文明の衝突

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「文明の衝突」(サミュエル・P・ハンチントン著)

イスラム教と「イスラム国」を僭称する集団が全く相容れぬことは我が国では理解が広まってきたが、欧州ではモスクが襲撃される事件が散発していると聞く。

いわば負の連鎖だが、この関連で本書が時折人口に膾炙する。主要文明として西欧文明、イスラム文明、中華文明、日本文明等を提示し、冷戦後の世界では文明間の対立が紛争の主因となると予言した20年近く前の書籍である。批判的に再読し、西欧側がこの負の連鎖を正当化しかねぬ危うい主張と評者は感じた次第である。

本書が象徴する「米国」

本書は良くも悪くも米国的と思う。

良い点とは、多様性ある社会で言論の自由が保障され、「不都合な真実」を直視する少数意見がやがて世論に影響を及ぼすダイナミズムだ。本書も同様で、絶対視されてきた西欧文明を他文明と並列にいわば相対化して扱う本書の視座は、(日本人には当然の視座だが)米国の一部論者には過激な主張と映ったことだろう。

文明の相対化にはたどり着いたが、その先が悪い。独善が顔を出す。一面的な見方で他文明を断罪し、偏った主張を展開する。イスラム文明に暴力傾向があると決めつける主張が典型だ。米国製品の品質を棚に上げ、日米貿易不均衡を日本文明の特殊性のためとし「経済的に説明できない」とする主張に至っては笑止である。

粗雑な論証

文明の相違は、国際関係において考慮するべき一要素ではあろう。言語・宗教・慣習の相違が相互理解のハードルとなるのは当然だ。

だがその相違が紛争原因の大部分とまで言えるか。国際紛争が著者の言う「フォルト・ライン」つまり文明の境界で頻発するのが事実としても、それは歴史の大きな流れの中で、世界経済が徐々に一体化していく壮大な調整の軋みが主因ではなかろうか。だが著者は、衝突原因を文明の相違に求めながら文明の内面を掘り下げず、経済的側面も軽視する。故に提示される数多の論証は粗雑との印象を拭えない。

自由と民主は西欧の専売特許?

まず、自由主義と民主主義を西欧独自の「思想」とするが、少し吟味が必要だ。

「自由」に精神的自由という領域を作り、民主主義と表裏一体で強く保護する仕組みを創ったのは西欧文明だ。だが「自由」そのものはより普遍的な理念だ。信長の楽市楽座に象徴される取引の自由はかねて日本に存在し、イスラム法上も自由の侵害は不正義と聞く。

同様に、民主主義を、自由な普通選挙に基づく議会制というシステムに限定して捉えれば、それも西欧文明の所産だ。だが社会的動物である人間には「多数決」もまた普遍的だ。中世の延暦寺での重要な意思決定は、覆面し声色を変えた全山の多数決で行われていた例もある。

仮に「自由」と「民主」を人間の根源的希求と見れば、その存在が近代化以前の日本で確認されるように、他文明でも例はあるはずだ。希求を制度化し統治機構に昇華したことは、産業革命同様、西欧文明の偉大な発明だが、発明は技術革新とも言いうる。技術と理念を峻別せず、崇高な理念は全て西欧文明発のように主張する姿勢は、人間本性への謙虚な省察を欠く。人間を省みずに、人間が引き起こす紛争の原因分析が可能か。主張の浅薄さを感じる所以である。

国際貿易は紛争を防止できない?

第二に、一次大戦前の国際貿易は活発であったのに大戦を防げなかった、との理由で、経済交流の紛争防止機能を否定する点も疑問だ。一次大戦前の国際貿易の総量は、西欧の宗主国と植民地化された他文明諸国との「貿易」をも包含するからである。著者が引用するように1913年の国際貿易が空前の規模だったのであれば、それは宗主国が植民地から収奪する量が空前のものであったことをも示唆する。

経済交流が紛争防止機能を有するという仮説は、対等な国家間において国際私法上の公正なルールに基づいた交流が有する相互便益の存在を前提とするはずだ。宗主国と植民地の交易はそうした前提を欠くのみならず、収奪する権益を巡る衝突は寧ろ不可避となろう。

中東紛争は旧ソ連が原因?

第三に、西欧文明が他文明に及ぼしてきた、あるいは及ぼし続けている負の影響を一顧だにしない。東方正教会文明の中心国すなわち旧ソ連の武器輸出を中東紛争の一因と繰り返し指摘しながら、米国の武器輸出に一言も触れない点は、アンバランスどころか作為的だ。

著者は中東紛争が文明の境界線で頻発していると論ずるが、それら紛争の種の多くは、そもそも植民地化と撤退の過程で西欧文明が蒔いたものではないか。自己の論旨を正当化するため西欧文明の罪を覆い、イスラム文明の暴力性なるものに転嫁する姿勢は如何なものか。

本書が示唆すること

著者の意図を善意に解釈すれば、多極化する世界を俯瞰し、将来の紛争がフォルト・ラインで頻発するとの冷徹な国際情勢認識を提示したものだろうが、米国の一部にあるこうした一方的な認識をよく把握しておくべきと評者は感じる。さらに言えば、他文明への無理解という危うさを西欧文明が孕むと知るために、ひいては日本文明が同様の愚を犯さぬよう厳しく自戒するためにこそ、本書は有意義ではなかろうか。

本書で西欧文明の歴史上の過ちが全く触れられぬことは、米国の気質と無縁ではあるまい。我が国も肝に銘ずべきと思うが、誰の目にも明らかな罪を自ら認めぬ者が、他者の批判に耐えられるはずもない。よって仮に我が国が米国に「悪い」面の修正を促すならば、正面から指摘はせず、他文明の主張を咀嚼あるいは忖度して西欧文明のロジックでも解るよう「翻訳」する必要があろう。加えて冒頭に述べた米国の「良い」面、すなわち民主主義のダイナミズムの発揮を、まさに日本文明的に婉曲に慫慂するならば、一体化する世界はもう少し住み易くなるのではなかろうか。

酔漢(経済官庁擬錙