『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』池谷 孝司 幻冬舎

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 先月、1月30日に発表された文部科学省の調べによると、強姦や強制わいせつ、セクハラなど、いわゆる"わいせつ"行為をしたとして処分を受けた公立学校教員が、2013年度は小・中・高を合わせて205人に達し、調査開始以来、初めて200人を超えて過去最多となりました。

 実際に、教育者による教え子への犯罪は後を絶ちません。昨年12月には、教え子に対して性行為に及んだとして、埼玉県の県立高校の男性教諭が懲戒免職となりました。教諭は、部活動の顧問を務めており、引率で宿泊していたビジネスホテルで犯行に及んだとのこと。数日前から足をケガしていた女子生徒を、「ケガが心配だ」という口実を使って、自分の部屋に呼び出したといいます。

 その2ヶ月前の昨年10月には、強制わいせつの容疑で、茨城県の公立中学校学校教諭が逮捕されています。教え子の女子生徒に「マッサージをしてあげる」などと言って体を触るなど、わいせつな行為をした疑いが持たれています。実は、この容疑者が逮捕されたのは今回で5回目。前回の逮捕後も教諭を続け、犯行を繰り返していたことも大きく報道されました。

 一体どうして、こうした問題教師のわいせつ犯罪は繰り返し起きているのでしょうか?

 本書『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』の著者・池谷孝司さんは、メディアで報道されるのは氷山の一角、ほとんどの被害者が泣き寝入りせざるを得ない状況に置かれていると指摘しています。

 一例を挙げると、本書に登場する元小学校教諭は、教え子を1人の女性として愛し、対等な恋愛関係にあったと主張します。たしかに、生徒と先生の恋愛は、ドラマや漫画の格好の題材でもあり、生徒が教師に憧れや好意を持つのは往々にあること。また、教え子の卒業を待って結婚する、という"美談"も少なからず耳にした方も多いのではないでしょうか。

 しかし、仮に双方同意の上だとしても、教え子との恋愛は教師による「権力の乱用」という側面を併せ持ちます。教師は教え子への成績を評価する立場にあり、大人と未成年ではノーを伝えるのも難しいのが現状。実際に被害を受けた児童は「逆らうとどうなるかわからないから従った」と訴えています。

 本書にも登場する「特定非営利活動法人 スクール・セクシュアル・ハラスメント防止関東ネットワーク」代表の入江直子神奈川大教授は「教え子への権力を意識していないのが一番の問題」と指摘します。相次ぐ教育者の犯罪は、学校だからこそ起こる「権力」犯罪だと言えるでしょう。

 また、池谷さんは本書で「教育者の犯罪には、日本の学校教育の在り方が影響している」と指摘しているのも見逃せません。

 たとえば、英語で教育は「education(エデュケーション)」ですが、語源はラテン語の「引き出す」という言葉に由来し、子どもが持っている力を引き出し、その可能性を伸ばすことに主軸が置かれています。

 これに対して、日本の「教育」は、文字通り「教え育てる」。これはつまり、絶対的立場の教師が正しい方向に導き、子どもの人格をつくり上げるという概念です。池谷さんは取材を続ける中で、性犯罪を起こす教師の中には「子どもを支配したい」「自分の思い通りにコントロールしたい」という思考を持つ教師が存在したと述べています。子どもを支配し従わせようとする考えは、体罰のような暴力的指導や、性暴力を招きかねません。

 本書の「おわりに」で彼はこう述べています。

「わいせつ教師たちは今、この瞬間も教室で教えている」

 教室という空間は、子どもたちにとって、もはや安全な場所ではなくなっています。実際に教育現場を取材した著者のこの言葉を、わたしたちはどのように受け止めるべきなのでしょうか。