盛りあげよう!東京パラリンピック2020(13)

■大分中村病院理事長・中村太郎インタビューVol.1

 大分中村病院の理事長であり、社会福祉法人「太陽の家」の理事長でもある中村太郎氏。「パラリンピックの父」と呼ばれる父親の中村裕氏(ゆたか/1927年〜1984年)の遺志を受け継ぎ、パラスポーツにも深く携わっている。シドニー(2000年)、アテネ(2004年)のパラリンピックではチームドクターを務め、パラリンピアンのスポーツとの向き合い方を間近で見たことで、パラスポーツに対する考えも変わっていったという。そんな中村太郎氏に、まずはパラスポーツの現状などを語っていただいた。

伊藤数子(以下、伊藤):2013年の9月に、2020東京オリンピック・パラリンピックが決まりましたが、中村先生は最初にどんな風に思われましたか?

中村太郎(以下、中村):単純に良かったなと思いました。

伊藤:私ももちろん大喜びだったんですが、東京に決まって以降、何か変化は感じていらっしゃいますか?

中村:そうですね。今回の東京に決まったことで、マスコミやメディアが、「東京オリンピック」じゃなくて「東京オリンピック・パラリンピック」って必ずパラリンピックを一緒に挙げてるのがすごく新鮮な感じを受けます。

伊藤:そうですね。

中村:おそらく1964年の東京オリンピックの時に、パラリンピックがあったのを知っている人ってほとんどいないんですよね。今でもそうかもしれませんが、オリンピックはみんな覚えているでしょうけど、パラリンピックがあったというのは知らない。日本は世界で初めて2度目の、オリンピック・パラリンピックを開催する国になるんです。ロンドンも、オリンピック・パラリンピック両方を開催したのは2012年が最初ですよね。

伊藤:そうなんですよね。私も、1964年の東京パラリンピックは数年前に知ったんです。そういう意味では、こうして人々が知るようになったということは、50年前に比べると、ものすごい進歩ですよね。

中村:そう思います。

伊藤:こうして"パラリンピック"という言葉を知っている人が増えていく中で、パラスポーツに対する理解というところの広がりは、どう感じていらっしゃいますか?

中村:以前に比べれば本当に、知っている人が増えたと思います。例えば、車いすテニスの国枝慎吾さんなどが、全英オープンなどで優勝すると、普通のメディアもそのことを書くようになっていますし。本当にずいぶん変わってきたなと思います。

伊藤:そうですね。先生が2002年に書かれた著書『パラリンピックへの招待』の中で、2000年のシドニーパラで、大々的にパラ選手が取り上げられる機会も増えたことがうれしい反面、現実の選手とギャップを感じていたと書いていらっしゃいました。それはどういうことでしょうか?

中村:実は、98年の長野パラリンピックの時にも、朝のテレビのニュースでいきなりパラリンピックで誰が金メダルを取ったとかっていう報道が始まっていました。普通のスポーツ新聞にもパラリンピックの結果が載るようになっていて、なんでこんな急にパラリンピック盛り上がっているんだろうなって思っていたんです。その後、シドニーでオリンピック・パラリンピックが開催されて、マスコミの方も普段は何も取り上げないんですけど、パラリンピックが近付いてくると、だんだん選手の取材とかをしてくれるようになったんです。ただ、そういうマスコミの報道の仕方と、そんなに恵まれた環境でやっているわけではない選手の姿にギャップを感じて、こういう本を書こうという気持ちになりました。実際のところをみんなに知ってもらおうという思いでした。

伊藤:メダル中心の報道の中からは、パラリンピアンの実際の姿が見えてこないということですよね。

中村:そうですね。大体やっぱり、障害で1回落ち込んでスポーツに出会って社会復帰したみたいなストーリーが多いと思います。僕は実際にシドニーパラにチームドクターとして帯同して、多くの選手が競技スポーツとして取り組んでいるという、そういう印象を持ちました。

伊藤:パラリンピックに帯同されたのは、シドニーが初めてだったんですか?

中村:そうです。1984年に大学を卒業して、父親の関係もあって、大学を卒業してすぐにパラスポーツに関わってきました。大分の車いすマラソンや、当時のフェスピック(現在のアジアパラリンピック)で、ずっとチームドクターをしてきたんですが、パラリンピックにチームドクターとして帯同したのは、シドニーが初めてでした。

伊藤:チームドクターのお仕事は具体的にどんなことがあるのでしょうか?

中村:まずひとつは、障がいのレベルでクラス分けを行ないます。大分車いすマラソンなどでもクラス分けをしていたのですが、クラスファイアー(クラス分け委員)の資格を持っている人がやるわけではなくて、僕が先輩とか後輩の医者に声を掛けて、「今度車いすマラソンがあるから来てくれ」みたいなことでやっていました。でも、シドニーパラでは、すごくクラス分けが厳密で、それにドーピング検査もその時から始まったんです。

伊藤:日本国内で行なわれる大会とパラリンピックで違いを感じたんですね。

中村:正直、僕はずっと、広い意味でパラスポーツって社会復帰のためのリハビリだろうと、それまで思っていたところがありました。しかし、パラリンピックに行って、本当にこれは競技スポーツというか、エリートの方たちのスポーツなんだという認識に変わりました。

伊藤:そういうところで、報道と現場で見る選手たちの姿にギャップを感じたんですね。それを伝えていこうということで、執筆されたわけですものね。

中村:最初はもっと学術書みたいな感じで、医学書に近いものだったんですけど、編集者の方が、こういう一般向けに出しましょうというので、途中に選手のストーリーを入れた本になっていきました。

伊藤:読みやすくしていただいた感じですよね。

中村:そうですね。多分この本の中で課題にあげている、商業主義であったりドーピングの問題、先進国と途上国の車椅子の差などは、2002年当時とあまり今も変わってないと思いますけどね。

伊藤:本当にそう思います。パラリンピックのあり方のところで、IPC(国際パラリンピック委員会)がIOC(国際オリンピック委員会)に近づいて行って、オリンピックのステータスをもらってパラリンピックの地位を上げよう、価値を上げようとしているところに疑問を呈していらっしゃる。悪いことではないと思うんですけど、どうせだったらオリンピックとパラリンピックをひとつの大会として開催しようというような、あまりにも気軽にそういうふうに言う人が今増えてきているので。そこのところはすごいご指摘だなと思いました。

中村:パラリンピックはやっぱりパラリンピックの歴史とか文化を大事にしていけばいいと思うんですけどね。日本代表の誇りという部分と、トレーニングを重ねた上で代表に選ばれるという部分では同じなんでしょうけど、歴史的な背景だとか文化とかは違っているのかなと思います。
(つづく)

【プロフィール】
■中村太郎(なかむら たろう)
1960年9月14日生まれ。大分県出身。大分中村病院の理事長と、社会福祉法人「太陽の家」の理事長を務めている。父である中村裕(ゆたか)氏は、1964年の東京パラリンピック開催に尽力され、「パラリンピックの父」と呼ばれているが、その意思を受け継ぎ、障がい者の方が社会復帰を目指すサポートや、パラスポーツにも深く携わっている。2000年のシドニーパラリンピック、2004年のアテネパラリンピックではチームドクターを務めた。パラスポーツに関する著書としては、2002年「パラリンピックへの招待―挑戦するアスリートたち(岩波書店)」がある。

■伊藤数子(いとう かずこ)
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

スポルティーバ●文 text by Sportiva