前田司郎『恋愛の解体と北区の滅亡』(講談社)
NHKのBSプレミアムで放送中のドラマ「徒歩7分」の作者・前田司郎は、テレビや演劇で活躍する以外に小説家としての一面も持つ。本書はその2冊目の小説単行本。同書所収の「ウンコに代わる次世代排泄物ファナモ」は、昨年放送の「世にも奇妙な物語2014年秋の特別編」(フジテレビ)のなかで前田自身の脚色・演出によりドラマ化されている。

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先週(2月3日)放送のドラマ「徒歩7分」第5回がすごかった。
田中麗奈演じる主人公が自宅のトイレに閉じ込められてしまうという話だけで、まるまる一回分を費やしていたのだ。こんなドラマ、過去にあっただろうか。いや、シチュエーションコメディならあるかもしれないが、このドラマはコメディではない(結果的にコメディに見えてしまうところはあるけれど)。

「徒歩7分」はNHKのBSプレミアムで毎週火曜の23時15分から放送されているドラマだ。「プレミアムよるドラマ」というこの枠では、これ以前にもテレビ業界の内幕を描いた「おわこんTV」など踏み込んだ内容のドラマが放送されてきたが、今回もかなりの意欲作というか異色作だ。

本作の主人公・黒崎依子は、32歳・無職ながら生まれて初めて実家を離れ、アパートで一人暮らしを始めた。とはいえなかなか働きに出ようとはせず、つい家でダラダラしてしまいがち。時間を持て余して、隣室に住む派手な格好の女・咲江(菜葉菜)と無職の男(平野勇樹)の会話を壁に耳を当てて盗み聴きするなど、まったくもってどうしようもない。一方では福士誠治演じる元カレ(しかも別れて5年が経つ)の家へしょっちゅう押しかけるという厄介な一面も。そんな依子の部屋に「田中靖夫」という見知らぬ人物から謎の手紙が投函されるようになる。これに依子のアパートを訪ねてきた妹の美紀(鮎川桃果)はストーカーだと気味悪がるが、当人はのほほんとしてさほど深刻には受けとめない。

回を追うごとに、依子が何だかんだと頼りにしていた妹はヨーロッパへ長期の旅行に出かけてしまい、さらに元カレからはきっぱり関係を断ち切られる。一方で隣室の咲江とはしだいに交流するようになり、正体が判明した田中靖夫(田中圭)はなぜか依子の階下の部屋に引っ越してくる。彼女がトイレに閉じ込められたのは、ちょうどそのころだった。椅子が倒れてドアを外側からふさいでしまったのがその原因だ。

トイレのなかで依子はケータイは持っていたものの、電話番号を知っている友達がおらず、真っ先に連絡をとったのはパリにいる妹の美紀だった。美紀は警察に電話したらと言うが、騒ぎを大きくしたくない依子は頑なにそれを拒む。結局そのまま一夜を明かしたのち、思い切ってトイレットペーパーに文字を書いて外に助けを求めることに。階下の田中がそれに気づくのだが、「SOS」と書かれるべきところを最後の「S」が抜けていてその意図が伝わらない。

その後、夜になってやっと依子の危機に気づいた田中はリアクションを起こす。まず互いの部屋のトイレの窓伝いに掃除機用のパイプを渡して連絡手段を確保。おかげで弁当や布団を差し入れしてもらい(これには何かのヒモでつくったクレーンを使用)、どうにか空腹と寒さをしのぐことができた。一段落ついて安心したのか、思わず「一生このままでいいかな」と言い出す依子に、田中は「よかった」と返す……って、よくないよ! 田中は大家にも連絡してくれたのだが、事の重大さが伝わらなかったらしく明日にならないと来られないとの返事。そうこうしているあいだに何か異変が起きていることに近所の住民が気づき始め、騒ぎになりかける。そこへちょうど咲江が帰ってきた――。

こうして振り返っても、極限状態に追い込まれた人間の悲喜こもごもを、さまざまな小道具を使いながら描写するのが絶妙だ。また、第1回からドラマを見ていると、少し前までストーカーと思っていた相手が主人公に思いがけず助け舟を出してくれるという展開にも惹きこまれた。

「徒歩7分」ではこれ以前の回でも、すごいと思ったことがあった。それは第2回の、依子がアパートで妹の美紀と食事をしながら会話する場面でのこと。このとき美紀が実家の父親をたとえるのに「昔のヨーロッパの王様で圧政を敷いてて超わがままだったけど、何かの拍子に改心してすごいいいことをする話」を持ち出すのだが、もちろん依子にも視聴者にもそれが誰だかわからない。それでも実家にあった偉人シリーズみたいなのでそんな話を読んだと主張する妹に、依子は反論し、次のようなやりとりが続く。

「え、そんな偉人いないでしょう。だって一度圧政敷いてたら偉人になれなくない?」
「え、でもヒットラーとかさ、あるじゃん」
「ないよ! あんた、どこの国の人がヒットラーを偉人伝に載せるのよ」
「日本?」
「あんた、ほんと怒られるよ」
「ヒットラーって偉人じゃないの?」
「偉人じゃないよ! 偉人って偉い人のことだよ。あんた、ほんとちょっと気をつけな」
「えーっ。じゃあ、あれ何だっけな……女の人の何かで改心するんだよなあ……」
「何? 『女の人の何か』って何? 愛?」
「愛かそれに類する何か……」
「何っ? 『愛に類する何か』って何っ!?」
「(投げやりに)ああん、忘れちゃった。何かそれみたいだなって、すごい思ったんだよね、パパのあれが」
「黒く塗りつぶされた部分が多くて伝わんないよ」

姉妹の話の噛み合わなさも然ることながら、「改心した王様」とは何に出て来た話なのか結局わからずじまいのままべつの話題に移ってしまうところがすごい。ヒットラーの話は一応、このあとで妹がヨーロッパに行きたいと唐突に言い出すのとつながっているとはいえ、この会話自体は本筋とほとんど関係がない。

でも人間の会話とは往々にして、あいまいな記憶やたとえになっていないたとえに振り回されたり、唐突に違う話題に移ったりするもんじゃないだろうか。そう考えるとこの場面はかなりリアルだ。それに、姉妹がこういう他愛もない話を交わすぐらいには親密であること、また二人の性格や教養レベルの違いなんかも垣間見えてくる。このあと妹が日本を発ってから依子が喪失感を抱く様子が強い印象を与えるのも、こうしたやりとりが先に用意されていたからだろう。

「徒歩7分」の作者は劇団「五反田団」を主宰する劇作家・演出家の前田司郎だ。この場面にしても、先のトイレに閉じ込められる話にしても、限られた設定のなかで話をふくらませるというのは、まさに演劇出身の前田の面目躍如といえる。

それにしても、このドラマは一体どんな結末を迎えるのだろうか。結末どころか次の展開がまるで読めない。トイレに閉じ込められるなんて大ネタを使ってしまったら、あとどんな見せ場があるというのか。今夜には第6回が放送されるが、依子には少しずつでもいいから幸せな方向に進んでほしいと願わずにはいられない。

※「徒歩7分」は第1回からNHKオンデマンド(有料)で配信中

(近藤正高)