「自己責任」論が噴出したイラク人質事件

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 「イスラム国」(ISIL)による邦人2名殺害の悪夢は、いまも覚めやらない。犠牲者の冥福を祈ると共に、ISILへの世界の怒り(注1)も日ごと高まっている。

 2004年10月末のイラクでも、そうだった。<イラクの聖戦アルカイダ組織>を名乗るグループが、日本人青年Kさんを拉致してイラクからの自衛隊撤退を要求。「テロリストと交渉せず」の原則を守った当時の政権(小泉純一郎首相)にアテつけるように、テロリストたちはKさんを斬首して殺害した。

 この時も今回も、結果的に人命が失われたことは残念でならない。しかしテロリストと交渉したり、条件を飲んだりすれば、より多くの人命を危険にさらす。ゆえに交渉厳禁とされるのも、また冷徹な真実だ。

 ……となると、この手の事件の中で違う経過、結果を辿った異様なケースが逆に思い出される。Kさんの殺害事件から遡ること数ヶ月の2004年4月、3人の日本人がイラクで拉致された。俗に言う<イラク3馬鹿事件>、あれは一体何だったのか? 

 覚えている向きも多かろう。当時、イラクの武装勢力に拉致されたのはフォトジャーナリストのK・Sさん(32=当時)、女性ボランティアのT・Nさん(34=当時)、高校生のI・N君(18=当時)の3人。最初は心配していた世論も、家族がイデオロギー色満載の政府批判会見(注2)を開いたことで一変。彼ら自身のサヨク的、反日的活動も明らかになって、完全に「自己責任だろう。ほっとけ」という雰囲気が出来上がった。

 詳細は省くが、結果的に彼ら3人は8日後に開放されて帰国。当時から「日本政府が秘密裡に裏金を犯人に渡した」「家族の反政府会見など手際が良すぎ、他にも怪しい部分が山積。そもそも自作自演では」などと噂され、「3馬鹿(注3)」は手厳しいバッシングを受けた(注4)。

イラク日本人拘束事件の功罪とは

 今回の事件でも犠牲者に対して「自己責任だ」という意見が一部に出たが、始まりは3馬鹿だったのだ。それにしてもK青年も、ISILの手にかかった2人も、同じようなことをやって命を落としてしまったのだから、運不運で片づけるには差が大きすぎる。

 無論「3馬鹿も殺されれば良かった」とまでは言わないが、<何らかの狙いでわざわざ危険地帯に赴く>という方法論を広めてしまった罪は重い。せめて彼らが、かつての体験を反省して賢明な人になっていてくれれば救われるのだが、しかし……。

「どんな状況下でも政府は国民を守らなければならない」と今回の事件に関してI・N君は語り、T・Nさんは性懲りもなくヨルダンに滞在していた。やはり、生きているうちは治らないものなのか。

(注1)世界の怒り…まともなイスラム教徒は怒っている。彼らとISILを混同してはいけない。
(注2)政府批判会見…なぜか犯人を批判せず、自衛隊のイラク撤退を要求する異様なものだった。
(注3)3馬鹿…大変失礼ながら、定着している呼称を使わせて頂いた。
(注4)バッシング…実際、T・Nさんが飴を舐めながら取材を受けるなど、非常に態度が悪かった。

著者プロフィール

コンテンツプロデューサー

田中ねぃ

東京都出身。早大卒後、新潮社入社。『週刊新潮』『FOCUS』を経て、現在『コミック&プロデュース事業部』部長。本業以外にプロレス、アニメ、アイドル、特撮、TV、映画などサブカルチャーに造詣が深い。DMMニュースではニュースとカルチャーを絡めたコラムを連載中。愛称は田中‟ダスティ”ねぃ