2014年4月、スラムダンク奨学制度(※)によってアメリカへと渡り、バスケットボール漬けの毎日を過ごしているスラムダンク奨学金7期生の村上駿斗(むらかみ・しゅんと)。言葉が通じない環境の中で、彼が手にしたモノとはいったい何なのか。コネチカット州サウスケントで生活している村上に、今の心境を聞いた。

(※)スラムダンク奨学制度=漫画『スラムダンク』の作家・井上雄彦氏が、「バスケットボールに恩返しがしたい」との想いで設立されたプロジェクト。奨学生をプレップスクール(大学に進学するまでの私立学校)に派遣し、14ヵ月間、勉強とバスケットボールのできる環境を提供している。スラムダンク奨学金ホームページ→http://slamdunk-sc.shueisha.co.jp/

【スラムダンク奨学金7期生・村上駿斗インタビュー@後編】

―― 英語はアメリカに来る前から得意でしたか?

村上駿斗(以下:村上):正直、アメリカに来るまで、「いける!」と思っていたんですけど、最初に来たとき、まったくしゃべれなくて......。ぜんぜん聞き取れなくて、かなり落ち込みました。それでも、英単語は高校のときから覚えていたので、徐々に聞き取れるようになって上達しました。そして昨年夏の3ヵ月間(サウスケント・スクールの夏休み期間)、IMGアカデミーに行ったとき、これまでの人生にないぐらい英語の勉強をしたんです。毎日10時間ぐらい。そこでかなり変わりましたね。単語もかなり覚えたので、TOEFLでもだいぶ点数を上げることができました。

―― 留学先のサウスケント・スクールに来て、一番つらかったことは?

村上:やっぱり大学進学のことですかね。まだ大学奨学金のオファーはもらっていないんですけれど、周りの選手が本当に10個も20個もオファーをもらっているような選手ばかりで、自分も欲しいと思っています。今シーズン、渡邊雄太(※)さんがNCAAディビジョン1のジョージ・ワシントン大で活躍しているので、それが自分の中でも焦りにつながっているんです。これまでスラムダンク奨学金の選手たちは、大半がコミュニティ・カレッジ(公立の2年制大学)に進んでいたので、正直、自分はそれを越えてやろうと思ってアメリカに来たんです。あと、スタメンになることにもこだわっていました。

(※)渡邊雄太=1994年10月13日生まれ、香川県出身。2013年3月、尽誠学園高を卒業した後にアメリカ留学をし、プレップスクールの「セント・トーマス・モア・スクール」に入学。そこでの活躍が認められて、2014年2月にはNCAA(全米大学体育協会)でトップランクに位置するディビジョン1のジョージ・ワシントン大(4年制)に進学した。202センチ・88キロ。

 ただ、シーズン途中で考え方を変えたことがあって、大学のことやスタメンになれるかどうかを心配するのをやめて、目の前の相手を倒すということと、バスケを楽しむことにしました。不安になったとき、日本にいる親や親友に電話するんですけれど、「そんなに考えないでバスケを楽しめばいい」って言われて......。試合数も限られているし、バスケが楽しいので、大学のことを考えてモヤモヤするより、ひとつひとつのプレイを楽しんで、勝ってチームで喜ぶということをやっています。

―― サウスケント・スクールのヘッドコーチ、ケルビン・ジェファーソンの印象はどうですか?

村上:コーチのことは好きです。コーチのバスケットに対する考え方、「ディフェンスをやらない選手は使わない」とか、「練習でできない選手は、試合でもできないから使わない」という考え方は、山形南のコーチと似ています。

 自分にとってコーチは、お父さんのような感じです。ずっと心配して気にしてくれて、声もかけてくれて。授業がないときはコーチのオフィスに行っていろいろ話したり、前の試合の映像を見たり、次の相手の試合を見たりしています。映像を止めながら、「ここはこうだ」とか、チームのことに対しても個人に対しても言ってくれるんで、そこは練習で修正できるし、自信を持って仲間に言うことができる。コーチと話して、練習して、試合して、またコーチと話してって、その過程でかなりうまくなれたと思います。

 試合に出られなかったときは、「悔しい。出たい」という気持ちをコーチに伝えたこともありました。そうしたら、「分かった。じゃあ、次の試合でお前に時間をあげるから、挑戦してみろ」って言われて。

―― そういったチャンスをモノにできるかどうかも、シーズンの分かれ目だったのでは?

村上:そうですね。落ち込んだときとか、たまにコーチに電話するんですけど、そのときも、「絶対にチャンスが来るから待て。練習し続けて待て」って言われて......。それを信じて、試合に出られないときもずっと練習を頑張りました。最後、シーズン後半でやっとチャンスが回ってきたので、それをモノにすることができたのは収穫ですね。

―― スラムダンク奨学金についてはどう思いますか?

村上:本当に感謝しています。不安になったとき、サボりそうになったとき......、ずっとアメリカで生活していると、「少し疲れたな」と思うときもあるんですけれど、そのときは井上(雄彦)さんのことを思い出しています。すごく大きな額だと思うんですけれど、そのお金を払ってくださって、こんないい経験をさせてもらっているので、本当に感謝しています。一番の恩返しの方法は、結果を残して、大学に行くという報告をすることだと思っています。

 また、お金を出していただいているので、できることを全部完璧にやって、後悔のないようにと思っています。最後になって、「あそこでこうしておけば良かった......」と思うことだけは絶対にしたくない。バスケだけでなく、勉強も完璧にする。実際、バスケに対しても勉強に対しても、意識が違うというところを見せたことによってコーチも評価してくれたと思いますし、試合で使ってくれたひとつの理由だったと思っています。

―― アメリカでこの先もバスケットボールを続けるにあたっての目標は?

村上:アメリカに来るときに決めた目標なんですが、「日本人で一番うまい選手になりたい」と思っています。日本の同級生の中にも、うまい選手がけっこういたんですよ。でも、アメリカに来たら追い越せるって自分では信じています。自分の夢でもあるNBAの選手になったら、日本で一番うまい選手になれたっていうことだと思うので。

 長い目で見たら、大学、Dリーグ(※1)、NBA(と進みたい)。富樫勇樹(※2)さんや安藤誓哉(※3)さんなどが海外で挑戦していますけれど、それに負けないぐらい自分もアタックしたい。あと、今まで日本代表になったことがないので、将来は日本代表になりたい。日本で一番うまくなりたい......、それが一番の目標ですね。

(※1)Dリーグ=NBAデベロップメント・リーグの略称。将来のNBA選手を育成する目的で発足。
(※2)富樫勇樹=1993年7月30日生まれ、新潟県出身。2014年10月にダラス・マーベリックスと選手契約を結び、現在はチーム傘下のテキサス・レジェンズ(Dリーグ)に所属。167センチ・67キロ。
(※3)安藤誓哉=1992年7月15日生まれ、東京都出身。2014年11月にカナダのプロバスケットボールリーグ「NBL(National Basketball League) CANADA」のハリファックス・レインメンに加入し、日本人初のカナダリーグ選手となった。180センチ・81キロ。

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 村上駿斗が、「お父さんのような存在」と語るケルビン・ジェファーソン・ヘッドコーチは、授業の合間にオフィスを訪れてくる村上と過ごす時間が大好きだという。ジェファーソン・コーチは村上について、こんなことを言っていた。

「すべてのことが彼にとって、とても重要なことなんだ。試合に負けると落ち込み、ミスを犯したときには本当に落ち込む。時に、彼をハグして、『大丈夫だ』と言わなくてはいけないぐらいに......。競争心が強く、負けることを嫌がる。コート上で何か間違ったことをしたとき、それを自分の責任だと受け止める。だが、みんなミスは犯すし、彼のミスは努力しているからこそ生まれるミスだ。それは素晴らしいことだと思う。彼は学んでいる。

 彼はチームの中でも、よく努力するひとりだ。最初はほとんどプレイタイムを得られなかったのが、今ではスターターにまでなった。それもすべて、彼の努力の成果。彼が勝ち取ったものだ。彼は努力をするし、そうすることで他の選手のやる気を引き出している。彼が体育館に行くと、他の選手も行って競争し、1対1をやっている。それらが(村上)駿斗にとって、プラスになっている」

 バスケットボールと真剣に向き合い、自ら道を切り開いてきた。村上駿斗、現在19歳 ――。彼のアメリカでの挑戦は、まだ終わらない。


【profile】
村上駿斗(むらかみ・しゅんと)
1996年2月17日生まれ、山形県出身。2004年から地元のバスケットボール少年団に所属し、白鷹町立東中学では山形県大会優勝、山形南高校ではインターハイ・ベスト16や岐阜国体3位となる。183センチ・77キロ。

宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko