水野和敏氏は日本が誇るカリスマエンジニアである。日産自動車時代、カルロス・ゴーン社長から全権委譲でGT-Rの開発にあたったことで知られる同氏は、63歳にして、台湾の自動車開発会社「ハイテック」副社長として、新たな門出を迎える。氏がなぜ台湾という国のメーカーを選んだのか? ノンフィクションライターの稲泉連氏が迫る。

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「欧米諸国にとって、かつて日本車は独特なオリジナリティを持っていたんだ」と水野氏は指摘する。例えば、今では世界中のメーカーが力を入れて開発するSUV。これはトヨタのハイラックスサーフや日産のテラノといった車種が提案したスタイルだった。

「雨の日でも買い物に行ける全天候型のスポーツカーだって、もともとはフェアレディZや2000GTが提案した。ワンボックスカー然り、ダウンサイジング・ターボ然り、いま世界で売れている商品の基本的な考え方の多くは、日本人が提案してきたものだ」

 しかし80年代以降、日本メーカーはそのユニークな立ち位置を失ってしまった、と彼は続ける。それはバブルの崩壊によって日本経済が冷え込むなか、各社が唯一好調だったアメリカ市場に軸足を移さざるを得なかったからだ。

「日本のブランドとしてレクサスを成功させたトヨタ以外のメーカーは、どこもアメリカ型の組織作り、クルマ作りをし始めて、大排気量の同じような製品ばかりを作るようになった」

 その結果として何が起こったか。ドイツ・メーカーに代表される欧米では、例えばダウンサイズしながら馬力を維持できる「小排気量ターボ」など現在の主流となる技術を深めていった。一方、日本メーカーは世界の市場において最もボリュームのあるミドルクラスの車種の開発が遅れ、「世界で勝負できるクルマ」がなくなってしまったという。

 国内の売り上げを支えるのは軽自動車やワンボックスカーばかりとなり、海外に目を向けても、コストは安いが似たようなクルマが多くなった。「日本車の白物家電化」と言われる所以だ。

 こうした状況を説明する際、水野氏は「開発圏」というキーワードをホワイトボードに書き付ける。いわく、世界の自動車の市場には創造性とブランド力を背景に高い商品力で勝負するヨーロッパ圏、そして、バリューと安さで国内のマーケットに目を向けるアメリカ圏という二つの“開発圏”がある。1990年代以降、日本メーカーが身を投じたのは、後者の開発圏であった。

「でも、それじゃダメなんだ。俺はヨーロッパ型でもアメリカ型でもない、車開発における全く新しい『アジア圏』を作り出して、世界市場を奪えるくらいの先進性とブランド、リーダーシップを持った商品を世に問いたい。だからこそ、台湾と組むんだよ」

※SAPIO2015年3月号