1996年の映画『八つ墓村』DVD(監督・市川崑、主演・豊川悦司/フジテレビジョン)

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 淡路島ののどかな田園地帯を舞台にした凄惨な殺人事件が起こった。3月9日の早朝、集落の5人の男女が刺されて息絶えているのが発見されたのだ。

 被害者は平野浩之さん(62)、妻・方子さん(59)、母・静子さん(84)、そして近所の平野毅さん(82)、妻・恒子さん(79)の5人だ。そして血の付いた服を来たまま立っていた平野達彦容疑者(40)が犯行を認めたため、その場で緊急逮捕された。

 被害者、加害者とも同じ名字であるように、6人は遠い親戚だという。さらに達彦容疑者はネット上で不特定多数の団体や個人の誹謗中傷を繰り返し、また〈獣リスト〉なるものを作成し、気に入らない人物の個人情報をネットに公開するなどの異常行動をとっていた。そのなかには被害者も含まれていたという。

 もちろんこれらは一方的な逆恨みと見られている。容疑者はここ数年、精神科に入院し、その後は引きこもっており、遠縁とはいえ被害者たちともまともな付き合いさえなかったといわれている。達彦容疑者は逮捕後は「何も話さない」と黙秘を続けていることから詳細は判然としない。

 だが、同じ集落の人間を次々と殺害して歩いた衝撃的で猟奇的な事件ということから、ネットやメディアはこの事件をこう称するようになっている。「平成の八つ墓村」と。 

『八つ墓村』は流行作家、横溝正史による小説だ。その内容は農村を舞台に、その複雑な人間関係からいくつもの殺人事件が起こるというもの。これまで何度もドラマ映画、舞台化され続けてきた名作だが、『八つ墓村』は昭和13年に実際に起きた村民30人大量殺害事件をモデルとした小説だった。

 実際の事件を俗に「津山30人殺し」「津山事件」という。1939年(昭和13年)5月21日未明、岡山県西加茂村貝尾集落(現・津山市)で村民30人が一夜にして惨殺される事件が勃発した。犯人は同集落に住む当時21歳の都井睦雄だった。睦雄はあらかじめ用意していた散弾銃やブローニング猟銃、そして斧や日本刀などで同居していた祖母を筆頭に村民たちを次々と殺害、その後自らも命を絶った。犯行は計画的で事前に送電線を切り、集落を孤立させるなど用意周到なものだった。

「津山事件」が現在まで語り継がれているのは、犯行時の睦雄の異様な姿にもあった。黒い詰め襟の学生服に身を包み、軍用のゲートルを巻き地下足袋。頭に巻いた鉢巻きに小型の懐中電灯を角のように両側に差し、首に自転車用のライトを下げた格好で、次々と集落を襲ったのである。

 そして、犯行動機も大衆の興味をそそった。遺書には、結核のため兵役検査に丙種合格(入営不適格)で差別されていたことと、集落の複数の女性と性的関係があったことが書かれていた。そんなところから、当時の報道や小説で、この集落に夜這いの風習があり、痴情のもつれもあったかのような記述がされた。

 この昭和最悪の事件と言われた「津山事件」が、事件から80年近くが経った現在、淡路島5人殺害事件によって亡霊のように浮上しているのだ。

 しかし、この80年前の「津山事件=八つ墓村」はほんとうに、今回の事件と類似性があるのだろうか。実は「津山事件」は犯人である睦雄が自殺したため、謎に包まれている部分も大きい。遺書の内容と住民の供述もかなり食い違っており、小説化されたことで、フィクションの部分が一人歩きしているところもある。

 だが、今から7年ほど前に、この事件の遺族をはじめて直撃し、真相に迫った報道があった。それが「週刊朝日」(朝日新聞出版)2008年5月23日号の「津山30人殺し『八つ墓村』事件70年目の新証言」だ。

 長い年月が経ったことで、関係者のほとんどは死亡し、地元住民も未だ事件について口を閉ざす者が多い中、事件で妻と義母、義父を殺されたという90代の男性Aさんが犯行現場の状況を証言したのだ。そこに描かれているのは身の毛もよだつような大量殺戮だった。

「事件のあった時、ワシは数えで22歳。昔は成人式が済んで、21歳で徴兵検査を受けて、嫁をもらったんじゃ」
 
 Aさんは隣町の住民だが、妻の実家は貝尾集落の睦雄の家の道を挟んだ向い側にあった。そして、妻は、睦雄が遺書に自分との性的関係があったと書いた女性だった。

 睦雄の遺書には「今日、僕と以前関係のあったB(注=原文では実名)が貝尾に来たからである、又C(同)も来たからである」という記述があったが、このCさんが妻、Bさんも妻の友人だった。

 また、睦雄の遺書にはAさんの妻の母親、つまり義母も登場する。遺書にはAさんの義母から「大きな侮辱を受けた」という記述があり、Aさんの義母にも性行為を迫ったが、それを断られて逆恨みしたと見られている。

 つまり、「週刊朝日」に告白したAさんは犯行動機に深く関わっていた複数の女性の縁者だったのだ。

 睦雄の遺書にあったように、事件前日、Aさんの妻=Cさんは友人のBさんといっしょに実家に里帰りしている。Aさんも誘われたが「たいぎなくて(しんどくて)」行く気にならなかったことで一命を取り留めることになる。

 自宅に残っていたAさんは夜中の4時頃、友人から「奥さんの実家も襲われとるみたいや」と知らされ無我夢中で隣集落へ向かった。集落全体が血なまぐさかったという。

「女房の実家に入ると、その日ちょうど、女房の伯母が遊びに来とったようで、いちばん奥にワシの女房と2人並んで寝とった。2人も、両方の胸打たれて大きな穴が開いとったわ(略)反対側の右側に義父が寝とって、オヤジは起き上がったところを撃たれたんじゃろうな。座ったように横になっとった。義母は外へ逃れようと思ったんじゃろう。縁のほうへ這って出たようで、敷居をまたいで倒れて、はらわたがダラーと出ておった」

 4人がいた8畳間は血の海でもあった。現場を直接見てしまったAさんのあまりに赤裸々な証言だ。

 さらにAさんは多くの殺戮現場を目の当たりにしていく。妻の妹の嫁ぎ先でも惨状が広がっていた。

「妹は腹が大きかったんじゃが、婿と一緒に殺されとった。そしたら、(一緒に撃たれた)虫の息のおばあさんがワシの顔を見てニヤーッと笑ったんじゃ。その顔が今でも忘れられん」

 こうして1時間半ほどの時間に、集落の半分に当たる11軒が襲われ30人もの人々が惨殺された。襲われて生き残ったのはわずか3人だ。生まれ育った集落内で、様々に交錯する狭い人間関係、戦争──そんななかで1人の男が狂い、凶行に走った。さらに睦雄の異様な風体と逆恨みや被害妄想としか思えない動機もまた、事件が未だ人々の間で語り継がれる所以だろう。

 しかし、その動機はどうなのだろうか。Aさんは犯行動機のひとつと言われている自分の妻との性的関係、集落の"夜這い"について、こんな否定証言をしている。

「(小説には)睦やんがワシの女房を手込めにしとったことも書いてある。(妻が)嫁に行く前に相当遊んでいるように書いてあるが、女房が遊んだか遊んでないかは、ワシでなきゃわからん。それに村じゅうで関係していたように言われとるが、そんなことできるのか?」

 しかし一方で、妻といっしょに里帰りした友人、Bさんについては、睦雄が恋焦がれていたことを認めている。

「(Bさんが)嫁に行く時に、陸やんが茅を積み上げて通せんぼしたそうじゃ。それくらい思いがあったんじゃ。後で聞いたら、『おまえを残しちゃいけんのや!』言うて、床の下に隠れた娘(Bさん)めがけてバンバン撃ち込んだらしい」

 だが、Bさんは奇跡的に、銃弾が喉をかすめる軽症ですんだ。AAさんは事件から10日ほどたった頃、Bさんと顔を合わせたが、Bさんから「私が殺したんじゃ、こらえてください、こらえてください」と泣きつかれたという。

 どうだろう。妄想にかられて連続殺害に及んだ「淡路島事件」とはかなりちがう、リアルな人間関係がもたらした犯行動機が浮かび上がってくる。しかし、一方では、Aさんが妻について話しているように、実際にこれらの女性と性的関係があったわけでなく、睦雄の一方的な妄想だったとの見方もある。だとしたら、類似性はあるのもしれない。

 いずれにしても、淡路島で起こった5人惨殺事件と「津山事件」との大きな違いは容疑者が生存し逮捕されていることだ。本当に「平成の八つ墓村」なのか、今後の捜査の進展を見守りたい。
(林グンマ)