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〜新しいITエンジニア育成術〜

リクルートテクノロジーズで、ITエンジニア育成の新たな取組みが始まっている。

「先端技術のリサーチ」「若手エンジニアをトレイニーとして鍛える」という2つの目的を狙い、この第一弾として若手エンジニアが単身、およそ一年間、海外に駐在し現地のスタートアップでエンジニアリングの「武者修行」を行ってきたのだ。

舞台はリクルートテクノロジーズが「第2のシリコンバレー」として注目している都市の1つ、ベルリン。IT企業が集まるというと真っ先に浮かぶのはシリコンバレーだが、ベルリンに限らず、ロンドンやパリ、さらには東欧諸国を含むヨーロッパなどが、ここ数年テックハブとして機能し、さらに尖った先端技術が集まる場所となっているという。

ベルリンでの武者修行を終え、日本に帰国してまだ間もないリクルートテクノロジーズのエンジニア葛原佑伍氏に、ベルリン駐在までの経緯や現地の体験談、学んだことなどをうかがった。

――本日はどうぞよろしくお願いします。早速ですが、ベルリンにはどれぐらい滞在されていたのでしょうか。

葛原氏(以下、葛原):2014年1月〜12月まで、約1年間、滞在していました。

――リクルートテクノロジーズに来られるまでも、根っからのエンジニアの仕事をなさっていたのでしょうか。

葛原:リクルートには2012年に新卒で入社して、現在3年目でもうすぐ4年目になりますが、もともと1年目の時は分社後のリクルートキャリアという会社のIT部門に配属されて、提供するサイトの開発マネジメントなど、プロジェクトマネジメント系の仕事をやっていました。手を動かすいわゆる開発は一切してなかったですね。

もともと入社以前でいうと、アルバイトでエンジニアのような業務の経験はありました。リクルートキャリアでのマネジメント系の仕事も楽しかったのですが、若いうちに自分で手を動かす開発に従事しておきたいという思いからリクルートテクノロジーズへの転籍を希望し、2013年の10月に(リクルートテクノロジーズに)移ってきました。

移った先はアドバンストテクノロジーラボ(ATL)という、リクルートテクノロジーズの中でもR&Dをやっている組織で、そこにいけば優秀なエンジニアがいっぱいいて、揉まれるんじゃないかなという思いで自分から希望しました。

――そこで突然今回のお話になるわけですね。

葛原:はい。移ってすぐ、3日か4日ぐらいで上司に呼ばれ、ベルリンの話を聞かされました。当初はもちろん、とりあえずこの日本で開発経験を積むのかなと思っていたので、海外という選択肢は全然頭になかった分、ものすごく驚きました。。

――ちなみに、一旦ベルリンに行かれて、1年ぐらいで戻られて、現在はどういったことをされているのでしょうか。

葛原:現在は、DevOpsグループという、リクルートグループの各事業にスクラム開発を導入・実行する部隊に所属しています。戻ってきたばかりなので、詳しい業務内容はまだ決まっていない部分もありますが、主に、事業のプロダクトに対してスクラム開発を導入し、実際にその場で開発することや、それぞれの案件をもっと高速にリリースできるような基盤の導入などを推進しています。

背景としては、リクルートテクノロジーズだけでなくリクルートグループ全体が、サービスの立ち上げや改善を高速に回していく手法としてスクラム開発に注目していることが挙げられます。そこでリクルートテクノロジーズでは、リクルートのスクラムの共通言語となるプロトタイプを作り、それをもとに、各事業会社とともにスクラム体制を整えていくことを戦略の1つに置いています。去年の4月に、開発と運用を1つのチームでグルグル回しながら高速化して改善していこうということで「DevOps」という手法をトライアルで始め、その重要性がこの半年間でどんどん増して10月にグループ化され、僕がそこに投入されたという状況です。

自ら手を動かせ、ビジネスを考えられるエンジニアを中心に構成されている部隊とのことで、帰国してすぐそこに所属することになりました。

ベルリン行きが決まるまで

――ベルリン駐在の前に戻らせて頂きます。ベルリンに行くまでの経緯について、リクルートテクノロジーズに移られて3日という早いタイミングで、突然呼ばれたとのことですが、どのような背景の説明があっての(ベルリン行きの)お話だったのでしょうか。

葛原:もともと、弊社のATLに所属しているシニアアーキテクトがいるのですが、彼が、新技術を国内に閉じるのではなくて、海外のものを取り入れてやっていきたいっていう思いを持っていて、はじめはベルリンだけではなく、パリやロンドンなどいろんな候補地があったんです。その中で、リクルートテクノロジーズとして注力して、技術を獲得できる場所がどこなのか、ということをずっと(僕がATLに移る前から)調査していて、せっかくなら技術の獲得という文脈だけではなく、若手を入れてトレーニングさせてみたらどうだ、という話があがったすごくいいタイミングで僕がATLに入ってきたんです。

その頃の僕は、「開発がしたい」というやる気だけは十分だったので、「海外でトレイニーのような話がある。何をどうしていくという筋道が全部決まっているわけではないけど、何かやってみたいことある?」という話に、それはそれですごく楽しそうだなと思いました。

――なるほど。そういう話を聞きながら、どちらかというと不安よりも面白そうという期待のほうが大きかったのでしょうか?

葛原:新しい環境に身を置いて、何かやりたいという気持ちがあったので、最初は少し戸惑いもあったのですが、まあ、面白そうだなと思って、直感的に決めました。

――海外で生活した経験はあったのでしょうか。

葛原:お恥ずかしながら、全然ありません。英語は一切しゃべれない状況でしたが、そんなバックグラウンドなどは一旦置いて、それでも行きたい、と思いました。

――そういった部分のケアやサポートについてですが、向こうでのコミュニケーションのために、事前に勉強などはされたのでしょうか。

葛原:決まってから行くまでに1ヶ月ぐらいしか時間がなくて、行く前にやれることがほとんどありませんでした。ただ、向こうに行ってからは、英語のサポートや現地でのケアはありました。まあケアはあくまでもケアで、「あとは自分でやれよ」という感じでしたけど。最初は先ほどお話ししたシニアアーキテクトが現地にいて、定期的なコミュニケーションはありましたが、それ以外はひとりでがんばってという状況でした。

ベルリンでのスタートアップ選び

――さきほどの話でいうと、ベルリンという場所とそこのスタートアップというところぐらいが決まっていて、具体的な会社はその後決まっていったと思いますが、そのプロセスはどういったものだったのでしょうか?

葛原:どこの技術がおもしろそうだとか、どこが今成長段階にあるのかといった事前情報については、前もって現地のスタートアップ企業が調査され、すでにリストアップがされている状態で僕が現地入りしました。全部で候補が3社あり、1社ずつ面談を行い、最終決定するというプロセスでした。

――そこから最終的には、葛原さんの意見を中心に決められたのでしょうか。

葛原:そうですね、僕の希望が中心です。3社ともATLとのコラボレーションに対するやる気はあったので、あとはいい悪いというより自分がどれだけマッチしてやれるかという部分や、事業内容が自分の志向とマッチするかといった部分で決めました。

――最終的にKiwi.kiというスタートアップに行かれることになりましたが、決め手はどういったところだったんでしょうか。

葛原:それには2つの軸があります。1つ目の軸は、スタートアップとしてどの段階にあるかということです。3社のうち、1社目は成熟期とまではいかないまでも、すでにかなり大きくなっていて、買収されている段階にまで来ている大きなスタートアップでした。2社目がKiwi.kiだったのですが、Kiwi.kiはこれからそういう段階に向かっていこうっていう段階のスタートアップでした。残る3社目は、ビットコインのコンサルティングをやる会社だったのですが、まだ立ち上がって間もない、本当に何もそろっていないという状態の企業でした。その中で、どこに自分が行きたいかっていうと、あまりにそろってなさすぎるのもトレーニングとしてどうかなと思いましたし、すでに成熟しきっているところに僕が単身で入ってどれだけプレゼンスを出せるのかということに若干の疑問もあったので、これから成長しそうで乗りに乗っているということでKiwi.kiを選びました。

2つ目の軸は、単純にどこの技術力が一番すごそうかということです。これは明らかにKiwi.kiでした。

――なるほど。Kiwi.kiはスマートフォンなどをつかったドアのエントリーのシステムなどを開発している企業ですが、Kiwikiの技術的な特長や強み、惹かれた部分はどういったところにあったんでしょうか。

葛原:スマートキーを使って、例えばポケットにカギを入れたままの状態でスマートフォンを用いてドアを空ける、ということ自体はアメリカでも、日本でも結構行われているのですが、そのような強みや技術よりも、普段の会話の中でチーフアーキテクトのジェフという人物が、本当にできるなって思ったところが大きかったです。英語がつたなくても近くにいるだけで彼のすごさがわかるぐらいとても有能で、今でも彼が実際にフロントエンドもバックエンドも埋め込みのプロダクトも全部統括して決めている状況ですが、「この人本当に技術のことを分かっているな」ということがひしひしと感じ取れました。プロダクトというよりも、ボスとなる人物のすごさに惹かれたというのが本音です。

――人に惹かれてという感じなのですね。どのぐらいすごいのでしょうか?

葛原:すごく単純な例なのですが、僕が当時作るのに1ヶ月かかるような社内向けのツールであれば、彼はたぶん一晩で作ってしまうぐらいの感じでしたね。

しかも、何を聞いても適切な答えが返ってくるんです。彼のバックグラウンドでない言語であってもフレームワークであっても、全部答えが返ってくる。広範な知識がある、というところに惹かれましたね。

――何人ぐらいいらっしゃる会社なんですか。

葛原:全体でいうとだいたい20人〜25人ぐらいいて、僕がいる1年のあいだにも結構人の出入りがありました。その中でエンジニアは8人ぐらいですね。

残りは、セールスの方とマーケットの方、あとオペレーションの方がいらっしゃって、さらに共同経営者の方が3人いらっしゃいました。

――ちなみに会社の方は結構皆さんお若いんでしょうか。さきほどのジェフさんとか、年齢はどれぐらいの方が多いのでしょうか。

葛原:会社も若いですし、社員もエンジニアの年齢が20代前半とかです。フロントエンドですごくできるエンジニアがいたのですが、その人も21歳でした。本当に若いです。しかも、ジェフは私と同い年、28歳ぐらいです。

――なるほど、すごく刺激的ですね。日本のエンジニアの場合、28歳だとまだまだ駆け出しというようなイメージもありますが。

葛原:そうですね。日本とは明らかにレベルが違います。

――そこまで成長できる要因はどういったところにあるのでしょうか。

葛原:ジェフについていうと、単純に彼の興味が技術全般にあるってところだと思います。実は、彼はKiwi.kiでチーフのアーキテクトをやっている傍ら、別の会社でゲームを作っていたり、Kinectでアプリケーションを作ったりして、一日の大半を開発や設計に使っています。土日もそういう感じで、開発や設計が本当に好きなんだと思います。日本との環境的な差というよりは、彼がすごいとしか言いようがないですね。

(後編につづく)

ReadWrite Japan編集部
[原文]