日本代表監督の後任探しが難航している。

 国際的に名前を知られた監督たちが、日替わりメニューようにメディアを賑わせている。日本から誘われていると代理人がアナウンスし、よりよいオファーを引き出す駆け引きに使われているところも、多少なりともあるのだろう。

 それにしても、日本代表を率いる人材としての条件が、揺らいでいるのではないか。国内の報道を見ていると、手当たり次第に声をかけているように見える。譲歩や妥協の色が、浮かんでいる。

 代表チームはファミリーでなければいけないと、僕は考える。Jリーグから欧州のクラブへ移籍したい、欧州内でビッグクラブへステップアップしたいといった個人の目標を、達成するための手段ではない。選手それぞれの目標や名誉は、結果的についてくるものである。

 ならば、代表とは何のために戦う場所なのか。唯一無二の国内最強チームの一員としての誇りと責任を、名誉で包んで表現する場所に他ならない。

 国際舞台を戦う意味では、日本代表もドイツ代表も、イタリア代表もスペイン代表も同じである。だが、日本代表には独自の歴史がある。

 1998年までワールドカップに出場することができず、初出場したフランス大会では3戦全敗に終わった。アジア予選で韓国に苦汁をなめてきた歴史があり、ワールドカップで世界の壁に打ちのめされた日々がある。

 代表選手としての誇りと責任は、日本代表のこれまでの歩みを噛み締めることで、胸に深く刻まれる。ワールドカップの結果を知っているだけでは、本当の意味で日本代表としての誇りと責任を選手に伝えることはできない。Jリーグで采配をふるったことがあり、日本人のメンタリティを理解していても、である。

 だから僕は、日本人監督を推している。

 ワールドカップの歴代優勝国は、すべて自国の監督に率いられている。準優勝した国も、ふたつの例外を除いて自国の監督である。

 この事実から僕は、「失敗しても逃げ帰る場所のない自国の監督の覚悟」を読み取ってきた。2度目の就任となった2010年の南アフリカで、岡田武史監督がベスト16入りを果たしたのも、結果責任を背負って生きていく自国の監督の宿命が彼を支えた、と感じていた。
 
 それに加えていまは、その国固有の「誇りと責任」は、その国で生まれ育った監督でなければ説得力を持って伝えられない、という理由で肉付けされている。

 2月14日にU−22日本代表のテストマッチを視察したサッカー協会の大仁会長は、「欧州はシーズン中だし、そう簡単にはいかないでしょう」との見通しを明かした。3月下旬にテストマッチが迫っていることもあり、「早いほうがいい」とも語り、「ギリギリまで粘る」とも話した。

 どうしても外国人監督に頼むなら、スタッフは日本人で固めるべきだ。ヘッドコーチ、フィジカルコーチ、GKコーチまで外国人監督が連れてくることを、容認してはいけない。それでは、外国人監督に託す時間を、日本人が共有できないからだ。何が良くて何が良くなかったのか、換言すれば何が日本人に合って何が合わなかったのかを、のちに検証できないからである。

 いまからでも遅くない。日本人監督を選択肢に加えてほしい。加えるべきである。