吉田豪インタビュー 清原和博「このままじゃダメだと思った。自分から変えていかないと」(1)

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 日本最強のプロインタビュアー吉田豪が旬な人物にガチンコ取材を挑むロングインタビュー企画。記念すべき初回のゲストは元プロ野球選手の清原和博さん。昨年、離婚問題や薬物使用疑惑など様々なネガティブな話題に晒されてきた渦中の人物がいま思うこととはーー。WEBメディアには登場する機会の少ない「最後の大物」の生の言葉をお届けします‼

今年は自分から勢力的に動こうと思っている

──ボクもこれまでいろんな人の取材をしてきてますけど、会うだけでこんなに緊張感とかテンションの高まりがある人は久しぶりです!

清原 あ、そうですか?

──やっぱり会うだけでも「うわっ、清原だ!」って、誰もがつい子供帰りしちゃう部分があると思うんですよね。そんな人が、いろいろ大変そうな時期に取材を受けてくれたってだけでも本当にうれしいです!

清原 まあ、DMMさんにはローラさんとのCMですごいお世話になりましたからね。

──それがあるからDMMの企画にだけは出てもらえるんじゃないかと考えました(笑)。最近、『アサヒ芸能』でテリー伊藤さんの取材は受けてましたけど、それ以外には露出が全然なかったので。

清原 そうですね。まあ、昨年いろいろありましたから。今年は精力的に自分から動こうかなと思ってますけどね。

──昨年いろいろあったことが相当なダメージだったとは思うんですよ。

清原 やっぱりキツかったですね……。自分自身、体を壊したりだとか週刊誌報道があったりとか、あと離婚もありましたし。人生の大きな転機になる1年でしたよね。

──でも、思ったより全然元気そうで安心しました。

清原 やっと……です。去年は全然、元気なかったですからね。

──ようやく元気になってきて。

清原 このままじゃダメだと思ったんで、自分から変えていかないと。

──激ヤセ報道もあったから、いまどんなふうになってるんだろうと思ってたんですよ。

清原 あれはずっと表に出てなかったんで。

──大魔神・佐々木主浩さんの野球殿堂入りパーティーで久しぶりにマスコミの前に出たら、前よりも痩せてたってだけで。

清原 そうなんですよね。減量してましたんで、そしたら糖尿の数値もだいぶ落ち着いてきて、体もだいぶ健康体になってきたんで。

──激ヤセっていうよりは、ふつうにコンディションがよくなったっていう感じなんですね。

清原 そうですね。現役時代に急激な減量やったりしてたんでリバウンドというのはしてしまうから、その繰り返しで。

──清原さんには元気であってほしいっていう思いは、不思議とみんな持ってると思うんですよ。

清原 なんか、街とかでも、女性よりも男性に「応援してます!」みたいな感じで声をかけていただくんで、うれしいですよね。子供たちにも、いまでもたまに球場に行ったりすると「清原ぁー!」とか言われるんで、それはありがたいです。



今の野球界には規格外の選手が少なくなった

──貴重だと思いますよ。いま野球関係でそういう気持ちを持てる人ってそんなにいないと思うので。

清原 そうでしょうね。野球界はいまちょっと枠のなかで収まってるというか、規格外の選手が少なくなったというか。

──枠に収まらないと、代わりに面倒なこともあるかもしれないけれど。

清原 いまの野球界はそういう感じがしますね。『珍プレー好プレー』なんかでも、やっぱり随所に昔の映像が使われますし。プロっていうのはある程度、見せることが必要だと思うんですよ。そういう意識を持った選手が、僕らの時代に比べて少ないかなって。僕らの時代は広島に達川(光男)さんがいたり、宇野(勝)さんが頭にボールぶつけたりとか、そういう名珍プレーがたくさんあったじゃないですか。赤点の選手もいましたけど、赤点のプレイをするのが珍プレーで、それもまた全力で赤点を取ってしまうんで、お客さんは楽しかったりする。真剣勝負のなかで乱闘シーンもあったりとか。

──乱闘は確実に昔のほうが多かったですよね。

清原 いまはWBCの影響と、あとゆとり教育の世代が主流なんで、ケンカもしたことないような野球選手がたくさんいる。いま一線で活躍してる連中はそれがあるんじゃないですかね。体罰もなくなって、ちょうど境目の選手たちだと思います。

──清原さんの時代はたいへんだったでしょうからね。

清原 高校時代はもちろん、そういう体罰も去年かなり問題になりましたけど、やっぱりその時代に見合った……特に最近、少年野球を見に行くことが多いんですけど、僕らの時代の少年野球とのギャップはすごく感じますよね。

──真面目になりすぎちゃってる感じですか?

清原 そうですね。プロゴルファーでもいわれてますけど、昔は独特な、たとえば青木(功)さんであったり、ジャンボ(尾崎)さんであったりとかすごい個性的だったのが、いまみんな教科書どおりの打ち方、教科書どおりの投げ方でやってる。ホントに平均点から上の選手が揃ってるかなっていう。だからあんまり突出した、「この選手を見たい!」って球場に足を運ぶお客さんが少なくなったんじゃないかなっていう感じがしますけどね。

──わかります。だからこそ野球にそれほど興味ない人にも清原さんは届いてると思うんですよね。プロレスとか格闘技のファンも清原さんのことは好きですから。

清原 ヘヘヘヘ。野球界のアントニオ猪木さんでありたいとは思ってますけどね。

外国人に負けないために肉体改造した現役時代

──ダハハハハ! ホントにそれぐらいになってほしいんですよ。猪木さんもスキャンダルとかで弱った時期はあったけど、そこを抜け出したじゃないですか。

清原 そうですね。猪木さんみたいに走り続けるような存在になっていきたいなって。いまでこそ、そういう肉体改造であったり、シーズンオフにどっか海外に行ってトレーニングするのは当たり前でしたけど。僕がシアトルに行って……。

──ケビン山崎さんのところに行って。

清原 ええ、それでウェイトトレーニングをやり始めただけで「格闘家になるのか!?」みたいに言われて。それでいて、日本にいる外国人とかと比べると、日本人はパワーが足りない、スピードが足りないとか言われてたから、じゃあ日本人もパワーつけようよっていう発想だったんで。

──ケビン山崎さんは前田日明さんの紹介でしたよね。

清原 そうですね。当時は(アレックス・)カブレラが一番太い腕してたんで、カブレラはとんでもない飛距離でしたから、カブレラに少しでも近づこうって。やっぱり日本人でそういう対象っていうのは松井秀喜ぐらいしかいなかったんで、対外国人選手ということで体格も飛距離も負けてない日本人もいるよっていうのをアピールしたくて。カブレラは感情も表に出しますし、選手それぞれのスタイルがあるとは思うんですよね。イチローみたいにWBCの日韓戦でもいつものヒットと同じように淡々としてたりとか、彼は彼のプレースタイルがあって自分の見せ方を知ってると思うんですよ。やっぱり全員がイチローになってもおもしろくないし。昔は36色ぐらいあったクレパスが、いま一番小さい8色ぐらいになってきてる感じというか。

──その8色のなかに入らなかったのが清原さんだったわけですね。

清原 自分では入るとかそういう意識はなかったんですよね。自分は自分の見せ方があって。まあ、番長っていうキャラは『FRIDAY』が作ったんですけど(笑)。

──あれはハマりすぎてましたからね(笑)。

清原 僕自身はそれを言い出した人間もわかってるんですよ。西武ライオンズからジャイアンツに移ったときのマスコミの圧倒的な量の違いにまず驚いて。今朝は何食ったんだとか、何時に寝たんだとか、キャンプ初日のホームランの数を数えられたりとか、それまではそういうこと一切関係なく調整してたものが、ジャイアンツに入ったらキャンプ初日から柵越えが何本。で、次の日に柵越えが少ないと、「調子を落としてる」みたいな。そういうのに慣れるまで2〜3年かかりましたね。

──マスコミが苦手になったきっかけは、その頃にあるんですか?

清原 やっぱりそうやって自分が表現したことを曲げて誌面にされてしまうことがあったんで。それでだんだん口数が少なくなっていって、寄せつけないように。沈黙は金じゃないですけど、冗談で言ったことが誌面に出てしまったり、そういうことでマスコミ不信になりましたね。



「番長日記」が自分の気持ちを代弁してくれたこともあった

──『FRIDAY』としては、「どうせ清原さんを取材できないんだったら、とことん面白がっちゃえ!」みたいな感じだったんでしょうけど。

清原 でも、かなり勉強になりましたよ。これ自慢していいのかわからないですけど、『FRIDAY』登場回数は僕が一番多いと思います(笑)。

──ダハハハハ! 自慢していいですよ、しましょうよ! 一回、『番長日記』で『FRIDAY』とノーサイドになって、同じ車に乗って移動したことあったじゃないですか。あれとか最高でしたよ。

清原 ああ、優勝したときですね。あのときは打ち上げで最後の後始末までして、外に『FRIDAY』がいるのはわかってたんで、タクシーも拾えなかったんで「一緒に乗っけてってくれ」と。

──それができるのがすごいですよ(笑)。

清原 そうですね……まあ、それまで長い闘いがありましたけどね。

──当然、ああいう扱いは嫌だったわけですよね?

清原 でも、それで番長っていうキャラクターが出てきて、金本(知憲)が阪神になって兄貴になったり、そういう部分では、子供たちが「番長! 番長!」って言ってくれることに対してはうれしいですしね。

──『FRIDAY』としても悪意だけじゃなくて、好意もあっての表現でしたもんね。

清原 そうですね、僕が言えないことをよくぞ書いてくれたっていうこともあったんで。僕が思ってることをね。

──『番長日記』が代弁してくれて(笑)。マスコミ対策を間違えたな、みたいに思うことはあります? もうちょっとマスコミにも対応を良くしてきたら、ここまで叩かれずに済んだのかな、みたいな。

清原 それはやっぱりプロですから、打てなくてスポーツ紙の1面を取れる選手が、それこそ一流だと思ってたんで。やっぱり勝っても負けても1面を張れるのがいいって、そういう気持ちが途中から芽生えてきて。だから、それまで4番を打ってて、松井が4番に入って5番になったときも、じゃあ敬遠されないような打者になってやろう、と。松井は敬遠、清原で勝負っていうとき、前は「え、松井を敬遠して俺は勝負か?」ってカッときてたんですけど、気持ちの切り替えをすることによって「お、おいしい場面きた!」みたいな感じになってきて。そしたらジャイアンツの途中から打てるようになって、最後は松井で勝負になってきたんで、「ああ、俺との勝負を避けてるんだな、松井との勝負を選んだな」って。数字的には彼のほうが遥かに上なんですけど、それでファンの声援をもらえるようになったんですね。

──なんとか結果を出したことで。

清原 またケガして復帰したときも、やっぱり不安なんですよね。「代打、清原」ってアナウンスされて、「ワーッ!」て東京ドームが割れんばかりの歓声が湧いたときには、やっぱりリハビリを頑張ってきてよかったなと思うし。そして最後に仰木(彬)さんが作ってくれた花道にも、たくさんの方面の方から、長渕(剛)さんも含めていろんなジャンルの人が集まってくださったり、イチローもわざわざラストゲーム終わった次の日にアメリカから帰ってきてくれたりだとか。

──あんなに語り甲斐のあるプロ野球選手の引退式もないですよ!

清原 そういう意味で、途中でジャイアンツファンの鳴りものが止まったりだとか、いろいろ経験はありましたけど、ファンあってのプロ野球ですから。ファンのみなさんにどれだけ喜んでもらえるか、どういうプレイをしたら……僕はできるだけ感情を表に出すようにしてましたけどね。

プロフィール

元プロ野球選手

清原和博

清原和博(きよはらかずひろ):1967年、大阪府出身。PL学園野球部員として甲子園で旋風を巻き起こした後、1985年にドラフト1位指名で西武ライオンズに入団。1996年に読売巨人軍へ移籍し、2005年にはオリックスに入団。2008年に引退するまでの通算成績は、2338試合出場、525本塁打、1530打点、打率272、2122安打、1346四球、196死球、オールスター出場19回。

プロフィール

プロインタビュアー

吉田豪

吉田豪(よしだごう):1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。徹底した事前調査をもとにしたインタビューに定評があり、『男気万字固め』、『人間コク宝』シリーズ、『サブカル・スーパースター鬱伝』『吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集』などインタビュー集を多数手がけている。また、近著で初の実用(?)新書『聞き出す力』も大きな話題を呼んでいる。

(取材・文/吉田豪)