ザッケローニは4年間、全うした。アギーレも4年やるつもりでいたようだ。しかし、彼らは少数派と言うべきである。同様な契約を、いいなと思う人物とかわすことは簡単ではない。

 新監督探しの話だ。4年間。正確に言えば、3年数か月。2018年ロシアW杯までやってもらえそうな人物を、日本サッカー協会はいま探し求めていると聞く。メディアもファンも、それを当たり前のように考えている様子だが、これこそが、この交渉事において一番の障壁になっているポイントではないか、と思う。

 サッカーの本場から眺めたとき、日本はとても離れた場所に映る。地理的な問題だけではない。言葉も文化も食事も生活習慣も違う。まさに異国。自国を離れ、そこで数年間暮らすには、思い切った決断が必要になる。勇気と踏ん切りなしに、日本に長期滞在することはできない。

 知名度の低い人物が、その名を上げるために引き受けるというなら話は別だ(トルシエのように)。本場で一区切り付いた監督(ザッケローニはこれになる)、代表監督を専門職にしている人、あるいは極端な日本好きなども、障壁は低いかもしれない。

 さらに付け加えれば、外に出ることを好む国民性として知られるオランダ人、旧ユーゴ系の人も、例外になるかもしれないが、それでも“それなりの人物”になると、可能性はグッと低くなる。

 中でも生活習慣の異なる土地で暮らすことが得意ではない人種として知られるのがスペイン人。ベニーテスがリバプールの監督に就任したのは2004年だが、それ以前は、選手さえもなかなかスペインを出ようとしなかった。年齢の行った指導者には、いまなおその気質が強く残るという。とりわけスペインに太いパイプを持つと言われる原専務理事が交渉に当たりながら(今回は後方からだが)、スペイン人監督を招くことができない理由だろう。

 しかも行き先は日本だ。欧州からは中東のカタールより、倍以上離れた場所にある。ギャラもカタールに比べるとずいぶん安い。サッカーそのものでは、カタールに負けていないが、本場の人間から見れば、それでも日本は弱者。サッカー強国では全くない。チャンピオンズリーグに出場する道が開けているわけでもない。その名前が、世界に知れ渡るのは、4年に一度のW杯のみ。日本代表監督の座に4年間、就任すれば、世界に自身の存在をアピールする機会さえ失うことになる。

 アギーレ解任の記者会見が行われたのは2月3日。それから、かれこれ20日間が経過した。監督探しに動き出したのが、アジアカップ敗退直後だとしても、およそ1ヶ月に及ぶ。その間、メディアを通して、いろんな名前が浮上しては消えた。その多くが憶測記事の域を脱し得ないものと思われるが、ファンが望んでいる監督は、過去に実績を残した知名度が高い人物だ。引き合いに出される監督はだいたい決まっている。

「ヒディンクレベルの監督は来てくれないものなんですか?」とは、監督探しの度に、ファンの間から聞こえてくる言葉だ。2002年日韓共催W杯で韓国をベスト4に導いた監督と、同じレベルの監督に就いてもらいたい。ブラジルW杯で惨敗を喫し、アジアカップでもベスト8で散ったいま、日本を救うのは彼レベルの大物しかいない。誰もがそうした気持ちになるのは当然だ。韓国ができたのだから、日本にできないはずはない。そう思いたい人もいるだろう。

 だが、ヒディンクが韓国にやってきたのは2001年の1月。就任期間は1年半だった。幸いしたのは、期間の短さにあった。契約期間が4年だったら、つまり、1998年フランスW杯直後に、韓国の協会関係者がヒディンクの元を訪ねていたら、ヒディンクは韓国に行かなかったと思う。実際彼は、その時、レアル・マドリーの監督を務めていたのだが、たとえその時、休職中の身の上であっても、だ。