ペットボトルに入った500mlの水が400円。アジアカップで訪れた豪州で、何より愕然としたのは物価の高さ。デフレの日本からやってくると、なにもかもが恐ろしく高く感じられた。

 他方、いい意味での驚きは、スポーツ施設、スポーツ観戦の環境になる。

 ご承知の通り、メルボルンではアジアカップと並行してテニスの全豪オープンが行われていた。何を隠そう、錦織圭選手が出場した試合も僕は観戦したのだが、理由はミーハーだから、というだけではない。

 アジアカップの日本戦が行われたサッカー場が、テニス会場の目と鼻の先にあったからだ。神宮球場と国立競技場の関係と言ったら分かりやすいだろうか。そこにいるのに見ない手はない。見ない方が不自然と言いたくなるほど、それぞれの会場は目と鼻の先に位置していた。

 テニス会場の施設にも感心させられたが、それ以上に羨ましく見えたのは、あたり一帯の環境になる。

 いくつかのスポーツ施設を併せ持つスポーツコンプレックス。

 サッカー場あり、クリケット場あり、体育館あり、オージーボールのフィールドあり、サッカーグラウンドが何面もとれる広大な芝生の広場あり。町の中心地であるフリンダースストリート駅からトラム(市電・大会期間中は無料!)で数分というロケーションも秀逸。オリンピックをいますぐにでも開催できそうな状態にある。

 午前中の11時から錦織が出場する全豪テニスを見て、夜の20時から日本代表が出場するアジアカップを見る。テレビではなく現地で。これは、スポーツファンとしてかなりお洒落な行為だ。少なくとも僕はそう思っている。

 まさに、五輪の現場にやってきたような気分だった。五輪の魅力はなにか? と問われた際、用意している答えでもある。その気になれば、一日に複数の競技を見ることができる。テニス、サッカー。五輪では、その間になにかを挟み込むことも可能だ。わざわざ出かけていったのだから、一日に3つぐらい見なければ損とばかり、スポーツ観戦欲はそこでマックス値を示す。フットワークは俄然軽くなる。

 そこで問われるのが、各会場間のアクセスだ。それぞれはできるだけ近くにあって欲しい。サッと異動できる距離にあって欲しい。五輪の評価ポイントそのものと言っていい。

 テレビ観戦では、その辺りの事情は分かりにくい。遠かろうが近かろうが、画面は距離に関係なくサッと切り替わる。テニスが終われば、サッカーが自動的に始まる。テレビは、五輪を漏れなく観戦することを可能にしてくれる便利な装置と言える。

 1日に最大4試合行われる日があるサッカーのW杯も、漏らしはお茶の間観戦の方が遙かに少ない。現地を訪れるより試合数そのものは多く観戦できる。だが、こちらは「国」開催。ブラジルならブラジル全土で開催される。どんなに頑張っても、ナマ観戦は1日1試合止まり。それ以上観戦することは最初から無理だと諦められるが、五輪は都市開催。エリアはW杯より断然狭い。競技数、種目数も302という夏季大会の金メダル数が示す通り数多い。現場でより多くの競技を見たいという欲求を掻き立たせてくれる設定になっている。

 外国人観光客は、そうしたスタンスで開催都市を訪れる。会場間の距離と交通のアクセスが、重要になる理由でもある。「おもてなし」。言い換えれば、ホスピタリティと、それは密接に関係しているのだ。

 会場間のアクセスが恐ろしく悪かった大会。旅行者として最も苦しめられた五輪として記憶に残るのは、96年アトランタ五輪だ。現場観戦に不向きな、テレビで見た方がマシと言いたくなる五輪だった。

 中でも酷かったのがサッカー競技。五輪のサッカー競技はアトランタに限らず、開催都市から離れた、別の都市で行われることが習慣になりつつある。すなわちW杯的になっている。2020年東京五輪でも、大阪が会場になるかもしれないという話だが、アトランタ五輪の場合は、マイアミも会場になっていた。東京から札幌ぐらい離れた場所にサッカー競技を見に行けば、その日の観戦はサッカーに限られる。一泊すれば、前後の日の観戦行動にも制限が加わる。と言うわけで、僕はマイアミ行きを断念。日本の五輪チームがブラジルを倒した「マイアミの奇跡」を見損なってしまった。