコースを回るのがしんどくて、さぼることが多かったんです」

 この、自らの"甘え"を断ち切るために、前田はひとつの決断をした。それは、「ゴルフ以外のことで生活費を稼ぐ」ということだった。それで始めたのが、地元にある製紙会社のダンボール工場で働くことだった。

「自分に"やる気"を出させるために、あえてゴルフを離れた仕事で生計を立てようと思ったんです。それも、人を相手にするのではなく、モノを相手に黙々とこなす仕事をやれば、(ゴルフに対して)"やる気"が出るかな、と思って......」

 ダンボール工場で働きながら、プロゴルファーを目指す"やる気"を奮い起こしてきた前田。工場で働き始めて2年が経過した2008年、自身5度目のプロテストでやっと合格した。それでも前田は、工場の仕事をやめなかった。

「私の目標は、プロテストに合格することではなく、ツアーに出て戦うことでした。それで、テストに合格してからも、QT(※)で結果を出してツアーの出場権を得られるまで、工場で働き続けようと思っていました」
※クォリファイングトーナメント。ファースト、セカンド、サード、ファイナルという順に行なわれる、ツアーの出場資格を得るためのトーナメント。ファイナルQTで40位前後の成績を収めれば、翌年ツアーの大半は出場できる。

 無事プロ選手にはなれたものの、QTの"壁"はさらに厚かった。ツアーフル参戦の権利を得られるような上位の成績は、なかなか出せなかった。

 そんな前田に転機が訪れたのは、2013年だった。その年から、今堀りつプロの指導を本格的に受けるようになったのだ。今堀プロと言えば、現役時代に482試合連続出場という日本記録を樹立。当時「鉄の女」と呼ばれていた猛者だ。

「今堀さんからは、技術、考え方、攻め方など、ゴルフのすべてを教えてもらいました。なかでも、いつも言われていたのは、『なんぼ(スコアを)叩いてもいいから、自分が"こうする"って、決めて打つようにしなさい』ということ。例えば、パッティングなら『ここに打つって、決め打ちしないさい』と。『その結果、入ったらいいし、入らなくても、それは読み違いだったんだって、思えるじゃない。最悪なのは、迷いながら打つことよ』って言われました。それを聞いて、『あッ、それなら気持ちもすっきりするし、いらん心配もなくなる』って思いましたね」

 そうして前田は、今堀プロの指導によって2013年暮れのファイナルQTを12位でフィニッシュ。翌2014年シーズンの、ツアーフル参戦の資格をついに手にした。

 もちろん、ツアーで戦い抜くことも簡単ではなかった。予選落ちを繰り返し、予選を突破しても、50位前後の成績にとどまったが、そこでも支えになってくれたのは、師匠の今堀プロだった。今堀プロから「あんた、いつになったら稼ぐの?」「もう、あとがないんやで」といった叱咤激励を受け続け、シーズン土壇場の伊藤園レディスで、ようやく美酒を味わった。

 実はその際、前田の優勝を手助けしたのも、今堀プロの言葉だった。

「明日(伊藤園レディス最終日)はなんぼ叩いてもいいから、ショットも、パットも、自分が"こうする"と決めて打ちなさい」

 優勝争いに挑む前田の気持ちは、それで楽になったという。

 プロ初勝利までまさに苦難の連続だったが、前田は自分が"苦労人"と言われることが「恥ずかしい」と言う。

「自慢できるようなものではないですから、そういうことって」

 とはいえ、夢を諦めずにコツコツとやってきて、念願のツアー参戦を果たし、見事な勝利も飾った。そのうえ、「35歳まではバイトをしながらでも、とにかくツアープロを目指そうと思っていました」という前田の、地道に夢を追う姿に共感した伊藤園が、専属契約を交わしてくれた。前田が、多くの人々に夢や感動を与えたことは、紛れもない事実だ。

「私のように苦労してやっている人は、他にもいますから。そればかり注目されるのは、ちょっと......。でも、私のことを見て『諦めずにがんばろう』と思ってくれる人がいたのであれば、(私の優勝も)意味があったのかな、とは思います。これからも、ツアーにずっと出続けられるようにがんばりたい」

 厳しい世界であることを知っているがゆえ、一度の優勝で浮き足立つことはない。今季の抱負を聞かれても、前田が大口を叩くことはなかった。

「昨季は、最後にいい終わり方ができました。その分、今季は私にとって勝負の年だと思っています。私だけでなく、誰もが昨年よりも上を目指そうと思っている中で、まずは早くシード権を確定できるようにしたい。それを目標にやっていきたいと思います」

 10代や20代前半の若手に比べれば、重ねてきた苦労の数が違う。激戦の舞台にあって、前田が再び"大仕事"をやってのけてもおかしくない。

古屋雅章●文 text by Furuya Masaaki