■豊田陽平が語る新シーズンと日本代表(後編)

 今年1月、ハビエル・アギーレ監督率いる日本代表は、連覇を懸けてアジアカップ(オーストラリア)に挑んでいる。その結果は惨憺たるものだった。決勝トーナメント1回戦で、伏兵UAEに敗れて姿を消している。

 代表に選出された豊田陽平はパレスチナ戦、UAE戦に交代出場したものの得点はなし、苦悶するだけで終わった。

「結局のところ自分は国内の選手で、海外でプレイする選手に自分の良さを伝えられていなかったんだと思います」

 彼はそう言って、大会を訥々(とつとつ)と振り返る。

「Jリーグで対戦している選手たちは、自分の強みを分かってくれています。例えば宏介(太田)は、どこでクロスが欲しいのか、狙いを分かってくれていました。でも代表練習だけでは、海外組の選手になかなか理解してもらえず、デメリットになっていましたね。自分としては強みを発揮して代表に選ばれているというのがあるから、例えばファーで決めるのが得意なのにニアだけにこだわる、というのは違う気がしました。それで選ばれたわけではないですから」

 交代出場した試合では、明らかに周囲との連係が悪かった。動き出しても、ボールが出てこない。豊田の長所は一瞬でマークを外し、クロスや裏へのパスを呼び込むところにあるが、日本代表は頑としてショートパスで攻め続けた。彼は悔しさをその場で噛み潰すしかなかった。チームプレイヤーとしては、献身的に集団のために尽くすのが本分と弁(わきま)えているからだ。

「今の日本代表は、みんなが圭佑(本田)にボールを集めるというチームです。圭佑もそれを要求するし、たしかにあいつは本当に上手いんですよ。圭佑としては、"つないで攻めたい"という気持ちはあったんでしょう。(1−1で迎えたUAE戦の終盤も)わざわざショートコーナーにするくらいでしたからね。アジアレベルならそのやり方で勝たないといけないし、勝てるはず、負けるはずはない、という彼なりの自信があったんだと思います」

 豊田は一度言葉を切ってから、こう継いだ。

「でも、そうだとすると僕は"どうやったらこのチームで生きるのか"というのを悩んでしまった。自分が中心選手ではない中、それは我慢するしかないんですけどね。例えば東アジア選手権のときは、"選手全員が優勝に向かい、一丸となって戦った"という手応えが残りました。それが今回は感じられなかった。UAEを相手に、最後まで意地を張ったようなプレイを続けて負けてしまったわけで......。その点は、ブラジルW杯の代表と同じでしたね」

 豊田はオーストラリアで日々を送る中、"鳥栖に戻り、きついトレーニングをしたい"という欲求に駆られていったという。

<一から体を作り直そう>

 彼はそう決意して帰国した。チームからは4日間のオフをもらったが、軽めに動き続けていたという。1日だけは佐賀県内の温泉につかり、溜まった疲れを癒したが、プレシーズンキャンプに入ると体をいじめ、鍛え抜いた。"Jリーグが終わってからほとんど休みがなく、疲れを引きずったままで大丈夫か?"という不安は、積極的に行動をすることで打ち消されていった。

「沖縄キャンプも、普段以上にやれましたね。やっぱりメンタルが大事ですよ」

 豊田は、自分自身が吐き出した声に納得したように頷(うなず)いた。

「『精神は肉体を凌駕する』という言葉がありますが、結局はメンタルだなと実感しました。戦術技術体力といろいろありますけど、結局それら全部を支えているのはメンタルで。甘い生活を送り、"たりぃ"みたいになってしまったら、勝負にならないし、進歩もない。日々、心を鍛えることで力を出せる許容範囲のようなものが広がっていく気がするし、足りない部分をカバーできるんだと思います」

 彼は常に自分と対話してきた。自らを信じる、そこに到達できたとき、いい結果を生み出すことができたのだった。その成功体験が、彼の支えとなっている。

 もっとも、自己暗示は容易ではない。

「正直を言えば、年々プレッシャーはふくれあがっています」

 豊田は胸中を打ち明ける。

「歳を重ねるたび、より良い結果を残さないと認められません。日本代表に選ばれると、今度はそこでの活躍が問われるし、Jリーグ3年連続15得点という記録を4年目もできるのか、とか。どんどん要求は高くなっていきます。結果を出し続ける中で、新しいことにチャレンジするべきなんだけど、それは怖さもあったりするんですよ。自分だけだとネガティブな想像が広がることもあります」

 シーズンオフ、福岡ソフトバンクホークスで二度の沢村賞を受賞するなどした伝説的投手、斉藤和巳氏と対談する機会があった。そこで豊田は、自身が抱えているストレスを白状している。

「ダメだったら、元のスタイルに戻ればいい。変化は進化ですよ」

 異種スポーツで一流を究めた人物にそう言って励まされたとき、開眼した気がしたという。

「やるしかない、というのは自分にとって不変のスタンスなんですよ」と豊田は言う。

「ただ、ピッチに立つと自分は責任を感じます。そこで力を出し切って結果を出すんだけど、そのハードルはどんどん上がっていくわけです。そこで、"これ以上はできないんじゃないか"という弱気が生まれることもある。マイナス思考ですよね。でも、結局それを考えるのは時間の無駄なんです。変化を怖がらず、行動あるのみ。自分がやってきたことを信じて、"これ以上はやれない"と割り切る。そして、できるだけのことを全力でするんです」

 どこかで線を引き、腹を括り、一心に行動する。そこで結果を出したとしても、現状に甘えない。

「海外でプレイしたい欲求は、やっぱりありますね」

 彼は募る思いを口にする。

「代表でオカちゃん(岡崎慎司)とも話したんですが、海外でプレイすると、まず評価基準が変わるらしいんです。それで自分のプレイ志向も変わらざるを得ない。例えばFWは守備を熱心にするからといって評価をされることはなく、ポジションが得られることもない。とにかくゴールが一番。『得点を取れる選手という信頼が大事』とも言っていましたね。ゴールを重ねるしかない。日本にいるときとは違うんだろうし、そこはすんなりとはいかないはず。でも、そういう環境でやってみたいんです」

 変化なくして進歩もない。アスリートは失敗を恐れて躊躇した時点で、成長が止まってしまう。

「ピッチの中にいて、呼吸のようなものは以前よりも分かってきました」

 豊田は静かに言う。

「例えば、ここでがつんと来るなというのは予測できます。そこはあえて体を預けてしまえばいい。駆け引きですよね。この呼吸はルーキーじゃできない。自分は何百試合も重ねることで、ようやくそのタイミングをつかめるようになってきました。でも、海外に行ったらそういうタイミングも別なんだと思います。そこで適応することで、自分もより成長できると思うんです。立ち止まったら、選手は終わりですよ」

 時間は流れてゆく。

「以前は試合前、息子が"パパは試合で何点取るか"を予言してくれて、的中していたんですよ。でも、最近はまったく当たらない。とにかく7点て言います(笑)。たぶん、7が好きなんでしょうね」

 無垢な幼児だけが持つ神秘性は、いつのまにか薄れてしまったということか。

「自分は目の前のできることをやっていきますよ。そのスタンスは自分の中で変わらない。そうしてやっている中で、タイトルや海外移籍や代表など、また新たな選択肢が生まれてくるんだと思います」

 今年30歳になる男は、言葉に決意をにじませた。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki