『火星に住むつもりかい?』伊坂 幸太郎 光文社

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 伊坂幸太郎は第3ステージに来ている。伊坂作品そのものの分析ではない、読む側の私のステージだ。

 第1ステージはビギナー期。初めて読んだ『アヒルと鴨のコインロッカー』(創元推理文庫)に衝撃を受け、手当たり次第に伊坂作品を読みあさっていた時期だ。デビュー作『オーデュボンの祈り』(新潮文庫)も直木賞候補作となった『重力ピエロ』(同)も、読むたび「こんな小説今まで読んだことない!」と目を瞠らずにいられなかった。第2ステージは停滞期。おそらくいっぺんに読み過ぎたのだろう、初期の頃のような新鮮な驚きを素直に味わえなくなってきた。『魔王』(講談社文庫)を読めば「政治的な話? ちょっと重いなあ」、『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)を読めば「長い。あと、もっと気楽な話が読みたい」と、いまとなっては赤面ものの高飛車な感想を持っていたものだ。

 そして第3ステージ(←今ココ)。高校に入学して急に文学少年的なニュアンスを醸し出し始めた次男が、我が家の本棚にあった伊坂本を手に取るようになった。「伊坂幸太郎っておもしろいね」と感想を述べる次男に対し、「そうでしょ〜? まあ、おかあちゃんはずっと前から伊坂のよさに気づいていたけれどね...」と先輩風をびゅうびゅうに吹かせて見せた手前、未読本を放置しておくわけにもいかずに久しぶりに読み始めたのだが、いや、やっぱいい! 息子のおかげで再び伊坂作品の素晴らしさを思い知らされた現在は、まさに発展期。再「停滞期」ましてや「衰退期」などが決して訪れぬよう、今後とも読み続けていきたいものである。

 そんな私のステージ話(歌手か何かか?)などはどうでもいいのだが。本書も伊坂幸太郎という作家の持ち味が存分に生かされた小説になっている。とはいえ、物語の幕開けからしばらくは読んでいて憂鬱になる展開だ。これはいわゆる現代の「魔女狩り」の話である。冒頭、物語はまさに一組の夫婦が「魔女狩り」について会話している場面から始まるのだ。ごく普通の夫婦の会話(「魔女狩り」の話題がスタンダードなものであるかはともかく)が続いているだけのはずなのに、そこには人を不安にさせずにはおかない気配が漂っている。そして徐々に、この世界には「平和警察」と呼ばれる組織や、住民が互いに監視し合い「危険人物」との疑いがある者を密告する仕組みが存在することがわかってくる。

 人間が状況によってはいかに残酷になれるか。例えば『ゴールデンスランバー』などにおいても、突然何の罪もない無力な一般人が首相暗殺犯として追われる身となる恐怖が描かれているが、本書ではそこに"手当たり次第"という要素が加わったことでより恐ろしさが増したと思う。すなわち中世における「魔女」同様、「危険人物」として狩られた者には自分の潔白を晴らすチャンスは与えられない、名指しされたら一巻の終わりなのだ。

 しかし、そこに一発逆転のチャンスが発生する。それがこの世界におけるヒーロー、「正義の味方」の存在だ。彼は上下ひとつつなぎの黒いライダースーツを着込み、同じく黒の帽子と大きなゴーグルを着用し、バイクに乗って現れる。「平和警察」を敵に回し、何らかの法則に則って特定の「危険人物」を助ける「正義の味方」。いったい彼は何者なのか、いかなる法則に基づいて助けの手を差しのべているのか...。正直かなり物語が進むまで、「平和警察」や集団レイプに手を染める大学サークルへの嫌悪感が拭えないままなのだが、最後の最後に訪れる"すべてがピタリとはまる感覚"は得難いものだ。伊坂さん、どんだけ伏線張ってるんすか。

(松井ゆかり)