初のグランドスラム制覇なるか――。今年の全豪オープンは、かつてないほどの注目が錦織圭に集まった。結果は、昨年全豪覇者のスタン・ワウリンカ(スイス)に敗れ、準々決勝敗退。世界ランキング5位として挑んだ全豪での戦いを、元プロテニスプレイヤーの神尾米氏はどう見たのか。

 全豪オープンの錦織選手は、やはり相当なプレッシャーを感じていたと思いますよ。それは、有名人になったことでコートの中だけではなく、どこへ行ってもパパラッチに狙われているような状況によって生まれたプレッシャーかもしれません。想像するに、いろいろなわずらわしさを感じながら、日々生活していたのではないでしょうか。全豪オープンでは練習にしても、本当に多くのファンやメディアの方たちが見に来ていましたから。

 ただ、そうは言っても、錦織選手本人は全然変わらないんですよ。私たちへの態度も、以前と一緒です。たしかに、彼の周りには人が増えたし、テレビ収録のスタジオなどにいられる時間も限られるようになりました。マネージャーさんたちのガードが固くなったのは間違いありません。本人は普通にしているけれど、周囲がザワザワしているのは感じているだろうし、自分の名前がニュースサイトのトップなどに常に出ているわけですから、「今までとは何かが違う」と感じながらの戦いだったと思います。

 また、試合を見ていても、対戦相手の戦い方が変わってきたのは明らかでした。ランキング下位の選手は、トップ選手相手の戦法を取っていました。それはひと言で言ってしまうと、「ハッタリを効かせてくる戦い方」です。今までだったら、長いラリーを続けたり、試合そのものが長引けば、「どこかでミスをしたり、体力切れするのでは?」という思いが相手にもあったと思います。でも、それではもう勝てないことが相手も分かっている。だからこそハッタリを効かせて、どんどんウイナーを狙ってくるようになっていました。

 初戦で対戦したニコラス・アルマグロ(スペイン)も、積極的にウイナーを狙ってきましたよね。錦織選手は自分のペースで打ち合えていませんでしたが、そんな状況でも底力を見せて勝利を取り切りました。でも、ああいう勝ち方で良いと思います。完璧でなくても、勝つ――。下位の選手には取りこぼさないということが、これからも必要になってきますので。

 あのような底力の源泉にあるのは、ストローク力やフットワークに加えて、メンタルの部分が大きいと思います。あと、サーブもとても良くなりました。スピードがすごく上がっていますし、サーブでポイントを取れる場面も増えましたよね。オフの期間に取り組んできたことが、コート上で発揮できていたと思います。

 今大会の錦織選手のサーブ速度を昨年と比べると、ファーストサーブの平均速度が10キロほど上がっています。聞いたところによると、グリップの握りを少し薄くし、以前よりも内転(腕を振るときに内側に向けてひねり、手の平は外側を向く動作)を生かした打ち方になったようです。

 その動きでサーブが打てるのは、筋力をつけたからだと思います。内転を使った打ち方は、肩が強くないと身体を痛めてしまいますから。それに、腹筋と背筋も重要で、特に肩からお腹にかけて斜めに走る筋肉の強さが必要なんです。錦織選手の身体を見ても、以前より大きくなりました。このオフでかなり鍛えたと思いますよ。あれだけサーブを打ち込んでも腹筋を痛めていないというのも、相当にトレーニングしたからだと思います。

 そのような技術面の改善に取り組めたのは、マイケル・チャン・コーチへの信頼があるからではないでしょうか。あのレベルの選手でしたら、自分に足りない部分というのは明確に分かっているんです。ただそこに、選手が勇気を持ってトライできるかどうか、なんです。選手によっては頑固に変えたがらない人もいますが、そこでコーチが説得できるかどうか......。錦織選手はチャン・コーチと話し、納得してトライしたんだと思います。トレーニングにはトレーナーのアドバイスや指導も必要ですから、今は本当に良いチームが組めているのでしょう。

 今大会の勝ち上がりを振り返ったとき、まずは初戦のアルマグロ戦に勝ったのがすごかった。何しろ、厳しい相手でしたから。もちろん、最近のアルマグロはケガなどもあって、全盛期(2011年/世界ランキング9位)の状態ではなかったでしょう。それでも、錦織選手がガチガチに緊張して、打ったショットが入らないパターンもあり得たと思います。そこを跳ね返したのは、本当にすごいこと。メンタルも含めて、本当に強くなったんだなぁと思いました。

 また、4回戦のダビド・フェレール(スペイン)戦に圧勝したのもすごかったのですが、逆に4回戦まで行けば試合のリズムも生まれてくるので、安心して見ていられました。もちろん、フェレールはものすごくしつこい選手です。でも、錦織選手の今大会のサーブと、フォアのストロークがあれば、大丈夫だろうと見ていました。

 一方、準々決勝で対戦したスタン・ワウリンカ(スイス)は、昨年の全米オープン準々決勝で錦織選手に敗れているので、ものすごく気合いを入れて挑んでくるだろうなと思っていました。「それがもしかしたら空回りするかも?」と思ったのですが、全然ありませんでしたね。

 この試合、ワウリンカはサーブにしても、ラリー戦にしても、錦織選手のフォアサイドを多く攻めていました。恐らくそれは、錦織選手のフォアへの回り込みを嫌がったからではないでしょうか。昨年の全米オープンで対戦したとき、回り込まれた際にどちらのコースに来るか読めなかったから、今回はあえてフォアを狙っているのかな、と思いながら試合を見ていました。

 ワウリンカはバックハンドに自信がある選手です。ですので、フォアサイドに錦織選手の意識を集中させて、そこからバックでウイナーを取るという形が多く見られました。そのあたりはコーチたちと話しながら、かなり錦織選手の攻め方を研究していたと思います。また、ワウリンカのストロークが全体的にすごく深く入っていたので、錦織選手は前に出られませんでした。第2セットの終盤くらいから、錦織選手はサーブ&ボレーを多く取り入れて相手のリズムを崩そうとしましたが、ワウリンカは慌てませんでした。精神的にも余裕があったのだと思います。

 それでも、あのように最後までワウリンカに食らいつく姿勢を見せたことは大きいし、第3セットは相手も圧力を感じていたと思います。ただ、ワウリンカは2セットを先に取っていたので、ここぞというときに余裕を持って勝負を仕掛けられました。やはり、トップ選手に2セットアップされると、たとえ終盤でもつれても逆転するのはとても厳しくなります。

 きっとこれからの大会では、今回のように上位選手は潰しにくるし、下位選手はどんどん勝負をしかけてくる展開が増えてくると思います。これは、本当に厳しい戦いですよ。グランドスラムで一度決勝の舞台に行っているので、周囲は「次はいつ優勝?」と考えてしまうかもしれませんが、そんなに簡単なことではないです。

 だから私は、今回ベスト8に入ったことは素晴らしい結果だと思います。とても厳しいドローでしたし、もっとプレッシャーを感じて序盤で負けてしまうことも十分にあり得ました。それを跳ねのけ、シード順を守っただけでも、やっぱり錦織選手は本当にすごいなと思いました。

 今後、錦織選手がグランドスラムで優勝する可能性は十分にあると思いますが、ビッグ4(ノバク・ジョコビッチ、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、アンディ・マリー)が元気なうちに、彼らを倒して上に行って欲しいと思います。挑戦者のまま臨んでいけば、いつかビッグ4の壁も打ち破ってくれるのではないでしょうか。

 今回の全豪オープンを終えてランキング上位4人は、ビッグ4が返り咲きました。でも、それを崩せそうなところも出てきたと思います。だから今、錦織選手はすごく良い状況にいるのではないでしょうか。ビッグ4がいて、それらに勝つ可能性を感じながらも、挑戦者のままでいられるのですから。いきなりトップ4に入ったりしたら、それこそプレッシャーがすごくなってしまいますよね。ですから今年は、まずはプレッシャーに慣れる1年で良いかと思います。我々見てる側も、「すぐ優勝!」と先走らないようにしたいですね。今はこの位置に来たばかりなので、「まだまだ挑戦者でいいじゃない!」という気持ちで見守っていきたいです。


【profile】
神尾米(かみお・よね)
1971年11月22日、神奈川県横浜市生まれ。
母の影響で10歳からテニスを始め、東海大学付属相模高校卒業後の1990年にプロ転向。1992年の全豪オープンを皮切りにグランドスラムで活躍。1995年にはWTAツアーランキング24位まで登りつめるが、肩の故障により1997年2月の全日本室内テニス選手権の優勝を最後に25歳の若さで引退。現在はブリヂストンスポーツのイベントで全国を回るかたわら、プロ選手やジュニアの育成に携わっている。WOWOW解説者。

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