■2月特集 2015年躍動するホープたち(6)

 昨年5月のゴールデングランプリ(※1)では日本人7年ぶりの大台突破となる2m31を跳び、7月と8月にはダイヤモンドリーグ(※2)などのヨーロッパの大会で2m30、9月のブリュッセル大会で再び2m31を跳ぶ安定感をみせた、走り高跳びの戸邉直人(筑波大学大学院/千葉陸上競技協会)、22歳。10年世界ジュニアで3位の実績も持つ身長193cmの彼は、06年に醍醐直幸(当時・富士通)がマークした2m33の日本記録更新が期待できるだけではなく、日本人が長年苦戦してきたこの種目で、世界に挑戦できる大きな可能性を持った選手である。
※1国際陸上競技連盟(IAFF)主催のIAAFワールドチャレンジに位置づけされている大会。
※22010年に新設された陸上競技最高峰のリーグで、毎年5月から9月の間に14戦行なわれている。

「10年の世界ジュニアで一緒にメダリストになったディーン元気(やり投げ/ミズノ)や飯塚翔太(短距離/ミズノ)などの活躍はすごく刺激になったし、焦りも感じていました。でも振り返ってみれば、大学の4年間は自分のトレーニングを模索する期間だったと思います。やっとトレーニング方法を確立できて、それが記録につながったのだと思います」

 進学した筑波大は個人で練習メニューを作るのが基本だった。高校時代の練習に何か新しいことを加えたいと、自分なりに試行錯誤していたため時間がかかったという。

 そんな戸邉は大学を卒業した昨年、実業団チームからの誘いを断り、筑波大学大学院に籍を置きながらアシックスのスポンサードを受けて独自の活動をすることにした。ここ数年は将来を見据え、跳躍競技が強いヨーロッパに本拠地を置いて、合宿や試合に遠征したいという考えがあったからだ。

「大学1年の時に1週間半くらい、スウェーデンにステファン・ホルム(04年アテネ五輪優勝)のお父さんでコーチでもあるジョニー・ホルム氏の指導を受けに行きました。その経験があったからこそ、大学2年の夏にすごい走り込みをして腰を痛めたときに、トレーニング法をヨーロッパ式に転換しようと思いました」

 大学3年の冬には1カ月ほどひとりでスウェーデンへ行き、ホルムの本拠地で練習をみてもらいながら2試合に出場した。そして4年の時には昨年2m42を跳んだボーダン・ボンダレンコ(ウクライナ)のマネージャーの世話になり、エストニアを拠点にして練習をした。戸邉は「向こうで選手やコーチと一緒にトレーニングする中で、ヨーロッパ式の考え方や方法論を実際に体験しながら学ぶことができたので、ひとつの形になってきたと思う」と振り返る。

「ヨーロッパは効率化を図っているというか、練習も量ではなく、どれだけ質を高めていくかを考えている。そういう考え方をするだけでもトレーニング内容は変わってきました。特にホルムは本当に走り高跳びを極めているような人で、トレーニングも走り高跳びで高く飛ぶためのものしかやらない。いらないものの省き方などをみて、自分も思い切りをつけられたし、そういうことが日本の跳躍のレベルを上げていくのに必要だと思いました」

 昨年の冬もエストニアへ1カ月間出かけた。その時は試合がメインだったが、レベルの高い選手と試合をする中で、日本にいた時は遠く感じていた世界最高峰の大会であるダイヤモンドリーグが身近に感じられたという。この記録を跳べばひとつ上のカテゴリーの大会に出られるという延長線上にダイヤモンドリーグが見えてきて、記録に対する意識も高くなったという。

 そんな経験を積んで昨年は、シーズン中の海外遠征にも積極的に挑戦した。国内だけだとライバルも少なく2m20台中盤で優勝が決まってしまい、次に挑戦するのは日本新記録の2m34ということになる。だがレベルの高い試合ではその記録ではまだ決着がつかないことがほとんどだ。ハイレベルな戦いを経験することで、トップ選手の調整の仕方や、高さに対する意識、勝負の駆け引きなど学べることが多い。昨年5月のゴールデングランプリ東京で、勝負の流れの中で日本新記録の2m34に挑戦し、惜しい跳躍をしたことも自信になっている。

「走り高跳びでは一発を狙うのも時には大事だけど、どれだけ高いレベルで安定させていけるかも重要だから。世界と戦える目安になる2m35を常に狙うというより、2m30を安定して跳べるようにして、その中で35が出ればいいという考え方をしていくのが大事だと思います。技術をドンドン突き詰めていけば、これまでの日本選手が目指していた職人芸みたいな域に達するかもしれないけど、今はそこに目を向ける時ではなく、より確実に2m30以上を跳ぶために必要なものを考えていくべきだと思っています」

 こう話していた戸邉だが、昨年6月の日本選手権は悪天候に対応できず2m20で3位と悔しい結果に終わった。だが目標のひとつだったダイヤモンドリーグ出場は7月のモナコで果たし、2m30を跳んで8位に。9月にはダイヤモンドリーグ最終戦のブリュッセル大会にも出場して2m31で7位と、安定した結果を残した。

 メダル獲得を期待された9月のアジア競技大会では、ブリュッセル大会でアジア記録の2m43を跳んだばかりのムタズ・エサ・バルシム(カタール)との戦いが注目されたが、2m25で5位に止まった。初めてヨーロッパを転戦した世界挑戦の疲労が、思った以上に溜まっていたのだろう。

 その悔しさを心の中に秘め、今年も1月中旬から約1カ月間、昨年と同じ室内の練習環境が整っているエストニアを拠点にして練習をしてきた。練習中に疲労性のアキレス腱炎になってしまい、試合は2月4日のスロバキア大会に出場したのみで、記録は2m25に止まったが、「ケガで走り高跳びの練習がほとんどできていない中で25を跳べたのは収穫。痛みがなければ感覚的には30を跳べたと思うから、しっかり準備ができれば30台半ばは難しくないと感じた」と手応えを得ている。

 93年のハビエル・ソトマイヨール(キューバ)の2m45の世界記録がいまだに残る男子走り高跳びも、13年にボンダレンコとバルシムが00年以来の2m40台をマーク。昨年はその二人に加えてイワン・ウホフ(ロシア)とデレク・ドロウイン(カナダ)、アンドリー・プロトセンコ(ウクライナ)が2m40超えを果たして活況をみせている。

 そのハイレベルな争いに加わろうとする戸邉は、最大の目標である20年東京五輪でのメダル獲得のためにも、これまでの日本人選手にはいなかった193cmの長身を生かし、今年から一気に記録を伸ばしていきたいと考えている。

折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi