アジアカップは早期敗退を喫したとはいえ、アギーレ監督にはこれまでにないチームを作り上げてくれるかもしれないという期待もあっただけに、惜しまれる解任劇だった。 (C) Getty Images

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 ハビエル・アギーレ体制はわずか5か月、Aマッチ10試合で終焉……。ウルグアイ、ベネズエラ、ジャマイカ、ブラジル、ホンジュラス、オーストラリア、パレスチナ、イラク、ヨルダン、UAEを相手に、6勝2分け2敗という成績のみが残された。
 
 フィリップ・トルシエ監督以降、日本代表監督はなんだかんだ言われながらも4年間務め上げるのが普通となっていたが、八百長疑惑という日本代表史において前例のない理由で、久々の短命政権が誕生してしまった。
 
 ではアギーレ監督が指揮した試合数10というのは、歴代のなかでどれほど少ないものなのか。そこで、歴代監督のデータを見てみよう。以下に戦後の全監督を記載したが、昔と今ではサッカー界そのものの環境が異なるため(80年代以前はAマッチに含まれないクラブとの対戦が多かった)、単純な数字の比較で特に何かが見えてくるものではない。
 
 代表チームの整備がなされたJリーグ創設以降で見れば、最も指揮試合数が少ないのはブラジルの名手だったパウロ・ロベルト・ファルカン監督の9試合。就任時から全幅の信頼を得ていたわけでなく、広島で開催されたアジア大会でノルマを下回るベスト8止まりに終わり、あっけなく政権を加茂周監督に譲り渡すこととなった。
 
 その加茂監督も97年、フランス・ワールドカップ最終予選の最中に更迭されてしまったが、これ以降、契約を満了せずに終わった監督は、脳梗塞というアクシデントで退任を余儀なくされたイビチャ・オシム監督、そして今回のアギーレ監督である。
 
 アギーレ監督の場合、極めて特殊な事情による解任であり、おそらく八百長疑惑がなければ、アジアカップ連覇を逃したとはいえ、その手腕はある程度の評価を得ていただけに長く日本の指揮官であり続けただろう。そういった意味では、悔やまれる今回の“不祥事”だった。
 
 いま、日本サッカー最大の注目は後任監督人事である(協会の任命責任の所在にも多くの目が向けられているが)。夏にはロシア・ワールドカップ予選を迎えるため、急ピッチで新監督を探している最中だが、新たな体制が(ファンを納得・満足させながら)長く維持することが期待される。
 
◇歴代日本代表監督の指揮期間&試合数
二宮洋一(1951) 3試合(1勝1分け1敗)
竹腰重丸(1951-56) 12試合(2勝4分け6敗)
高橋英辰(1958) 0試合
川本泰三(1958) 2試合(2敗)
竹腰重丸(1958-59) 12試合(4勝2分け6敗)
高橋英辰(1960-62) 14試合(3勝2分け9敗)
※デットマール・クラマー(1960) 1試合(1敗)
長沼 健(1962-69) 31試合(18勝7分け6敗)
※岡野俊一郎(1969) 0試合
岡野俊一郎(1970-71) 19試合(11勝2分け6敗)
長沼 健(1972-76) 42試合(16勝5分け21敗)
二宮 寛(1976-78) 27試合(6勝6分け15敗)
下村幸男(1979-80) 14試合(8勝4分け2敗)
渡辺 正(1980) 3試合(2勝1敗)
川淵三郎(1980-81) 10試合(3勝2分け5敗)
森 孝慈(1981-85) 43試合(22勝5分け16敗)
石井義信(1986-87) 17試合(11勝2分け4敗)
横山謙三(1988-91) 24試合(5勝7分け12敗)
ハンス・オフト(1992-93) 27試合(17勝6分け4敗)
パウロ・ロベルト・ファルカン(1994) 9試合(3勝4分け2敗)
加茂 周(1994-97) 46試合(24勝8分け14敗)
岡田武史(1997-98) 15試合(5勝4分け6敗)
フィリップ・トルシエ(1998-2002) 50試合(23勝15分け12敗)
ジーコ(2002-06) 71試合(38勝15分け18敗)
※山本昌邦(2002) 1試合(1敗)
イビチャ・オシム(2006-07) 20試合(13勝2分け5敗)
岡田武史(2007-10) 49試合(26勝12分け11敗)
※大木 武(2009) 1試合(1分け)
※原 博実(2010) 2試合(2勝)
アルベルト・ザッケローニ(2010-14) 55試合(30勝12分け13敗)
ハビエル・アギーレ(2014-15) 10試合(6勝2分け2敗)
※監督代行

注)第二次大戦後の歴代監督を記載。試合数はAマッチのみ(横山体制以前はクラブとの対戦が非常に多かった)