日本テレビ「アナザースカイ」(6日放送)では、川崎フロンターレ大久保嘉人がゲスト出演。22歳で移籍したスペインリーグ1部のRCDマジョルカ時代を振り返るべく、同地を訪れた様子を伝えた。

国見高校卒業後、セレッソ大阪に入団。その後22歳でスペイン行きを決めた大久保はマジョルカを選んだ理由を「スペイン行きたかったんですよ。高校の時から海外行くならスペインでやりたいって言ってて。スペインは攻撃的なサッカーなんすよね。(自分のサッカーも)ゴールに常に行くタイプ」という。

しかし、大久保は2005年1月9日、高校時代から夢だったスペインリーグでデビューを果たすも、「前の日に監督に部屋呼ばれて“お前明日スタメンで出れるか?”って言われて“全然出れます”って。でも本当は熱があったんですよ。38.5度あって。でもここで言えないと思って、言わずに薬だけ貰った」と明かした。

その上、実際の試合では高熱だけでなく開始5分、相手選手のファウルで右膝を負傷してしまう。
「これはヤバいと思いましたね。これは本当に動かないと思って。立てなくて。こっちの人達ってポイントを削って尖らせてるんですね。足上げてきて膝にポイントが刺さった。骨が見えてて。“これマジでできないな”って本当に思ったんですけど、ここで代われば後悔するなって思って、それで外に出てホッチキスで留めて絶対意地でもやると思って」。

骨が見える程の負傷を負いながらも戦い続けた大久保は後半に1アシスト&1ゴールを決める。壮絶な状況下での活躍は自身も「“一番嬉しかったゴールは?”って言われたらスペインのデビュー戦って言います」と嬉しそうに語るほど――。

だが、この時のケガにより「あれから2ヵ月くらいケガで練習できなかった」という大久保は、初めての挫折を経験する。

「今まで試合に出れなかったことはなかったんで。ベンチに座ることがなかった。それがここにきてベンチに座ることがまあまあ多くなって、そこでサッカー観がまた変わりましたね。受け入れないといけないっていうか。ここからどう這い上がっていくか」。

結局大久保は1年半でスペインを離れることになったが、「プレースタイルもこのままじゃダメなのかなっていう。やっぱり日本に帰って、その時のプレースタイルと今のプレースタイルは全く違うのでここで気付いてなければ多分終わってた」と話し、その最後は「行って良かった。来てなかったら今はない。そこから8年、9年経ってますけど熟成してきた。今が最高で得点王を2つ、この歳になって獲れたのかなと。ありがとうマジョルカって感じですね」と締め括った。