安倍晋三Facebookより

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 前回の記事では、第一次安倍政権で内閣官房副長官補を務めた柳澤協二氏が安倍首相の安全保障政策について、非現実的でコストパフォーマンスが悪いと批判していることを報じた。
 
 だが、柳澤氏の著作『亡国の安保政策 安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(岩波書店)や『亡国の集団的自衛権』(集英社)を読み進めていくと、その危機感はもっと深刻であることが伝わってくる。

 柳澤氏は防衛庁(現・防衛省)の審議官、局長、官房長などを歴任し、2004年4月から約5年半つとめた内閣官房副長官補時代も安全保障担当として、自衛隊のインド洋補給活動やイラク派遣などの立案にも携わった。

 そんな政権内部にいた安全保障の専門家から見ても、安倍首相はこれまでの自民党政治家とはまったくちがうようなのだ。

 かつて政権を担った自民党政治家たちにはさまざまな価値観がありながらも、「戦争をしてはいけない」という共通の判断基準があった。そして、防衛官僚としての柳澤氏の人生もまさに、現行法制下で最大限、自衛隊のパフォーマンスを引き出し、日本と世界の平和に貢献するための策を立案することだった。憲法9条を抱えながらも十分役割を果たしてきたとの自負もある。

 ところが、安倍政権は人を殺すことや人が死ぬことに対する実感がまったくないまま「戦争もありだ」という前提で安全保障に関わる議論をする恐ろしい事態になっているのだという。自ら血を流す立場にない人間が「血を流すことが必要だ」などと軽々に主張する。安倍首相の言葉の端々からは自衛隊を出動させることの重みがまったく感じられない。柳澤氏は元防衛官僚として、こうしたリアリティのなさ、考えの浅さに対して怒りを抑えきれないのだ。

 それは、日米の関係においても同様だ。歴代自民党政権下での日米同盟は、例えばソ連が津軽海峡の両岸を取りに来たらどうするか、あるいはシーレーンを破壊しに来たときにはどうするかといった具体的なイメージをアメリカと共有しながら実務を進めてきた。朝鮮半島有事の際には米軍はどういう行動をとり、日本の基地をどう使うか、そこで自衛隊が担うべき役割とは、というふうに。

 ところが、安倍政権はこれまでの自民党政権とは異質で、現在協議中の日米ガイドラインの見直しでも、「グローバルに」「切れ目のない」などの言葉を弄しながら、アメリカに対して「なんでもやります」「どこにでも行きます」と約束してしまっている。こんな状況下で集団的自衛権行使など認めたら、それこそ、いつの間にか日本がテロや報復の対象になっているということになりかねない。

 しかも、そんな大きなリスクがあるのに、日本が国家としていったい何がやりたいのか、何のための施策なのかの説明はない。柳澤氏は集団的自衛権行使を認め、自衛隊の活動範囲や役割を際限なく拡大しながら、その政治的目的がどこにあるのか、まったく見えないことが問題だという。

 では、いったい何のための集団的自衛権なのか。柳澤氏に言わせると、驚くなかれ「安倍首相の個人的願望、もしくは夢」なのだという。だから論理的な説明がなく、政策としての説得力もない。身も蓋もない結論だが、実際、自民党内でも「総理がこだわっていることだから......」といった言説がまかり通っているというのだ。

 これについてよく言われるのが、「首相はお祖父さんの岸信介が果たせなかった夢を追い続けている」という話だ。安倍首相が2004年に出した『この国を守る決意』(扶桑社)という対談本にそのことが出ている。祖父の岸信介が改定した日米安保条約を自分の時代には「堂々たる双務性にしていく」責任があるという。要は、いまの安保条約ではアメリカは日本を助けるが日本はアメリカを助けないというアンバランスな関係なのでそれを是正しなければいけない、という考え方だ。そのためには、どうしても集団的自衛権が必要になる。

 しかし、これには「取引の原則」が抜けている。岸信介が改定した60年安保の段階で「日本は基地を提供する、アメリカは日本を防衛する」という取引が成立し、安倍首相がこだわる"双務性"のバランスもしっかり維持されていた。しかも、この国益のバランスシートはしだいに日本の負担を増やす方向に変わってきた。いわゆる「思いやり予算」といわれる駐留経費負担に始まり、80年代には1000海里シーレーン防衛といった日本の自助努力が求められるようになった。2000年代にアメリカが対テロ戦争を始めると、日本は自衛隊を海外に派遣し、戦後処理を行った。いずれもアメリカ側の都合である。

 もともと、アメリカの防衛力提供=日本の基地提供でバランスをとっていた契約が、現状ではむしろ、アメリカの防衛力提供<日本の基地提供+経費負担+自助努力+海外派遣と、すでにアンバランスな状態になっているのだ。

 にもかかわらず安倍首相は前掲の『この国を守る決意』で、こんなことを言っている。

「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係になれない」

 こんなことは、同盟という客観的な国家間の国益の取引においてはあり得ない考えだ。そもそも同盟の目的は日本とアメリカで違っている。アメリカはグローバルな覇権国であるがゆえに日本との同盟を必要とし、日本に基地を置く必然性を持っている。しかし、自国の防衛を目的とする日本がアメリカに基地を置く必要はない。同盟のバランスは同種同量でなければならないというわけではなく、お互いの目的に合致しているかという点が重要になる。日本とアメリカでは兵力に圧倒的な「差」があるのだから、軍事面で完全に双務的というのは考えられない。こんなことは高校生でも分かるだろう。

 では、世界最大の軍事力を持つ覇権国家アメリカと、新興覇権国としてのポジションを虎視眈々と狙う中国の間に挟まれ、日本が果たすべき役割は何なのか。それは「アメリカ、中国にできないこと」だと柳澤氏は説く。戦後の日本はアジア諸国の経済成長に貢献し、武器輸出を行わない国として軍縮に先導的な役割も果たしてきた。民間企業においても現地ワーカーを育て経営のノウハウまで与える日本的手法は、単なる富の収奪に近い中国のやり方とは異なる日本の誇るべきブランドとして育ってきた。国際平和協力でも、日本は武器を使わずに現地の要望に配慮した独自の活動を展開し、成功を収めた。その経験から、日本の防衛にとって集団的自衛権はまったく必要なく、むしろ有害無益なものだと結論づけている。

 柳澤氏が実際に携わった自衛隊のイラク派遣では、他国の軍隊が砂漠と同化するベージュの服を着ていたのに、自衛隊はあえて緑色の迷彩服を選んだという。ヘルメットにも肩にも目立つように大きな日の丸をつけた。これはつまり、「自分たちは戦争をしに来たのではない」というアピールだった。結果、自衛隊はイラクで現地の人に一発も弾を撃たず、一人も殺さなかった。「自衛隊」という国際ブランドの評価は大いに高まった。これこそ日本が戦後70年かけて築いた、アメリカや中国が逆立ちしても真似のできない日本ならではの優位性だ。これをもっともっと、利用しない手はないのである。しかし、安倍首相はこれに逆行し、日本ブランドを台無しにしようとしているのだ。

 それにしても、政権の中枢にいた柳澤氏の著作を読むと、安倍首相がいかに頭が悪く、危険な人物かがリアリティを持って伝わってくる。

 物事の優先順位や費用対効果、契約と取引の基本ルール、差別化による競争力の獲得、利害の対立と妥協など、一般的職業人なら普通に備わっている素養がこの男にはことごとく欠けている。そして、自分の「個人的願望や夢」のために平気で日本人に血を流させようとする──。もしかすると、日本にとっての最大の脅威は「安倍首相の存在」なのではないだろうか。
(野尻民夫)